3連休の一番最後に、近くの美術館で開催されている、宮沢賢治展に行きました。
宮沢賢治の生涯を紹介する第1部と、
賢治童話をたくさんの絵本原画で紹介する第2部で構成され、宮沢賢治ワールドを堪能しました。
*館内撮影禁止のため、ここにあるのは、チラシなどからの写真です。
童画家の茂田井さんの作品は、日本橋図書館(9.28~10.24)や、安曇野ちひろ美術館にもあるということです
宮沢賢治といって、まず思い浮かぶのは、やはり、「雨にもまけず、風にもまけず、・・・」ですが、今回は
その直筆の手帳が特別に展示され、また、賢治による絵画5点も確かに展示されてありました。
もっとも、本物展示は日が限られていて、昨日はレプリカのようでしたが。
先の詩の他にも、「永訣の朝」は中学3年の国語で、
また中1ぐらいに、「よだかの星」も教科書の出ていた気がします。
娘達の時代には、「やまなし」や「注文の多い料理店」がとりあげられていたようです。
岩手の自然を愛し、お話の中に、地元の言葉を多用して、独特のリズムで視覚的幻想空間をよびおこさせるものが多いので、多くの画家がその世界を表現することに情熱を燃やしたとありました。
また、賢治が生前に出版された「注文の多い料理店」の序文には、
「粗末な食べ物と服装でも、光に照らし出されてあらわれるすがたは何ものよりも美しい」
というようなことが書かれているという説明が印象に残りました。
今まで「銀河鉄道の夜」には、なかなか入り込めず賢治の世界は苦手でしたが、
賢治は、岩手の財閥の長男に生まれたにもかかわらず、自然を愛し、自分の住んでいる地をイーハトーブ(理想郷)と名づけ、貧しい農民の暮らしを向上させることに全力を尽くした、とても心の清い人だったことを改めて知りました。
宮沢賢治の童話の世界は、大自然をバックに、人の心をあるときは風刺し、
鋭い視点からのメッセージが織り込まれていることも感じることができました。
そういう意味からすれば、宮沢童話は、私の好きなアンデルセン童話にも、通じるところがあったのに、
十分には入り込めなかったのです。
「どんど晴れ」をきっかけに、関心アップ、印象アップの岩手との、今年の出会いを大切にしたいと思います。
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読書の秋ということで、今興味を持って読んでいる本は「生物と無生物のあいだ」という
今、売れている本です。科学的な、アプローチながら、人間とはを改めて考えさせられています。
追記 今日は中秋の名月
午後8時半頃のお月様です。昨年よりも、きれいに撮れました。
月だけのは、4倍ズームでフラッシュなし、ナイトスナップモードで撮りました。
セーラさんこんにちは~
中秋の名月、こちらでもきれいに見えました。
私もカメラを持ち出して、写しては見たものの、全部ぶれてしまい失敗に終わりました。
セーラさんは,ちゃんとま~るく撮れていますね!
宮沢賢治展、やっているんですね。
賢治は、花巻市の生まれなので、花巻に行くと、賢治記念館があります。
賢治の独特な雰囲気を出した、いい記念館ですし、その他にも、お話のモデルとなったところがいろいろあります。
我が家の近くの、岩手大学の構内に、賢治が学んだ岩手高等農林高等学校の建物が残されています。
文学には、(いいえ文学にも)弱い私なので、賢治の世界は、入りやすそうでいて、奥が深く、難解です。
でも、私の好きな分野です。
どんと晴れをきっかけに、岩手に興味を持ってくださって、ありがとうございます!!
そろそろ終わりますね~~
>ゆんさん
コメントありがとうございます。
宮沢賢治展、花巻市とわが市と昭和59年から友好都市の関係にあり、
そちらの萬鉄五郎記念館のかたとの協同企画により、実現したそうです。
ということで、そちらからいろいろお借りしているのだと思います。
岩手への関心は、「どんど晴れ」以前に、ゆんさんのブログで美しい岩手山を見せていただいたことから
始まったのが、真実のことなんです。そのあとも、四季折々出かけなくても、ゆんさんのブログを開けば、
美しい自然に会えていつも嬉しく思っています。ほんとうにありがとうございます。
「どんど晴れ」は、いい視聴率だったようですね。
人を信じる心、もてなしの心、幸せにする笑顔、座敷わらしが見え隠れする世界を
楽しめる人が多いのは嬉しいことですね。 「どんど晴れ(めでたしめでたし)」で、終わりそうですね☆
宮沢賢治と言えば、わたしがいっとき高校で国語の講師をしていたときに、生徒に話して聞かせたことを思い出します。
それは、のちに著名な小説家となる男(残念ながら、誰であるかは忘れてしまいました)が、まだ無名のときのことです。
男は、自分の才能に疑いを持ち、生きてゆく為にもやむを得ず、農業人として生きることを考えます。
そして、当時は農業指導家として名を馳せていた、宮沢賢治に突然の手紙を書き、農業を一から教えてくれるよう頼み込みます。
男は、宮沢賢治が作家だということを、全く知らなかったのです。(もしかすると、作家としてはそれほど有名ではなかったときかもしれません)
そんな不躾な手紙にも、宮沢賢治は快く申し出を受け、彼を自宅に招きます。
そこで男は、農業指導よりも作家としての指導を受け、才能を開花させました。
それは偶然手にした、授業の為の参考本から知ったことでしたが、なぜか今でも脳裏に張り付いています。
また、宮沢賢治の作品は、どれも完成したものがない、とも言われていますね。
それほど何度も手直しを繰り返したことは、有名な話です。その気持ちは凄く分かります(汗)。
『銀河鉄道の夜』においては、手直しをした部分が行方不明になったそうで、結果として不思議な物語となり、多くの人にそのように認知されてしまったと聞きます。
このように、誰もが知っているようで、実は知らないことの多い作家でもあります。
友好都市という関係から『宮沢賢治展』が開催されたのですか。それは本当に幸運でしたね。
きっと、誰もが知らないことも、多く紹介されていたことでしょう。良い経験ができたようで、羨ましいです。
>ヘンリ マコトさん
コメントありがとうございます!
昨日から、新潟に来ていてお返事が遅くなりました。
宮沢賢治のこと、やはりというか、いろいろご存知なのですね。
宮沢賢治に、教えを仰いだ後の有名作家さん、いい出会いをされたということですね。
賢治も、37才という若さでなくならなければ、自分の作品が認められる日をみることができたでしょうに、
また、「銀河鉄道の夜」も、手直しをおえて世に出ることが出来たでしょうに、残念です。
今回、私が知らなかったことはたくさんありましたが、目玉は、賢治の自筆の手帳と絵画のようです。
雨にもまけずの詩には、玄米○号と野菜を少しなどと言う記述には、健康面にも鋭い洞察があると感じましたが、
この詩が書かれたのがすでに亡くなる少し前ごろというのも今回知り、これまた残念に思いました。
ヘンリさんは、高校の先生をなさっていたとか、優しく熱心な先生だったのでは?
今日のマックは小康状態といったところです。ただ食欲はいまいちらしく口元に差し出さないと食べません。しかし散歩の意欲は出てきたみたいで、入り口ドアのところで散歩をねだる仕草をするまでになってきました。気温も低くなって、あるいは快復する可能性も出てきましたね。
TVはいま番組改編時期で特番が多いですね。今晩は島田伸介を観ています。泉ピン子、武田鉄也、西田敏行などのベテランに名前を知らないと言われた若手は少しかわいそう、でした。(申し訳ありません、ここまでは本文のコピーです)
コメントありがとう。宮沢賢治のお話興味深く読ませてもらいました。何時も思うのですが無名の者が見いだされて名をなすということは実力は勿論でしょうが、チャンスに恵まれるということも必要でしょうね。才能に恵まれながら世に出ることなく一生を終わる者もいるのでしょうね。
こんにちは
宮沢賢治といえば、真っ先に思い浮かぶのは「雨にも負けず・・・」です。
貧しい家に生まれたのかと思っていましたが、そうではなかったんですね。意外でした。
「注文の多い料理店」は子どもの頃読みましたが、あまり深い意味を理解できてなかったと思います。
大人になってから童話を読み返すのもいいかもしれませんね。
月の写真、きれいに撮れてますね。
なかなかここまで大きくくっきり撮れないです。さすがですねぇ。
>マックさん
マック犬、ちょっと元気が出てきたようで何よりです。でも、まだまだ注意が必要ということですね。
くれぐれも、お大事になさってください。
宮沢賢治、見方によっては、短い生涯にエッセンスを出し切って、その生涯のすべてが、
その後の評価にもつながっているのかしらとも思います。
だれの句か、「散る桜、残る桜も、散る桜」というのがありますが、人の一生について考えさせられもしました。
>はまおとめさん
中秋の名月、何枚かはラグビーボールや、ひょうたんみたいに撮れてしまいましたが、
いいのが、どうにか1枚撮れて嬉しく思って載せました(^-^)v
今回の宮沢賢治展で、賢治はとても熱心な日蓮法華経の信者だったとありました。生家は浄土真宗で
宗派が違っていたとか。童話の中にもその考え方、生き方を反映させているので、奥が深いお話が多いのかもしれませんね。
大人になってから読むと再発見できる童話ということで、また読んでみようと私も思っています。