カテゴリー別アーカイブ: メモリアル

母の誕生日

お正月3が日が過ぎるとほどなく母の誕生日が来るので、今回はそれに合わせて大阪に行きました。単身赴任のように大阪で働く兄もお正月は札幌に戻るので、実家マンションは留守宅となります。まず、母宛の年賀状を取り、苺とケーキと飲み物持参で母のところへ行きました。

E7803BE1-599D-4365-B7EC-11EF494DF8DB11月に転んで以来、ベッドから車いすに乗り換え移動する生活になっていましたが、その動作にも慣れ、変化のない暮らしと言いながらも規則正しいタイムスケジュールで暮らす母は、私の訪問を喜んでくれました。しばらくしてささやかなお祝いテーブルに気づいて、お誕生日のお祝いねありがとうと言って、苺やケーキを美味しそうに食べてくれました。

次女からお祝いを言いたいからとメールが入り、さっそく電話を取り次ぎ、嬉しそうに話していました。長女からはお菓子のプレゼントと手紙が届いていたので、お礼の電話をしなくてはと、引き続き電話をして、楽しいお誕生日となりました。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

さて今回の大阪行きでは2つの新しい発見がありました。

18852064-BAA3-4B6D-B2EE-DA2461709CF31つは市内にある実家マンションまで、新大阪からの新ルートの発見。今までは最寄り駅まで、大阪駅と天王寺駅、2回乗り換えて行きましたが、いつの間にできたのかおおさか東線という線が久宝寺まで走っていることに気づきそれに乗って行きました。これだと久宝寺で1回乗り換えるだけで行けます。所要時間は大体同じくらい。大変気に入って帰りもこのルートで帰りました。

F4C5229B-04E6-447C-9417-5CF5949CFF23

滞在の中3日間JRを使ってどこかへ行くことはなく、母のホームへ片道30分、前回発見した川沿いの道を徒歩で通い、その道は相変わらず別世界感に満ちていたので、今回ばかりは大阪に来た感じがあまりなく、母と私の狭い世界を行き来しているような旅でした。

2つ目の発見ー川の水鳥

こちらに帰る前の晩遅くに、兄が戻って来ました。母のことでの会話で一番気がかりのことは、母の転んだほうの足(下肢)、腫れは引いてきたものの明らかに曲がっていることでした。痛みはないということでしたので不思議でしたが、その後の整形外科の診察で骨折がわかりました。

病院での再診には親族の付き添いが必要ということで、明日再び大阪へ向かいます。

今年のお正月

ぬ関東地方は、今年も冬晴れ快晴の三が日でした。

お節をいただき、年賀状をながめ、箱根駅伝で馴染みの風景を楽しみながら、二日には娘たち二家族が訪問で賑やかに過ごしました。

A294FE8A-2BB6-4DD6-AACE-FE60AC7ABB20おせち料理は、昨年のお正月は体力を考えて、初めて注文お節を試みましたが今年はまた元のスタイルで、作りたいお節を計画し、購入したのと合わせて重箱に詰めました。昨年の注文お節には詰め込み方など、学ぶことがありました。

15種類詰めて、そのうち10種類が手作りです。久しぶりに料理に追われる年末となりました。

年末メモより

  • 26日 年賀状投函
  • 28日 高原花豆を煮る、大根の甘酢漬け、近隣スーパー買い物、
  • 29日 黒豆を煮る、クルミ田作り、ららぽーと買い物、塩豚ゆでる
  • 30日 近隣スーパー買い物、のしどりえび乗せシュウマイ伊達巻プルーンのワイン煮
  • 31日 パソコン作業、炒め五目煮、数の子の塩出し、近隣買い物、小豆を煮る
  • 1日  クラシックチーズケーキを焼く、

我が家の二日の集いは、次女の誕生日でもあり、新年のおめでたさと加わって、賑やかさがアップします。

 

3歳から70歳まで3世代8人のお祝いの集いを感謝の気持ちで過ごしました。三日の富士山は、まずまずの穏やかさ。明日からは、大阪の母のところに向かいます。

ED2B0900-6394-4DD7-A042-A1BEAD13B09A

 

イブの日に

珍しく冬晴れの今日、道を歩いていて、ふと、20年余り前に住んでいた京都の哲学の道のことを思い出しました。哲学者がその川沿いをよく散歩していたことからつけられた名前のようですが、道を歩くとき、想いは自由に広がっているからかもしれません。

74C16504-C62E-45EA-B57C-5DAD3C412717毎年12月は、あまり時間がありません。今年は予定も少ないし、時間があると思っていたのは間違いでした。このままだとあっという間に大晦日、そして新年へと突入してしまいます。

今年もあと少しですが、昨年と違い、穏やかでいい年でした。少しずつスローダウンしながら、いい時間を引き寄せながら、新しい年を迎えたいと思います。

 

10月中旬の出来事

10月10日から15日まで大阪の母のところへ行ってきました。単身大阪で仕事をしている兄が自宅に帰省して実家が長期留守になるタイミングを見計らっての予定で、チケットも消費増税前の9月に手に入れていました

そんな中私の叔母の訃報が入り、大阪出発の2日前に東京の葬儀に出かけました。私にとって最後の叔母で享年99歳でした。6年前に97歳で亡くなったご主人様の葬儀がついこの前のことのように思いつつ参列しました。私の従兄弟である息子さんは19年前に亡くなっており、ご家族と駆け付けた親戚だけの総勢17名で見送りました。普段は、交流のない人々とも1人の人を通してつながれる時間であり、しばし故人をしのんで過ぎ去った年月を振り返るひとときでした。

脅威の台風通過の二日前に大阪へ出発。翌日は母のホームへ。12日は大型台風なので関西も油断ならないとのことで、食料を買い込んで終日家にいましたが、幸い雨が普通程度降っただけで、強風を感じることはありませんでした。

関東直撃ということで、夫と娘たちに、電話やラインで万全な対策をとっているか夫々聞いて気持ちを落ち着けていました。対策は主に強風対策で、家回りの片付けや、窓の補強のことばかり気にしていました。スーパーの食糧がごっそり空になっているというのも聞いて、皆停電、籠城の場合の対策も多くの人が考えていることを知りました。

台風が近づくにつれ、風というよりも川の氾濫の脅威が高まっているニュースが主となり、城山ダムの計画放流のことなどが再三ニュースになって、自宅は相模川水系の流域にあるので、その夜は気が気ではありませんでした。朝になって相模川は氾濫していなかったのがわかりホッとしたのも束の間、他の沢山の川が氾濫していてあちこちで被害が出ていたのには、全く絶句としか言いようがありませんでした。その後日を追うごとにその被害の全貌が大きく報道され、今回の台風が今まで経験したことのない雨台風だったことを知ることになりました。

温暖化が言われる中、今後の対策をどうするか。老人が増える世の中ですが、知恵を求めるしかありません。

***********************

台風が去った翌日、大学時代の友人と大阪駅で待ち合わせして、8年ぶりに再会しました。午後1時から、ランチ3時間。話すことがお互いに山のようにあり、もともと似た状況もいくつかあったこともあり、話すこと話すこと「同じ同じ」を連発しながらあっという間に、近況報告だけで終わりました。

いつも通過するだけの大阪駅、改札を出て一回りする世界は未知の世界でした。8年前もすでに現在のようであったかもしれませんが、今回は待ち合わせ1時間前に来て散策したので、全貌がわかりました。時間のたつのは早いし、風景も刻々と変わって行くのを感じます。

**********************

今回の大阪行きでは、母のホームへ行く新たな道を発見しました。実家マンションから、ホームへは直線距離で2kmですが、あいにく車は無く自転車も置いてません。なので最寄駅から一駅乗って15分歩くか、1時間に1本の国道を通るバスに乗るかのどちらかでしたが、国道沿いに歩いても30分で行けることがわかり最近ではそれも行き方の1つになっていました。

今回見つけた新たな道は、母のホームの南側に小さな川が流れていてその川が、実家マンションの横を流れている川であることに気づき、川沿いの道を通れば行けるかもと思い実行したところ、立て込んだ街中のオアシスのような側道がずっと続いていて、マンションの横の神社の公園まで来ることが出来ました。この道はなかなか癒しの道です。

14日の日には、和歌山の親戚の人が母を訪ねてホームに来てくださいました。父方の本家の人たちで、短い時間でしたがありがたいことと、感謝の思いでいます。

短い間に様々なシーンがある、充実した大阪滞在でした。

 

 

夏の大阪行き

6D85DE9D-B87F-4F64-86CE-10EE4576797E
富士川

昨年の夏には、実家大阪には行けませんでしたが、今年は行ってきました。

一昨年に、毎年の行事として、8月8日の施餓鬼参りに母と兄と3人で和歌山に行ってきたことが今更ながら遠い昔のことのように思い出します。

昨年の私の一大事と母の生活の変化はほぼ同時進行でした。一昨年暮れの母の入院、年明けて退院したのもつかの間、足の衰えから家での生活に不安を感じるようになり、サービス付き高齢者住宅に要介護2で入所。そのスタート時には、私も大阪に出かけ部屋を整えたりして、母の新たな生活がスムーズに行くよう働きました。が、その後は私の方に心配事項が発生してしばらく大阪行きは遠ざかざるを得なくなりました。

その間も、6時半からの電話タイムは習慣として、ほぼ毎日行っていて、施設生活のスタート時にかかわったこともあり、母の話すことや様子は手に取るようにわかりました。一昨年末、入院した母のために簡単携帯を購入したことが、今に至るまで功を奏しています。

ようやく一段落ついて、行くことができたのは昨年の11月、そして4月にも、次女夫婦を伴って結婚報告に行くことができました。

現在母は、今の環境に慣れて大過なく過ごせていますが、年々生活が縮小していくようなのが切ないことではあります。

0D821C11-95B2-4D2C-AC60-49AD75287185滞在は4泊5日、中3日間を母のところに訪ねて行きました。いつもは大阪単身滞在の兄がやっている、医院のお薬と食べ物の差し入れを引き受け、母宛の郵便物を届けて語らいの時を持ちました。郵便物の1つは母の甥からで、母の2番目の兄の遺作の絵画作品集です。絵を習ったことがないにもかかわらず、晩年認知症の妻の傍らで書き溜めた200枚にも上る絵。母と、伯父さんを偲びながら絵を楽しませてもらいました。

 

母のワンルームは、ベッドと車いすがある他は、大型収納とトイレと洗面があるのみ。そこへ、組み立ての収納台をニ〇リで買って毎回届けてます。今回3個目の木の台を組み立てました。ようやく、色々整理して使える部屋になりました。1つは机に、1つは飾り台に、今回のはベッド横のサイドテーブルとして。

 

滞在期間はあっという間に過ぎ、また毎日の電話交流の日々に戻りました。滞在中、初日はしっかり、あと2日はちょっと危ない感じの母でしたが、電話では母らしさのある律儀な応対に戻りホッとしています。母の活動の幅が狭まるに連れ、話の中身もワンパターン化してきましたが、まだ携帯電話の着信ボタンを押して話せることが大きな救い、私と母との大きな絆となっています。

 

次女の結婚式を終えて

次女の結婚式が滞りなく終了し安堵しています。

親として元気に晴れの日を過ごせたことが何よりの感謝です。両家は、親族がそれぞれ遠方であることもあり、今回の慶事により、久しぶりの再会ができました。

チャペルの挙式後、披露宴を親族でするという流れは長女の時と同じでしたが、8年の経過もあり、また違う感慨がありました。

前日は小雨降る寒い日でしたが、この日は朝から日差しが出て、14階の窓を背にしたチャペルは祝福の光が眩しく差し込んでいました。

そしてこのチャペルでの挙式は、とても印象深いものでした。牧師さんはやや高齢の外人の方ですが日本語も話せて、温かみのあるのが伝わりました。リングガールとなった孫達にもとても優しく話しかけてくれました。

コリントの13章、愛は忍耐強い。愛は情け深い。…が朗読され、神の前に誓い、認められる場面を親族一同が見守る儀式。海外では、この儀式が入籍よりも重要とされていることがよく感じられるものでした。

披露宴では、新郎新婦を中心にゲストが楽しい時間を過ごせるように、様々な演出がありました。それで私は留袖で軽快に動けない中、スマホシャッター押しまくりとなり、少々怪しかったかなと、一段落ついた今は思っています。

写真画像を改めて振り返ってみると、ホテルスタッフが沢山関わってくださったことを改めて思います。黒子となって、あちこちでサポートしてくださいました。私の着付け担当の方も、その時だけでなく写真撮影時などに着崩れがないかチェックしてくれ助かりました。

披露宴終盤、新婦から両親への手紙朗読は、娘の心からの言葉であることを感じ、とても嬉しく受け止めました。さらっと読んでくれたので助かりました。

記念品の、同じ木で作られた3つの時計、司会の方の「新たな1つの家族がここに誕生しました」の言葉は、心に響きました。

また、一番最後のサプライズ、新郎から新婦への花束贈呈は、女性としては最も嬉しいものではないでしょうか?

新郎の温かい眼差しのもと、幸せな家庭を築いてくれることでしょう。

嬉しい1日の偽らざる感想です。

 

 

 

 

今年の文化の日

11月3日、今年は孫二人がダブル七五三の年で、半年前からこの日の予定が知らされていました。

晴れ姿を見てほしいから、もうわかってる予定があったら外すので言ってねと言われたときは、半年先の予定はさすがにないし、そもそも元気でいるのか未知数なんて思ったりしていました。

七五三を行う神社は、今回で4回目。初孫Yちゃんのお宮参り、3歳七五三、その妹Nちゃんのお宮参り、で今回のダブル七五三です。今回はダブルということもあり、娘(長女)もはりきって、私も着物をと頑張りました。

1009DFB3-EAAD-4F78-9EF5-DA1D6AD68325

10時過ぎに到着した時には、みんな着物姿に変身し、華やかな雰囲気に、一気にテンションが上がりました。Yちゃんが、開口一番お母さんもSちゃんも着たんだよねと。そうなんです。Sちゃんというのは、次女のこと。だから、私にとっては自分の娘たちのダブル七五三がまた時を超えて、再来した気分にもなりました。

夜には、毎晩電話している89歳の大阪の母にさっそく報告しました。母が私の娘たちのために用意してくれた着物が何回も役に立ち、今回は孫のダブル七五三にも使ってもらえたというありがたさ。

Yちゃんの3歳の時にそっくりのNちゃん、お姉ちゃんになったYちゃんを見ながら、節目、節目の成長をうれしく思いました。お姫さん変身が好きな孫たちは、少々の窮屈な格好は平気で、この後七五三の日をまだまだ満喫したことでしょう。

私たち夫婦は、実はこのあと毎年の文化の日に行われる横浜でのイベントに参加する予定でしたが、少々疲れたこともあり、それはキャンセルしてゆっくりした一日を過ごしました。

季節は秋、ちょうどざる菊が満開となっていました。

681BB1F4-6AFA-47A3-A994-D77D090C7144

 

 

 

 

8月の帰省

IMG_7078今年も恒例の大阪帰省の旅に出かけました。毎年8月8日の施餓鬼参りの日にに、父のお墓のある本家近くのお寺に参るのが目的なので、今年も7日に大阪に向けて出発しました。ちょうど、長寿台風が九州の方から大阪方面に向かっているときでしたので、7日の早朝出発し、お昼には実家に到着しました。幸いにもその時は雨もあまり降っていませんでしたが、台風は午後から夕方にかけて和歌山に上陸し多分東側近くを通過したようでしたが、マンション内にいるとそれほど気が付くこともなく行ってしまったようで安堵しました。

翌日の和歌山へのお墓参りは、ほどほど雲も広がる中天気はまずまずで昨年同様、兄と母と私の3人で出かけました。昨年の4月より大阪で仕事を見つけた兄が単身で同居するようになったので、今は母の生活も変化しています。この前の1月には88才の誕生日を迎えましたが、今回体の衰えに抗しがたくなって来ている生活ぶりを目の当たりにして、元気で長生きするということの如何に難しいものであるかを思わされました。

以前のように、電車で天王寺へ出て、ショッピングを楽しむ脚力はもうありません。徒歩4分の最寄り駅の向こう側にあるショッピングセンターに出かけることも大儀になりました。幸い、マンションの下が大型ショッピングセンターなので、そこに1日1回、歩行器を押しながら出かけるのが足の訓練も兼ねた日課となっています。それにしても、1年前はコロの付いたカバンを横で押しながら歩いていたのに、安全のためにと歩行器に変えたら、もうそれ無しでは歩けない状態となっているのが驚きです。家の中の歩行も手すりや壁伝いで、一度座るとテーブルなどに手をつかないと立ち上がれない。足の筋力の衰えが半端ないのが心配です。

IMG_7081ですから、母はJRを使って和歌山に行くのはもう無理だと言い張っていましたが、兄と私が一緒なのだからと励まして、駅までの4分の距離と乗り換えを頑張ってもらい、何とか行って来ることが出来ました。聴力の衰えと物の理解にも時間がかかるようにはなってきましたが、根本的にはまだボケてはいないと言えるのが救いです。本家では皆で様々な話をするのにも昔の記憶も披露しながら今の話もしっかりとして集うことが出来、頑張って来てよかったと思ったようです。帰りは、天王寺の駅ビルで外食をして帰りましたが、日が長く食事を終えてもまだ日没前で、タクシー乗り場から黄昏の中をタクシーで戻りました。

翌日から1週間、兄は自分の家に戻るので、しばらく母と私の数日を過ごしました。料理、掃除など生活の助けが中心で、遠出の疲れもあり母は一段と足の具合が良くなく不安そうにしていたので帰る日を一日延ばして、戻りました。私が帰った後は、兄が戻るまでの丸3日は、お盆でもあり、お寺からもらった供犠を仏壇に立て、お供え物を並べて、父へのお経とお茶を備えることを日課として、静かな時を持っている様子が、毎夜の電話から伺えました。

今晩の電話では、人体の不思議のテレビを母も見ていて、ぎんさんの娘さんが凄いねと共感することが出来ました。この番組からは、たくさんの希望やヒントをいただくことができました。寿命というものに逆らうことは出来ないけれど、人として自然な生活をするということを益々追い求めて行きたいと改めて思います。母を思いながら。

 

 

11月の大阪行- 四世代の集い

所属団体の秋の行事が終わり、ふと気が付けば11月もあとわずか。毎年のことながら、秋は駆け足で過ぎて行きます。

さかのぼること、10日間はことに忙しい日々でした。というのも、毎年の所属団体の秋の行事の間を縫って、大阪行を計画したからです。

さまざまな事情がピッタリ合って、娘と孫2人を連れて、大阪にいく絶好の機会でしたので、この機会を逃してはと行動しました。幼児連れなので、体調第一無理はやめるつもりでいましたが、皆元気で行って来られ、安堵しています。

反対に、その直前は自分が風邪気味になりましたが、葛根湯で乗り切りました。

大阪の母は日に日に、高齢になり足がおぼつかなく、そのことで何事にも時間がかかるので自信が無くなっていますが、女四世代の集いは、二人の最若世代を交え元気をもらって、賑やかに楽しく過ぎて行きました。

滞在、中二日間のうち1日は近場のショッピングセンターに四世代で出かけ、もう1日は電車で二駅の天王寺に新しくできた「てんしば」へ娘と孫とで行きました。

image

「てんしば」は、フランス式庭園の天王寺公園を新しくしたもので、土を入れて平らにして、広い芝生、タリーズコーヒー他レストラン、コンビニ、それと子どもの有料遊び場「ボーネルンド」などがありました。

image力をを持て余している4歳の孫を喜ばせたく、みんなで「ボーネルンド」に入りました。大人も10ヵ月の孫も有料で、計3000円を支払いました。腕にバンドをつけ、1日出入り自由というシステムです。

中は、室内と庭スペースがあり、ボーネルンドの遊具で作られた遊び空間が広がります。乳児スペースもあり、ハイハイなど楽しめます。造形コーナー、パズルコーナーもあり、庭ではきれいな砂場で、土遊び泥遊びができます。

image

imageこの日は、ママ友グループでしょうか、遊ぶ子どもの横に5,6人の母集団が集っていました。また、黒い背広の一団が見学に訪れていました。

孫は4歳なりたてながら、果敢に大きな子たちの遊びに加わり、遊具と人との交わりを楽しんでいました。床もソフトになっていて、各遊び場に監督の保育士が配置されているので安心です。

確かに1日でも楽しむだろうと思いましたが、お昼を機に外に出て、再入場はしませんでした。

大阪滞在中、丁寧掃除、スピード家事を行い、もう手入れができなくなっているベランダの植物の落ち葉をきれいにして、こちらから持ち込んだチューリップの球根を植えました。私の娘曰く、「猫の恩返しのようなことを私も何かしたい」と言ってお風呂場の扉をきれいにしていました。

出発の前の日、和歌山で地震があり、大阪滞在中には福島沖の地震で、朝から津波警報が流れていたり、不穏なニュースが流れる中、無事行って来られたのが何よりうれしいことでした。

 

ゴールデンウイーク後半

お天気が悪くなると思っていたゴールデンウイーク後半も、まずまずのお天気に恵まれ、近場のお出かけや、家での手仕事などができ満足の行くものでした。

お出かけは5日、今度は車で(運転はいつも夫)箱根へ。強羅公園の花を見に行くと決めて、9時に出発しました。国府津までは、地元の抜け道を通り、あとは国道1号で。小田原は、先日ウオーキングした当たりを、車で通り、確認しました。3日の小田原五大祭りのあと、4日5日は引き続き春祭りが行われるらしく、お神輿の列がいくつか見られました。

箱根の山に入り、カーブを曲がりながら、どの道から行くのがいいのかスマホのGPSで調べました。ナビは少々古いのと、しっかり使いこなしていないため、多少の位置確認ぐらいの役目です。まあスマホGPSも、どこを走っているか私がよくわかっただけで、夫の方はほぼ土地勘で進んで行き、彫刻の森美術館の先の、強羅公園に着くことができました。

image  image

強羅公園は、間口はそんなに広くなく、上へ上へと昇っていく斜面の公園で、熱帯植物や、茶室、洋風庭園、クラフト施設など、様々に楽しめる公園です。お目当てのツツジはきれいに咲いていました。一番上のバラ園のバラは、ほとんど咲いておらずこれからのようでした。

imageimage

11時前に入り、ゆっくりあちこち見て12時半前には園を出、帰路につきました。途中小田原のドライブインでランチ、近場のスーパーで買い物をして、4時には家に戻りました。

火山の噴火は小休止かもしれませんが、人のうわさは75日のごとく忘れやすい生き物としては、そろそろ恐怖心も薄らいで、屈指の観光地に楽々と日帰りできることを改めてありがたく思いました。

ゴールデンウイークに続く土日の最終日、mother’day は夫の誕生日でもあります。二人暮らしですが、子ども、孫たちがプレゼントを届けてくれました。若さが眩しいプレゼントタイムでした。

image image