10月10日から15日まで大阪の母のところへ行ってきました。単身大阪で仕事をしている兄が自宅に帰省して実家が長期留守になるタイミングを見計らっての予定で、チケットも消費増税前の9月に手に入れていました
そんな中私の叔母の訃報が入り、大阪出発の2日前に東京の葬儀に出かけました。私にとって最後の叔母で享年99歳でした。6年前に97歳で亡くなったご主人様の葬儀がついこの前のことのように思いつつ参列しました。私の従兄弟である息子さんは19年前に亡くなっており、ご家族と駆け付けた親戚だけの総勢17名で見送りました。普段は、交流のない人々とも1人の人を通してつながれる時間であり、しばし故人をしのんで過ぎ去った年月を振り返るひとときでした。
脅威の台風通過の二日前に大阪へ出発。翌日は母のホームへ。12日は大型台風なので関西も油断ならないとのことで、食料を買い込んで終日家にいましたが、幸い雨が普通程度降っただけで、強風を感じることはありませんでした。
関東直撃ということで、夫と娘たちに、電話やラインで万全な対策をとっているか夫々聞いて気持ちを落ち着けていました。対策は主に強風対策で、家回りの片付けや、窓の補強のことばかり気にしていました。スーパーの食糧がごっそり空になっているというのも聞いて、皆停電、籠城の場合の対策も多くの人が考えていることを知りました。
台風が近づくにつれ、風というよりも川の氾濫の脅威が高まっているニュースが主となり、城山ダムの計画放流のことなどが再三ニュースになって、自宅は相模川水系の流域にあるので、その夜は気が気ではありませんでした。朝になって相模川は氾濫していなかったのがわかりホッとしたのも束の間、他の沢山の川が氾濫していてあちこちで被害が出ていたのには、全く絶句としか言いようがありませんでした。その後日を追うごとにその被害の全貌が大きく報道され、今回の台風が今まで経験したことのない雨台風だったことを知ることになりました。
温暖化が言われる中、今後の対策をどうするか。老人が増える世の中ですが、知恵を求めるしかありません。
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台風が去った翌日、大学時代の友人と大阪駅で待ち合わせして、8年ぶりに再会しました。午後1時から、ランチ3時間。話すことがお互いに山のようにあり、もともと似た状況もいくつかあったこともあり、話すこと話すこと「同じ同じ」を連発しながらあっという間に、近況報告だけで終わりました。
いつも通過するだけの大阪駅、改札を出て一回りする世界は未知の世界でした。8年前もすでに現在のようであったかもしれませんが、今回は待ち合わせ1時間前に来て散策したので、全貌がわかりました。時間のたつのは早いし、風景も刻々と変わって行くのを感じます。
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今回の大阪行きでは、母のホームへ行く新たな道を発見しました。実家マンションから、ホームへは直線距離で2kmですが、あいにく車は無く自転車も置いてません。なので最寄駅から一駅乗って15分歩くか、1時間に1本の国道を通るバスに乗るかのどちらかでしたが、国道沿いに歩いても30分で行けることがわかり最近ではそれも行き方の1つになっていました。
今回見つけた新たな道は、母のホームの南側に小さな川が流れていてその川が、実家マンションの横を流れている川であることに気づき、川沿いの道を通れば行けるかもと思い実行したところ、立て込んだ街中のオアシスのような側道がずっと続いていて、マンションの横の神社の公園まで来ることが出来ました。この道はなかなか癒しの道です。
14日の日には、和歌山の親戚の人が母を訪ねてホームに来てくださいました。父方の本家の人たちで、短い時間でしたがありがたいことと、感謝の思いでいます。
短い間に様々なシーンがある、充実した大阪滞在でした。