春分の日に part2

春分の日の外出は、なんだかんだで、とうとう正午を過ぎてしまい、
途中、立ち寄ることにしていた美術館の展覧会は、後日に回すことにしました。
 
雲が広がったり、日差しが出たりと変化しましたが、概してよいお天気でしたが、
やはり風は冷たく感じられました。
 
2時間半かけて、義母のホームのある駅の程近いところにあるモスで遅い昼食をとり、3時ごろ到着しました。
義母は、大抵お部屋で横になっています。私のことは忘れていないけれど、
話す言葉は少なくなり、いつも決まったことを話します。そして、大抵いつも眠そうで、気分がすぐれないようです。
 
私は、結局、義母の人生劇場の中で、後半に登場する次男の嫁で、ある意味外野の人間です。
それだけから、よけいに義母の様子には身につまされるものを感じます。大事なものが時間とともに失われていく
そんな焦燥がいつも漂っています。受容に徹した温かい人々のお世話も義母の心を和ませるものではないようです。
今は失われた、家族としての一つ屋根下のの暮らし、叶わぬ願い・・・。絡まってしまった心の糸。
 
だから、義母のホームに出かけるときは、嫁の務めとは思っていません。結婚によって大きく関わりを
持つようになったひとりの女性との交流と思って毎回出かけてゆきます。そして、私には、彼女を
救う力も無ければ、愛もない欠けのある現実をあらためて確認するのです。
 
最期をどのように生きるのか、この難所は自分ひとりでは到底どうにかできるものではないことを思いつつ。

春分の日に part2」に10件のコメントがあります

  1. おはようございます。
    身につまされる記事で、考えさせられました。
    セーラさんの、『嫁の務めではなく、結婚によって大きく関わりを持つようになった一人の女性との交流』と考えられることに、
    始めて気づき、感動をおぼえました。なるほど、このような気持ちでお付き合いできるんですね。
     
    人生の最後をむかえる人達に多く接してきましたが、人間の力ではいかんともしがたいということを身につまされ、
    あきらめを納得するしかないということを感じてきました。
    しかたがないね~でも、神様の元に帰って行ったと考えると、いくらか救われる気がします。
    父親の場合、周りの人達に、明るくあきらめさせてくれたと、今になって思えます。
    人生を終えるということは、大変なエネルギーを必要とするということも。・・・・
     
    いつもコメントありがとうございます。
    コメントの返事、昨日も今日も、エラーが出てきて投稿できませんでした。
    また後で試みますけれど、私のパソコンのせいなのか、MSNのせいなのか、・・・・・

  2.   セーラさんの想い、重いテーマですね。婚姻の結果どうしても避けられない義父母など相手の家族との関わり合い。
    そこに思いやりが存在しないとつらいものが。実際の関わり合いは夫婦が出発点であり、その他は失礼ながら付随的
    なもの。きっといつかは分かり合えるときも。今生では無いかも知れないけれど。割り切った付き合い方もひとつの知恵
    かもしれませんね。
     大事なことを告げられず、そうですね、例えば夫婦の間だとすると一種ライバルというか最後のなにかは、どうしても譲
    れないというものもあるのかも。夫婦によりけることは当然なれど。了見違いをしていることも。決して一方が正しいわけ
    でもなく。年月が解決してくれればよいけれど。愛情からあきらめまで、しかしこれからはあきらめずに次の展開もあるあ
    る世の中。見当違い名話かも。しかし己の思慮の無さにしばし思索をめぐらせることも・・・。

  3. >ゆんさん
    こんばんは。よく読みとってくださってありがとうございます。
    ゆんさんは、今まで色々な場面に出会って、いろいろな思いをなさってこられ、
    それなりの、気持ちの整理ができていらっしゃるのですね。
    私の父も、ある意味、寿命を生ききったという位置づけに収まりつつあります。
    主のみもとに、という信仰が持てたらといつも思っているのですが・・・。

  4. >マックさん
    重い想いを、お付き合いくださってほんとうにありがとうございます。
    主人の母は、今ではたとえ主人との関わりがなくなっても、私にとっては大きな位置を占める女性です。
    認知症の正体はわからないものがありますが、本人が一番つらいであろうことをとても感じます。
    夫婦の道、定年後が試練のようですね。今から、覚悟しておきます。
     

  5.  そんなぁ!深刻そうなこと言わないで。何事もめげずに行きましょうよ。叩けよ?
    さらば開かれん、でしたか?あまり使い慣れない言葉は使うなとは親の遺言?
     実は昨日何度もセーラさんのページを開こうrと思ったんですがダメでした。
    それでお礼のコメ遅れました。
     そうですね、孫は可愛いと思います。それも責任が軽いのでつい、親に隠れて
    なんてことも。
     われわれもそれなりに楽しくやってます、あまり考えても仕方ないというか、与え
    られた境遇を甘受して・・・。(ほんとうは結構悩み性、でもつとめてケ・セラ・セラで
    ・・・と、ウ、切り方がちがう?かな)

  6. >マックさん
    ご心配してくださって、ありがとうございます。深刻そうに伝わってしまいましたか(苦笑)
    マックさん、それなりに楽しんでいらっしゃるなら、安心しましたよ。マックさんのほうこそ、結構深刻そうに思いましたから。
    血液型をいうのは、趣味ではないのですが、マックさんはもしかしてA型ですか?
    私は、実はB型の、ケセラセラ(全く切り場所?)人間なんですよ。人からは、え~!って言われますが・・・
    与えられた境遇を甘受して、・・・同感です!

  7.   深刻そうに・・・、そうかもね。一にも辛抱、二にも辛抱。なんて言ったら向こうも同じこと
    言ってるだろうね。中途は半端な人間が集まって(つまりは似たもの同士、同志?)るもん
    だからね。
     残念でした、同じB型でした。わたしは、「やっぱり!」って言われますね。あまり、占いとか
    迷信を信じないんで、他の家族から嫌われていますよ。(TVではこういう番組多いから)
     人間多面性を持っているから生きていけるんだと思う、これが一面だけだったらきっと生き
    て行くのは辛いかもね。(気の毒な人もいるから滅多なことは言えないだろうけども)

  8. >マックさん
    まあ、そうだったんですか? ブログ人でみるかぎり、「やっぱり!」ではなかったですよ。
    繊細で、細やかな感じがして・・・。占い、迷信、今は私も、全く関心ありませんというか、排除するぐらいですが、
    若い頃は、星占いや性格判断に関心がありましたので、気持ちはわかります。何かに答え、根拠を求めているというか・・・。
    ともかく、人は多面性を持っている・・・納得しました。今後とも、どうぞよろしく!

  9.  はじめまして<(_ _)>
    失礼とは思いますが、「山田くん座布団2枚もって来て!」
    的を突いた表現に、衝撃しつつ、しみじみうなづき、私。
    四角いコタツに、義父母・夫・義理妹 4人座れば
    私のスペースはありません。って事なのよね~。
    今日は、私から、はしばみセーラさんに、「座布団2枚」 
    また遊びに来ます。
     

  10. >豆ぞー♪さん
    はじめまして。ようこそ、お出でくださいました!有難うございます。
    初っ端から、過分にお褒めいただいた?ようで、恐縮いたしております。
    また、そちらにも遊びに伺いますね。どうぞ、よろしく!
     

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