毎月、第2土曜日開催の「東海道ガイドウオーク」、今回は品川宿を歩きました。
暑くも、寒くもなく、五月晴れの心地良い気候の中、平坦な道を10km、御殿山から鈴ヶ森まで歩きました。今回も、目からウロコがいくつかありました。
集合場所は、JR品川駅東側、品川セントラルガーデンの高層ビルの中の広場に集まりました。ここは、新しい都市空間というのがピッタリの場所で、緑も、良く管理された中に気持ち良く配置されていました。
出発にあたっての説明で、品川駅の東側というのは、江戸時代には海だったというのを聞いたのが、まず第1のビックリです。
京急をくぐって西側の御殿山があったという場所の説明を聞きましたが、今は緑の公園は見えるもののビルなどの建物が立ち並んでいました。黒船来航でこの山の土を大量に削ってお台場建設がなされたようです。京急の踏切を越えると旧東海道に入りますが、この絵にもあるように、旧東海道は海沿いだったのです。
程無く、問答河岸の碑と土蔵相模の碑がありました。
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「海近くして 遠海寺(東海寺)とはこれいかに」と家光
これに対して「大軍を率いて小軍(将軍)と謂うがごとし」と沢庵和尚が返した
ダジャレ問答のこと
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土蔵相模のあった場所は、今はファミリーマートになっていました。
ー1798年、大鯨が迷いこんで江戸中の評判になりました。
これは、品川宿本陣跡の公園。品川宿は、江戸から2kmくらいのところなので、泊り客は侍と僧侶のいわくある人たちだったので、
「品川の客ににんべんのあるとなし」という川柳があるそうです。
しばらく行くと、道路の向こうに大きな品川神社が見えてきましたが、これは北品川の鎮守で、これに対して南品川には荏原(えばら)神社があります。
北品川と南品川は、目黒川で別れていてそこにかかっている橋が品川橋ですが、先程の南品川の荏原神社は今は川の流れが変わって、北品川にあるということです。
品川橋をわたって、南品川を進んでいくと、品川寺(ほんせんじ)というお寺がありました。ここで第2のびっくりです。品川(しながわ)神社と訓読みするのは、神社が日本のものだからで、寺は中国由来のものなので、品川(ほんせん)寺のように音読みするのだそうです。
鮫洲八幡神社には、珍しいものがありました。この灯篭は、江戸時代には灯台の役目をしていたということで、第3のびっくりです。
花が植えられている運河の堤防で、お昼です。花街道と言うそうです。お天気が良かったので、気持よくお昼がいただけました。
昼食後、この運河を下って行った先に、龍馬ゆかりの土佐藩の「砲台跡」がありました。
そこから、立会川にそっていくと、浜川橋のところで旧東海道に戻りますが、ここが江戸時代に罪人がこの先にある鈴が森刑場に送られるときに家族と別れる場所ということで、「涙橋」とも言われていると説明がありました。昔は、今より刑は厳しく残酷なのは、日本史でも習った記憶がありますが、ガイドの人の「だから、江戸時代は今より犯罪は少なかったはず」という説明は納得できませんでした。
最後の解散場所は、磐井神社。「心正しい人が飲めば清水となり、よこしまな人が飲めば塩水となる」といわれた磐井の井戸というのは、今は神社の外にありました。
ここで最後のびっくりですが、出発地点のJR品川駅というのは、実は品川区ではなく港区だったのです。品川区を少し出たところにありますが、それでも名前は品川駅。詳細はわかりませんが、そこにはまたひとつお話がありそうですね。
今回も、江戸のころにタイムスリップして歩いた1日でした。
*朝のNHKニュースで、都会の中に生える筍のことが話題にされていました。よく見るとそこは、今回の集合場所のJR品川駅東側のビル街の一角。
あそこだ、と思いながら見ていましたが、最後にレポーターの人の「港区のJR品川駅・・・から中継しました」の言葉。何て私にとって旬な言葉でしょう!今回のウオークに参加しなければ、この言葉が耳に残ることは無かったのかもしれませんが。(5/11追記)
今回のウォーキングも盛りだくさんで楽しそうです!普段知ってるようでも 改めて説明を聞くと新しい発見があって得した気分になりますね。東京には江戸の名残がいっぱいありそうだし、ポイントを絞って巡ってみると面白そう。お天気も良く お弁当も美味しかったことでしょう(。・_・。)ノ
>こころ きら星さんいつもありがとうございます!ほんとうに、おっしゃる通り、ポイントを絞ることで、毎回新鮮な発見がいっぱいのウオーキングを楽しんでいます。幸い良いお天気で、河川敷でコンビニのおにぎり(^_^;)をほおばりましたが、雨だったらどこで食べたんだろうと思いました。20人位の人数がひと班で、それが10班位の大人数ですから。