先週の日曜日、今まで行く機会を逸していた岡崎地区のガイドウオーキングに参加しました。
北に位置するこの地区の公民館などは、行ったこともあり全く知らないところではないと思っていましたが、説明を受けて実際に歩いてみると、知らない発見が山ほどあり、何よりも印象がガラッと変わって好感度がアップしました。
この日は、秋晴れの晴天で、その2,3日前に寒波で富士山が真っ白に雪化粧して美しい姿を見せていました。
今回、ガイドをしてくださったのは、この地区に在住の女性の方です。高倉健と同じ年齢と聞くまでは、10歳くらい下の年齢を思うくらいの、明晰で心身ともにタフな方でした。初めの説明で、この地区には山が4つあり、順番に巡って行くので、上れば下るという地形であるということでした。
1番目に訪れた山は、岡崎公民館。ここの建物の前には、この地区の主人公ともいえる岡崎四郎義実の像がありました。源頼朝の旗揚げの頃の功臣ということで、相模国の豪族、三浦善継の四男でこの岡崎の地に住んだことから岡崎の名を名乗っているということです。
この岡崎にはこの平安末期から室町・戦国時代初期にかけて岡崎城なるものがあり、その址が残されています。先の公民館横から階段を登ったところに岡崎神社があり、由緒ある美しい寺のような神殿がありました。この岡崎神社は、先の義実の頃の岡崎城の中心であった場所ということです。
次の山の岡崎小学校は、一気に時代をさかのぼり、縄文時代から古墳時代にかけての遺跡のある場所です。岡崎小学校が建て替えられるときに大規模な発掘調査が行われ、今回ガイドをしてくださった方もそれに参加したと話されていました。五六千年前、この辺りは近くまで海の迫る場所であったということです。市の博物館前の地面にある敷石はここから発掘されたものとか、キツネノカミソリという植物の球根が大量に発掘されたの珍しい発見ということです。上の入り遺跡というそうです。
次の場所に移動は、予告通り下ってまた上るということが何回か繰り返されましたが、海抜28mあるという山の手からの眺めはとても美しく、アップダウンの地形も横浜にでも来た気分で、今まで田舎と思っていましたが一気に山の手の住宅街に塗り替えられました。
広い県道をさらに北に上って行った辺り、住宅が途切れ開発中の山林にさしかかったところの奥に、義実の墓らしきものがあり、土手の向こうは隣の市という際を歩きました。途中、室町時代末の岡崎城の空濠跡などを見ながら、無量寺に行きました。ここの敷地はわざわざ切り取った感じに、隣の市の区域になっています。室町末期の岡崎城の本丸があった場所ということです。
お城と言えば高い天守閣を思い浮かべますが、岡崎城はそれ以前のお城で、地形の高低差などを利用して、敵が侵入しにくい立地に建てらたということです。そのため、当時の城の主の三浦義同から、北条早雲が岡崎城を落とすのに17年かかったということです。
解散地の紫雲寺に向かう途中、大御住グランドを眺める辺り、メタセコイアの紅葉が見られる風景、青空に映えて異国情緒さえ感じられました。
1週間前のことですが、まだ感動は冷めていません。