追憶紀行

今回の旅の目的は、父のお墓参りでした。
早いもので、かれこれもうすぐ5年になります。
関東に住む私としては、気になりつつも、お墓参りは、夏のお盆の頃と2月の命日の頃と、2回に決めていましたが、
今回は、遠くに住む兄がお墓参りに来るということで、旧家族が集まれる良い機会なので、
万障繰り合わせて出かけることにしました。
 
母は、もうすぐ79歳という年齢を感じさせない精神力の持ち主で、生活環境にも恵まれて
”遠くの親戚よりも近くの他人”共同体で、意欲的に暮らしていることが、何よりもありがたいことです。
 
もうすでにそれぞれの日常生活は違うステージであっても、元をたどれば同じ源流に行き着く支流。
 
今回は、お墓参りの後、早い時間に天王寺に戻れたので、天王寺駅から南の松崎町一帯を散策しました。
この場所は、旧私達家族が、18年間住んでいた場所。私にとっては15年間義務教育を終えるまでいたところです。
ここの移り変わりを、私は5年おきくらいに歩いては追憶に浸ってきましたが、兄にとっては、相当な年数を経ていたようです。
 
ふりかえってみれば仮住まいの場所ではあったものの、子供時代を過ごしたこの場所は、懐かしい原風景をたどる宝庫なのです。しかし、道は昔のままながら、建物は8割が様変わりし、変わらず残っている木造家屋は、過ぎ去った年数の長さを物語っていました。
 
「まるで浦島太郎やな」ー ♪ もといた家も村も無く、道に行きかう人々は顔も知らない者ばかり♪
 
今思うと狭い一帯にある、母校の、幼稚園から高校までを一巡りし、追憶の旅を終えました。
 
 
 

追憶紀行」に2件のコメントがあります

  1. おはようございます。あーっ、そう言うことだったのですね!(お墓参り!)
    てっきり「鉄道旅行」に目覚めて「乗り鉄」出もしてるのかと思いましたヨ!(笑)
    子供の頃に暮らしていた場所って長年行かないとどうなっているかとフト思うときが自分にもあります。
    自分も小学生の頃父の仕事の関係で長崎市の社宅にしばらく住んでいたことがあります。
    そして事ある度に変わったであろう街並みや残っているかどうかもわからない社宅を思い出していました。
    そして両親が亡くなって翌年、ほぼ強引にチャンスを作り「寝台列車」で「乗り鉄」してワザワザ長崎の社宅を訪れました。
    そのまま残っていて当時の忘れかけていた記憶、景色、香り、その他がドカーンと蘇りました。
    その時単純に理屈無しでここまで来て良かったなぁと思いました。
    「追憶の旅」・・・・・とても良いものですネ!\(^o^)/

  2. >macon5さん
    共感してくださってありがとうございます!
    macon5さんも、同じような体験をなさっていたのですね。私の場合は、実家に帰るついでに
    足を延ばせる場所ですが、それでも懐かしさがこみ上げるのに、さぞや、感慨深かったことでしょう。
    長崎は、娘達が旅行で行ったことがあり、話に聞くだけですが、とても関心を持っていて
    いつか行きたいところです。いいところに住んでいらしたのですね。

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