この本を初めて読んだときからもう随分たちますが、ここに書かれているいくつかの言葉いくつかの場面は、機会を捉えて意味を持ってあらわれ、しばしその言葉に憩います。
「砂漠があんなに美しいのは、どかに井戸をかくしているから」 

王子様は、チョットわがままだけれど自分が守ってあげなければいけない小さなバラの花をもっています。あるとき、バラの辛らつな言葉に耐えかねて自分の星を後にするのですが・・・
王子様にとってこのバラの花がどれだけ大切なものであるかということを知る過程が、生きる意味への真の洞察となって、多くの人の心に共鳴していることを感じます。
キツネが教えた秘密 「肝心なことは目に見えない。心で見なくては」
どれだけ多くの花に囲まれていても、どれだけ星が美しくても、それだけでは何も意味も持たないけれど、何らかの関わりを持ち心を交わす時間を過ごすことから、すべてが違って見えてくる。
そう、この書の中には、そのことを暇つぶしをするとか飼いならすとかという表現でもあらわされているのですが、一見そんな風に見える時間も、大事なものにつながっていることを思います。



「星の王子様」の翻訳は、昨年ぐらいから複数の人によってなされるようになり、興味深く書店でながめますが、あとがきなどを読むと色々な見方があると思わされます。その中には首をかしげるものもありましたが、共感した1冊を昨年購入しました。
もう5年くらい前になりますが、箱根の「星の王子様ミュージアム」に行きました。
ここは、なかなかイメージをそこなわずできていて(中身は星の王子様というより、サンテグジュペリミュージアムでした)、展示されているサンテグジュペリの遺品などを熱心に見ました。
そのとき、夫の母が「ああ、あなたはこれが好きなのね・・・。私にはよくわからないけど。自分の子どもの外套が飾られているのならいいけど」(というニュアンスの言葉)。
何と正直で鋭い言葉!と、今も心に残っています。
「星の王子様」は学生時代に買った本。確か数年前?(ひょっとして十数年前?)までは持っていたはず、子供たちにも読み聞かせした本・・・。
ブログを読んで何だか懐かしくなり本棚を探してみたのですが、見つかりません。きっと悪い癖が出て発作的に捨ててしまったのでしょう、残念です。
人は心を開いて人と交わりを持つ中で、育ち・育てられるものなのでしょうね。
実は、私も以前持っていた硬表紙の「星の王子様」内藤濯訳のもあるはずですが・・・、しまい込んであります。他に、子ども達が自ら買った英語訳のやら小型版などが、家のどこかにあるはずです。
ふと思うところがあり、「星の王子様」に浸りましたが、無人島に行くことになったら、聖書の次に持って行きたい本です。