5月18日、あるく会主催の「石垣山一夜城公園巡り」の全10kmのウオーキングに出かけました。
一般参加費400円。箱根登山鉄道の入生田駅に集合し、準備体操をしてから出発です。入生田駅といえば、近くに樹齢340年の見事な枝垂桜で有名な長興山があります。
まず、石垣山とは反対方向ですが、紹太寺の門から入って長興山の二つの名所へ向かいました。途中かの枝垂桜はもう初夏なので、周囲に同化する緑の姿になっていました。目的の名所一つ目は、「鉄牛和尚の寿塔」。もう一つは「春日局」の墓標がある稲葉一族のお墓。
鉄牛和尚の寿塔 春日の局の墓
今回は、ガイドウオークでは無いせいか、説明を聞くことはありません。その辺の案内に書かれていることを自分で読んで納得するのみです。長興山の下りは、別ルートで長く急勾配の石段です。こちらから上るのでなくてよかったと思いました。
元の入生田駅に戻り、線路を超えて駅すぐにある「生命の星・地球科学館」で小休憩したのち、川を越えて反対側の石垣山へと向かいました。
小田原は、よく来るのに、この石垣山の存在は全くと言っていいほど知りませんでしたので、新鮮な感じがしました。初めのところの道しるべには、頂上まで2300mとあり、ゆるやかなカーブの車道の脇をぞろぞろと登って行きました。
途中の道にもガイド看板があったりして、歴史的な道であることが感じられました。途中から、山道へ入って行きその途中でも1回休憩。参加者のほとんどが定年後のリタイヤ組の風情の方々ばかりなので休憩が多いのでしょう。その中ではヤングな私たちは、さわやかな気候とも重なって、かなり余裕のウオーキングでした。
ほどなく目的地の二の丸公園に到着して、お昼休憩になりました。たっぷり1時間半くらいあったので、周辺を散策したり、少し下ったところのパーキング横の洒落たお店でソフトクリームを食べたりできました。
石垣山の頂上からは、小田原の市内が一望でき、松田断層の北米プレートとフィリピンプレートの境目が確認できました。石垣山というのは、豊臣秀吉が小田原の北条氏を倒すために一夜で築いた城と言われているそうですが実際は80日間4万人の人が動員されてできたということです。
帰路は、みかん畑をながめながら反対側を下り、「海蔵寺」→「小田原漁港」と行き、すぐ近くのJR「早川」駅で解散しました。
海蔵寺にはちょっと珍しい木がありました。「ビラン樹」といい四国、九州、沖縄に生える木でこの辺は北限とか。成長と共に幹があかくむけていくので、「バクチの木」「ハダカの木」と呼ばれているそうです。
小田原港の海に面したところは、小田原提灯型の灯台が見えるほかは高速道路の高架とテトラ壁で何とも殺風景な感じでしたが、1軒だけガイドブックに出てきそうなお店がありました。また、少し戻ったところの小彎に船やらがあり、港だなと実感できました。
10kmはきついかもと思っていたので、意外と楽勝感はありましたが、ふりかえって坂道や石段など、カラ元気で頑張っていたかもしれません。私にとっては、ちょうど良い内容だったと思っています。
18日って思わずカレンダーを確認しました。
というのは、息子たちが同じ日に石垣山一夜城に行っているのです。
ウオーキングではなく、鎧塚さんのお店が目的のようでした。
私もずっと以前ですが、行ったことがあります。
人一人居ず寂しい感じでしたが、山頂からはすばらしい景色を望むことができました。
10kmのウオーキングは結構長く思いますが、楽勝とは歩きなれたのかもしれないですね。
私もそういう楽なウオーキングに参加してみたいです。
鎧塚さんのお店というのは、駐車場のところにあった
お洒落なお店のことかしら?パンやケーキ、クッキーなどが
並んでいました。この日は、私たちウオーキングの50人くらいの軍団のほかにも、お客さんがいっぱいいましたが、山の方は、私たちがいても
閑散とした感じでした。普通に行ったら人っ子一人いない場合もありというのはあり得る感じですね。
息子さんたちもいらしたのですね。あの日に。私も、もし次行くなら、お店目当てで行くかも。ソフトクリーム以外は十分吟味する時間が無かったので。
楽勝なんて書きましたが、その翌日(二日前)から体調が悪くなり
ウオーキングの疲れかなと思いました。孫の相手で元気を取り戻して、今日は夜更かしです。またぶり返しそうな予感。