日本が、いえ今や世界中に広まったウイルスの影響で、お出かけ、集まりが自粛される3月ですが、母の突然の入院の知らせがあり、生活の変化に伴う応援のため、移動に注意しつつ、大阪へ行ってきました。
今回の母の入院は突然の出来事です。病名は、足の褥瘡の治療のため。そもそも、始まりは11月に母が転んだことから始まります。どの程度の転倒かは本人しかわからず、様子からして骨折はしていないものと思われていて、この頃は、湿布薬のみ。1月に母のところへ、行ったときに右足が曲がっていたのが気になり、その後のしらべで骨折がわかりました。
整形外科医院で、応急のギブスをし病院を紹介されたものの、さらに違う病院に回され、その病院では手術しても回復はむつかしいと諭され、2月から自然治癒を促す超音波治療を始めたところでした。この超音波治療は、機器をレンタルし家で1日20分患部にあってる治療です。
これを、ホームに了承してもらって行っていたところに、今回の落とし穴がありました。母の骨折は足首で、下肢を覆うギブスは上半分を切り取り包帯で巻いて固定していましたので、超音波を当てるときはギブスを外し、終わったらかぶせてまた包帯を巻きなおすということを行っていたようです。
毎晩の母との電話で様子を聞いていましたが、5回目が過ぎたころ、足が痛と言っている時がありましたが、次の日は大丈夫と言っており、ギブスが当たっている場所が痛いのがそんなに大事にいたるとは想像できなかったのです。
父が亡くなったあと1人暮らしであった母の後見人としては、現在近くにいる兄が主として受け持っていて、対応に当たっていましたが、兄がホームの人の話から危機感を抱いて病院へ連れて行くまで、1週間が過ぎていました。その間、訪問看護の医者も来ていましたが、大した傷とは感じていなかったようです。
かかりつけの病院に見せたところ、これはひどいといわれ詳しい検査の結果骨髄炎は起こしていなかったのが幸いでした。ドクター曰く、この褥瘡はなかなか治りにくく、骨折してることを考えると切断した方が早く治るといわれたそうです。
この言葉は、なかなか衝撃的なものでした。もちろん、足として機能しなかったとしても、命か足かという事態にならない限り、治療してくださいとお願いして、治すための緊急手術をしてもらい入院となったわけです。
病院へ行った時の母は、事態を正確には把握していなく、私が行った時には案の定明日にでも退院したいようなことを言い始めていました。しかし、簡単には治らないことは実感しているみたいで、退院してしっかりケアーしてもらえるところがあるかの心配をしていました。
母も、2年前の入院のころから認知症が始まっていると感じられるようになっていますが、印象としては脳を働かせる領域が徐々に減ってきているというのが実感です。徐々に衰える頭と体を少しでも活用させて日々を送るのが、年老いての暮らしなのだと感じます。
現在、入院から10日ほど過ぎ、治ってきているものと思っていますが、年をとってからの病気は色々な意味でハンディがあります。母は入院することになる前の晩の電話でも、大したことないと言っていました。年をとると、痛みにも鈍感になる・・・のかもしれませんが、もともと物事を楽観的にとらえる人であることを考えると、徐々に狭まっていく生活の中で、小さな楽しみを見つけ希望を持って暮らしてほしいと思います。

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関東に戻り、春を迎える楽しみの、我が家のチューリップ…ですが、何ということでしょう!覗いてみたら、葉っぱばっかりなんですよね。肥料の加減?
実は、昨年もそうだったのですが、いつもと違う店の球根だったからと思っていたのですが、原因はこちらにあったのですね。今から何か手を打つことはできるかしら?