昨年よりのコロナ禍で生活スタイルが激変していることもありますが、母との交流も随分変わってしまったことを思います。
母は父が亡くなった後は、一人暮らしの日々を14年ほど過ごし、5年前からは北海道在住の兄が大阪に仕事を見つけ、単身赴任の形で北海道と行き来して一緒に住むようになりました。
父が亡くなった直後から、足のしびれなどが出ていて、年齢と共に筋力も衰えるようになり、兄が住むようになる2年位前頃には、スポーツジムはやめ要支援の認定を受けて、デイサービスで足を訓練するスタイルに切り替えていました。一人暮らしに不安を感じるようにもなっていたと思います。
それで、離れて住む私の出来ることとして始めたのが、実家への帰省を増やすことと、毎晩定時に電話することでした。帰省の回数は遠方でもあり、年4,5回くらいにしかできませんでしたが、電話の方は、欠かさず日課となり、その日のことを語り合うことでお互いに安心することが出来ました。これは、兄が住むようになってからも、ホームに入るようになってからも、入院の時も、こちらが旅行の時も、かけられない事情のある数日を除いて毎日続きました。
しかし、ここ1年は母の認知度がさらに下がったこともあり、話す内容が決まってくるという感じになり、今年の1月には電話がなかなか取れない事態も出てきていました。ホームの人に様子を見てもらいやっとという状況でした。自分で取れた最後の電話では、「ああ取れて良かった!この頃、目も指の力も無いから」と。約2,700日の母と私の電話交流が終わりました。
そして、全くつながらなくなった数日後にホームに電話して調べてもらったところ、携帯電話が紛失していることがわかりました。電話で話せず、面会も出来ないとなると、母とのつながりが絶たれてしまうと焦りましたが、コロナ禍でもありホームの方で、ホームのタブレットとのラインビデオ通話を予約して利用できることを知り、今はそれを月に1,2回利用して母と話をしています。
これは母の顔が見られるので、様子が一目でわかるメリットがありますが、電話と違って画面越しに対面して話すので、うまく聞き取れないようで、ほとんど会話らしい会話ができていません。しかし、顔が見られるだけで目的は果たしているかなと思うことにしています。このビデオ通話の初めのころは、これは何?と不思議そうに合点がいかない様子でしたが、最近では、「久しぶり、元気そうね、足が悪いのでね、また来てね」とか話してくれています。
母の顔を見る限り元気そうで、持ち前の順応性で、あまり悲観せず過ごせているなら良しと思うようにしています。母のホームは、住宅型の有料老人ホームに分類される民間のリーズナブルなホームですが、市内にたくさん展開していて、実績のあるグループの新設された施設に入れたという良さがあります。介護スタッフは若い男女の方中心で、明るい雰囲気があり、食事は厨房で作られた温かいものを、4人テーブルでいただいています。
コロナ禍だからか、もともとかはわかりませんが、催し物はあまりやらないようです。ただ、母の場合、ケースワーカーさんの配慮で週に1回、散歩をかねた買い物に連れ出してくれる(30分)というのがあり、それはコロナ禍でもきっちりやってくれているようなので1つのメリハリにはなっていることでしょう。なので、面会が出来ないなら、この時間をねらって会いに行けば、外で会うことは出来るのです。それを兄が時々やっています。
昨日もビデオ通話で母の顔を見ることが出来ました。この先、大阪に行ける日は来るでしょうか?そのチャンスを逃すことなく備えたいと思うこの頃です。
春にも秋にも咲くタンポポ