母の入院

2018年、年が明けて早半月が経ちました。

年末の27日に、大阪の母が急に入院することになりました。その日は同居中の兄が年末年始を自分の家族と過ごすために北海道に出発した日でした。

兄が戻るのは1月8日。その日まで母は、元の一人暮らしになるので、年末年始辺りを次女が、5日から8日までは、私が行く計画をしていました。途中何日か一人の時もあるけど、毎晩の電話もあるし、大丈夫と思っていました。

しかし、多分きっと、母は不安に思っていたのだと思います。

エレベーターで蹲り、立てなくなったところを、近所の人に助けられて、家まで連れて帰ってもらったけど、近所の人が心配して救急に連絡し、結果入院となったのです。

病院は立てなくなったくらいでは帰らされてしまうところですが、母の場合、まずインフルエンザ陽性と言われ、ほかにも悪い結果が出て入院になりました。入院は、兄と私のところに知らされることとなり、電話で逐一検査の結果が報告されました。心不全の兆候があり、起こりえる悪いことは色々あるように言われ、まさに青天の霹靂でした。

北海道の兄は急には戻れなく、私も翌日に飛んで行くわけにもいかない事情もありました。

それで三日後の30日の朝一番で出かけることにし、二日間でこちらのお正月準備と、向こうの準備あれこれをして出発しました。これが、始まりです。

これ以前とこの後では、母の何かが違ってきたように思えます。病院というところが、それを引き出したように思えますが、多分徐々に母の変化は起きていたのかもしれません。母も私も兄も、それを気付きながら、正常性バイアスが働いて、認めていなかっただけで。

重篤な病状のように言われ、インフルエンザのこともあり、集中治療室に近い個室に入っていた母は、意外と元気で、座る元気もありましたが、とにかく家に帰ると言って周りを困らせていました。私と話をするとかなり落ち着いて、それは言わなくなったのですが、次のポイントとして、もともと弱かった足が本当に動かなそうになっていたこと、母の聴力がかなり衰えていることに加えて、認知機能が下がっていることが心配でした。

IMG_7517家から、毎日つけている「主婦日記」、雑誌、ラジオ、またお絵かきノート、折り紙などを持って行くと、少し意欲は見せますが、以前との隔たりを感じました。

話ができるように、携帯電話を新たに契約して持っていきましたが、簡単な操作がしっかり身につかないし、指の力も足りない状況。

年末には次女も予定通り来て、2日に私も一緒に帰る予定にしていた私は、事態を理解していなかったようです。この日を敏感に察した母の心に大きな乱れがあり、私は帰るのを思いとどまりました。その後は、8日に兄に引き継ぐまで、母を見守るつもりで。

帰らないでよかったと本当に思いました。病院でじっくり付き添わなければわからないことは沢山ありましたし、実家の住まいの方もより整えることができたからです。(母は病室で89歳の誕生日を迎えました)

予定通り、兄に引き継ぐことができ、9日に関東の我が家に戻りました。関西と関東は、静岡構造線辺りで、本当に変わると思います。冬の関東は澄みきった冬晴れの中、凛とそびえる富士山が眩しいところです。自分の街の駅で降りて家路に着く道中がすべてお話のようにすてきだなと思いながら帰りました。

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毎晩かけていた母との電話は、今は兄と、母の様子を話すようになりました。

母の退院のスタイルを、今模索中です。その時にはまた母の娘が参上して、役に立ちたいと考えています。

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