1年前から、予定に入れていた姪の結婚式に無事出席し、戻ってきました。
結婚式出席は、自分の結婚式の頃に友人の結婚式などに出席して以来、何十年ぶりかのことでしたので、そのことだけでも、さて服装は・・・から始まり、考えることが多くありました。
昔と違って、兄弟が少ないこともあり、今回は家族全員で出席、場所は関東から離れた、北海道でしたので、結婚式&家族旅行のようなところもあり、飛行機や交通機関のスケジュールを立て、全員が健康で行って来られるようにと神経をすり減らしていたところもあり、無事終えられたことへの達成感と開放感を感じています。
中でも、一番神経をすり減らしていたのは、母でしょう。81歳、大阪で一人暮らしをしていますが、結婚式当日、新千歳空港で、私たち家族と待ち合わせをして、行動を共にしました。
このために、母は、当日健康で、迷わず、遅れずに行けるのかと必要以上に心配して、1週間前からは食事制限をするぐらいの気の使いようだったのです。
かくいう私も、出発4日前まで、発熱の風邪で、家族に心配されていましたが。
宿泊のホテルで着替えをしたあと、兄と合流してお相手のお父様に紹介していただくあたりからは、気分は一気にハイモードです。
というのも、相手はカナダ人。結局、笑顔だけで、一言も発せずに終わりました。
神社での挙式のためのバス移動など、そこからはカナダディアンご一行様と一緒で、国際的な雰囲気の中に時間が過ぎて行きました。
結婚披露パーティーは、また場所移動をして、フランス料理の式場と聞いていましたが、お料理がフランス料理である他は、すべて和のイメージ。
日本の伝統文化を見せる工夫が凝らされていました。
司会、スピーチ共、カナダの父以外は、すべて英語と日本語で2回話すところが、国際的な雰囲気を増していました。
時間も取るからでしょう、スピーチは両家の父と、来客2人、新郎、新婦 の6人でしたが、沢山の話を聞いた気分になりました。

兄の家族は、姪が幼少の頃と中学生の頃に海外に住んでいたことと、兄嫁が英語教室をしていたこともあって、姪の語学力が磨かれたことが今回の縁につながったようです。
英語は今や,話せて当たり前とも言われる時代ですが、島国日本では、日本にいる限り、英語を話さなくても不自由しないし、話す機会もないことが、日本人が英語を話せない一番の原因であることを改めて思いました。
自由な場面で、あちらの叔母に当たる人が話しかけてきて、ほとんど単語だけの会話をしましたが、もしこのような人が身近にいつもいるのなら、古い知識を絞り出して少しは話せるようになるだろうと思いました。
この人は、日本語のガイドブックを手に、なかなか積極的で、面白い人でした。
カナダご一行様には、どのように日本が見えたでしょうか?国によって、違う言語を話すことが今さらながら不思議に思いました。
二つの言葉を自由に話せる人は、そんなに沢山いるわけではありません。そのような、機会と才能に恵まれたこのカップルは、きっと二つの国を結ぶ架け橋になってくれることでしょう。
そんな、思いにさせられた、非日常的で、グローバル気分の1日でした。