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ようやく夏がやって来ました

7月に入ってすぐの頃に行った花菜ガーデンでは拡張された蓮の池が見事でした。

七夕祭りは私だけが見に行きませんでしたが、夫の画像が素晴らしく、行ってきた気分です。

その後初めのうちは暑い夏を敬遠していましたが、来る日も来る日も曇天にもかかわらず蒸し暑い日々で、珍しく暑い太陽を待ちわびる気分を味わいました。

ようやく夏本番に!

まず着手したのが、梅干しの天日干しです。かれこれ50日も過ぎてしまいましたが。今回は、ちょっと変わった干し方でやってみます。これなら、鳥や昆虫の害は無さそう。

ブドウもきっと最近の太陽で成長のスイッチを入れ始めたことでしょう。この前袋の中を見ましたがほとんど変化無しでしたから。

この夏にやりたいことが色々あります。さあ、気分を上げて行こう!と思っています。

久しぶりの梅仕事

今の季節は、収穫された梅を使って、梅干し、梅酒、梅ジュース、梅ジャムなどを作りますが、それぞれ細かい作業が必要なので、梅仕事という言葉が生まれたのでしょう。

今日は、それが久しぶりに実感できる日でした。

梅には今までも十分関心を持っていて、梅ジャムから始まり、梅干し、梅ジュース、煮梅など、年によって何かしら作って来ました。昨年はそこに気づくことなくなく季節が過ぎていきましたが。

数日前、夫がたまたま6kgもの梅を持ち帰ったのが始まりです。2袋あり、大きいほうの袋には南高梅と十郎が、もう一つは名前は忘れたということでした。南高梅は通常よく見かけるサイズで、十郎はかなり小さいものでしたので、まずはその2種類を種別しました。ざっくり、南高梅1kg強、十郎3kg。もう1つの袋の梅は、南高梅よりは小ぶりだけれど小さくもない梅で、傷みの激しいものや、ヤニ果発生という感じでしたので、急いで洗うとともに使えるものと使えないもの選別をしました。

その状態で、この梅をどのようにするか思案しました。まず、梅ジュースにするにも砂糖の在庫が足りないので、昨日氷砂糖1kg、上白糖1kgをとりあえず買い、梅酒の瓶を開かずの扉の奥から取り出しました。(それで、昨日は古いものの整理など横道にそれてしまいました)

ED63DFE9-1D36-46C0-9B45-8A020567B11A昨日のうちに瓶の消毒なども終え、痛みの激しかった3番目の梅のキズを切り取ってヘタをとる作業、原形がしっかりあるものから600g選別するところまでをすませました。

今日は、選別した600gに、氷砂糖500g、ホワイトリカー1リットルで梅酒に仕込みました。残りの梅は梅ジャムに。

 

次に、十郎のヘタ取りを延々としながら、ここでも仕分け。ほぼ無傷のもので梅ジュースを作ります。1.5㎏ジュースに使える梅が選別できました。選別しながら無傷と無傷でない判断が時間経過とともに厳しくなったり甘くなったりする自分に気づき、ボーダーラインのところに沢山集まる現実を実感?したりしていました。

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1.5kgの梅を梅ジュースにしたのは初めてかもしれません。以前大きいのを買って失敗したと思っていた瓶が役立ちました。

01E7D5CA-4D1B-4FF1-8887-9FF3727E1923あとは、南高梅です。せっかくだから梅干しにしたいと思いました。梅干しは、何年か前、数年間ぐらい毎年作っていたころがありましたが、今はその情熱はありません。けれど、さらにさかのぼるころ、確か8パーセントの簡単梅干しの作り方を教わって作ったことがあることを思い出し、昨夜そのレシピを探し当てました。(ブログを始めて間もないころの記事へのコメント

 

そんなわけで、梅仕事、無事に色々種分けして終了しました。まだ、十郎の痛んだ1kgが残っていますが、これは近日中にまた梅ジャムに変身させようと思っています。

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梅雨の前の花々

3FEE9F78-0206-4B82-B245-CFA44949E6D5無事スマホ1ギガ未満をクリアして、6月を迎えました。気が付くと、家の周りはドクダミの白い花に包まれています。ドクダミの花は、梅雨に入る前に咲くそうです。

広くないうちの庭も6月になると数種類の花が咲き始めて、1年中で1番美しい庭となります。春に芽を出した若葉が青葉となりボリュームをつけ、最盛期に向かって生命のエネルギーを発散させているからでしょう。

植えてから毎年葉を広げるばかりだったブドウの樹も今年は期待できる実をつけはじめています。そして、昨年は枯れるのかと思われた枇杷の木が息を吹き返し新しい葉を茂らせたのもうれしいことです。クチナシはもうしばらく時間がかかりそうです。

 

さて、6月10日は時の記念日ですが、私の所属団体では5年に1度の生活時間調べを行っていて、6月1日より1週間、1日1440分をどのように使っているかを記録しています。もちろん強制ではありませんが、いい機会と思い入会以来、参加してきました。

ありのままでも良し、これを機会に有効な時間を使うように努力するのもその人次第です。

今回、私は個人目標として、毎日外歩き30分以上をカウントしたいと願っています。そんなことで、昨日は久しぶりに近くの川沿いをウオーキングしました。

川沿いの花も気づけば、様々な変化を見せていました。これからの花としてアジサイが形も様々に色づき始めています。

 

今までも楽しませてくれた川の道、ウオーキングの醍醐味を今回もいただけました。

 

 

 

春分の日を過ぎて

桜の開花が待たれる年度末。今年は暖かいので、早いペースで咲いてしまわないかと気になっていましたが、今のところでは満開の桜を見るのは、4月に入ってからのようで安心しました。近場の桜祭りの日程が4月8日なので、近くに住む者としては気になっていましたので。

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先週の金曜日には、孫のYちゃんの卒園式があり、終了頃に私も妹のNちゃんと幼稚園に出向いて園庭で卒園の晴れ姿を見せてもらいました。平日にもかかわらず、父母で参加が8割を占めていて、子どもの成長を夫婦で見守る姿を微笑ましく思いました。

今日は、朝から暖かく暑いくらいの日になりました。お昼過ぎまでは眩しい日差しがありましたが、今は雲が広がっています。1月末より新築工事をしているうちの後ろの建築現場では数日前に基礎工事が完了し、昨日までに資材が運び込まれ、今日は上棟の日ということで、早朝より人が出て着工し始めました。

E324E5B9-1E10-4F11-AD71-6D7FFE9810259時ぐらいでもう1階部分は立ち上がり、12時には2階がかなりできるというスピードには目を見張りました。午後2時ぐらいに出来上がるかと思いましたが、最後の詰めは色々あるのでしょうか。まだ終了とはなっていないようです。

 

2階から眺めてみると、総合的にうちよりも高い建物のように感じました。どのようなお家になるのか、今まで家が建つのを間近で見たことはなかったので、中々興味深い出来事と毎日楽しみに眺めています。

卒業があったり、家が建ったり、…… 人それぞれ、色々な変化の中で過ごす私たちです。これから始まる大きな節目の時を、大きな感謝を持って迎えたいと静かに思っています。

 

サンシャイン

新しい年を迎えてから、1月も早や下旬にさしかかりました。

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1月1日は静かに過ごしましたが、近くの土手から撮った富士山を、学生時代(関西)の部活のグループlineに投降したところ、約2名の人に喜んでもらえました。

翌日は娘たちがやってきて、うちの家では未だ嘗てない大団円を囲むことができました。狭い部屋を工夫して使い、孫娘2人、大人6人の集い。2階に子どもの遊び部屋があるので、孫たちは1階2階を行き交い、半ばでは次女のhappy  birthdayもあり、賑やかに過ごすことができました。

 

 

 

1月16日は、昨年も参加した、孫のYちゃんの祖父母参加の行事に出かけました。卒園を間近に控えた年長さんのYちゃんはお友達もたくさんいて、のびのびと園生活を送っている様子に安心しました。お手玉、あやとり、駒回し、…色々な交わりが用意されていましたが、一番の感動は、「手のひらを太陽に」「雪」の2曲の歌のプレゼント。子どもの純粋な歌声は素晴らしい…。

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電気がついてるみたい!

 

 

 

さて、先週の終わり位から、うちの後ろの家が解体作業に入りました。数年前から空き家になっていて、ついにというところですが、少しずつ変わっていく世の中の一端を見る思いです。一昨日ぐらいからは重機が入り、今日はもうがれきの山が下に残るくらいに解体が進みカバーも半分下げられたところ、朝から南の強い日差しが1階の部屋の奥にまでも入ってきました。冬の日差しの何と明るく暖かなことでしょう!

冬晴れの関東地方の太陽は、私の大好きなものの1つです。これに引き寄せられてこの地に住むことになったといってもいいくらい。幸せな気分になって、「しあわせのうた」の北*を口ずさみながら外出。帰ってきたら、神奈川新聞から二コリの本が届いていました。(お正月パズルで当たったようでした)

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*北に住む人は しあわせ 春を迎える喜びを 誰より強く感じることが できるから

 

 

晩秋に

ここ2,3日、寒さが安定し、ようやく冬到来を実感されるようになりました。特に、今日のように凛と寒くよく晴れわたる日というのは、関東地方ならではのお天気です。

この一ヵ月は、大きく分けて二つの事柄の中で過ごしました。

前半は、8ヵ月ぶりの大阪帰省。毎晩母とは携帯電話で話していますが、今年の私のハプニングのため中々体移動がままならなかったわけですが、ようやく行って来られました。

2120F29F-D5C2-4766-89E6-22C16DD9F2DA母とは中身の濃い4日間を過ごしました。母の車椅子を押して、ホームの周囲を一周し道端のエノコログサをとり、公園で休憩。雨が降りそうな天気だったので、ものの20分くらいの散歩でしたが、母はそれを後の電話でいい思い出と何度も言ってくれます。

8C2F62F1-FC6C-48F2-BD65-B5EA448FBE5C母の部屋は18㎡くらいはありますが、ほとんど家具を置いていないので、部屋で書き物をするのは膝の上で不便とよく言ってました。今回、組み立て式で何とか持ち運べる台をニトリで見つけ部屋で組み立てましたところ、とても母のニーズにぴったりで喜ばれました。母の家からスタンドも持ってきて設置したので、部屋で作業しやすくなりました。

最後の日には、介護タクシーは予約でいっぱいのところ、それ以外の「ふれ愛タクシー」というのを用意してもらって、昼間の数時間を母のマンションに戻って過ごすことができました。

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今回はこれで満足し大阪から戻りました。その次は私の治療です。

今年の1月の健康診断で肺の影を疑われて、何回もの検査、転院、手術と明け暮れた結果、進行の遅い肺の悪性リンパ腫というレアなものとわかり、その後は血液内科でお世話になることになりました。幸い完治を目指せるということで、先月末からその治療に入りました。

治療は、分子標的薬であるリツキシマブという薬を1週間ごとに4回点滴するというもの。この薬の副作用は、初回に多くあらわれるので1回目だけは2泊3日の入院で行いました。私にとって3度目の入院で、今回は前2回とは別の緊張がありましたが、幸い平均的な副作用ですみました。2回目からは、オンコロジーセンターというところで、日帰りで点滴をします。今3回目を無事終えたところです。

週1回の治療ですが、同意書にサインするにあたっては、様々な注意書きが書かれているので、先生の、最初だけ熱が出るくらいで心配ないという言葉は2割くらい心に留め、とにかく不要の外出はさけ、感染症もらって来ないよう、家での健康生活を心がけて4週間を過ごす予定です。

晩秋の短い昼間に、偶々目にすることのできた紅葉と秋の風情。

 

毎年とは同じ気持ちでない年の暮れを、新しい気持ちで受け止め、前進したい。

 

 

 

手帳

9月に入って早々、台風21号が関西方面を襲い、関空周辺の被害が酷いというニュースが入ってきたその翌日には、北海道で大きな地震があり、震源地近くの被害のほかにも札幌を含む広範囲に停電が起こり電力不足となるという事態で、自然災害は年々少しずつ大きくなっていくように感じます。日頃の備え(と言っても気持ちの部分)が大事と改めて感じました。

これらのニュースの数日後に、良いお天気を願う予定が二つ入っていて、どちらも大きなイベントでしたが、幸い両方ともまずまずのお天気で無事終えられたことは感謝です。

その1つは12年ぶりに行われたもので、12年前のその時はどんな9月だったのかを回想しながら、1992年からずっと使っている手帳のことを思い出しました。

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この手帳は、メモのページが後ろに数ページあるほかはカレンダー式の予定欄が見開きであり予定などを書き込めるようになっています。それを見れば、その年に何があったか詳しくわかりますし、その年の覚書は手帳に書き込むようにしているので、私の場合、記憶があやふやな場合はまず手帳を調べることで解決する場合が多いです。ブログもある意味同じような役割をする時もありますが…。

 

12年前は2006年です。12年前の今回の行事の日程が21、22日と後半であったことの確認をしたほかは、自分の生活が今と違ってかなりハードな忙しい生活をしていたことにも改めて、年月の流れを思わされました。

当時、夫が単身赴任中で、2回夫の赴任先の新潟へ行き、片貝花火山古志ウオーキングに出かけたり、夫がこちらに来た時には夫の母親が当時入っていた千葉にあるグループホームへ行ったり、隣組の組長の年でそれの予定なども入っていました。

今はそれに比べたら、休養の合間に予定が入る暮しです。

剪定を忘れひときわ長く延びたモッコウバラのつるを見て「電線に届きたいんじゃない?」という孫の言葉などに癒されながら。

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8月の近況

4D034E4D-3BEE-431C-B822-9DFAFDCC76068月も最終週となりました。毎年なら、8日に和歌山の父のお墓のお寺の施餓鬼詣りに、母、兄と出向くことや、お盆の頃は夫の両親のお墓詣りに富山へ行く車の旅などが年中行事としてありましたが、今年はそれらが一変して地元暮らしの一ヵ月でした。

2月にホームに入った母とは、年末年始の入院時に母の携帯電話を新規契約したので、毎日夕方6時半から電話で話すことができます。3月のお彼岸以来大阪に行ってませんが、ホーム生活のスタート時に何回か通ったことで、母の生活を把握できるのが幸いです。

私の術後、その後は帯状疱疹、耳鳴りの再来などに悩まされながらも順調に回復しています。検査の結果がわかると言われた9日は、手術を受け持った呼吸器外科の締めくくりの日で、影の正体はマルトリンパ腫であると告げられ、今後は血液内科に引き継がれることになりました。リンパ腫の中でも最も低悪性度であるということで、過度な心配はなくなり慌てることもなくなりましたが、今後はまた必要な検査をしてゆっくりと治療方針を立てて行くことになります。

しばらくぶりで、病院通院の予約から解放された先週は、一時涼しい日もあったこともあり、二つの展覧会に出かけました。私の所属団体の秋の働きも始動しており、私の日常が戻ってきていることに感謝です。

夏の手仕事 - 暖簾とアクリルたわし

 

 

もうすぐ春ですが…

おそろしく今年は花粉の飛散量が多いということなので、家の中にこもるイレギュラーな暮らしは却ってよかったなと思いながら、今過ごしています。

先月末に、足の裏の粉瘤というしこりのようなものの撤去手術をしました。当初1週間弱の入院をと大層なことを言われてたので、日帰りとなっても、大事をとって今のんびり生活となっています。

このほかにも1月の健康診断でひかかったものもあり、随時自分のケアをしなくてはならない身となってしまいましたが、同時に大阪の母のことも、第2、第3の展開を迎えました。

1月に母が退院した時には入院後のサポートに大阪出かけました。その時の母は病院での衰えに比らべ戻ってからはどうにか元の暮らしができそうで安堵しました。ヘルパーさんにお昼1時間毎日来てもらい食事は朝昼はパンなどの定型食、夜は宅配弁当の減塩のものなどにし、家事の軽減をはかりました。そして兄の勧めで以前から検討していた補聴器の調整にもとりかかりました。

しかし、兄の帰宅が少し遅くなったちょうどその時に、再びアクシデントで今度はベッドから立ち上がれないくらいになってしまったので、相談の結果ヘルパーを頼んでいるところの提携するサービス付き高齢者向け住宅に入居することになりました。

兄が北海道に帰る予定の数日前の出来事で、交代に私が大阪に行くことを予定していたこともあり、母のホームでの生活のスタートに寄り添うこととなりました。18㎡の居室にはレンタルのベッドと車いす以外は何もない状態で、最低限の寝具と衣類を入所時に持ち込んだだけでしたので、生活しやすい道具を1週間かけて揃えました。私1人では手持ちできるものにかぎられるので、ニトリと百均を巡り取り揃えました。

老人介護施設は色々あり、今までいくら聞いても違いがしっくり頭に入らなったのですが、今回母がお世話になることになり、急に理解が深まりました。家で一人になる時間に不安を感じていた母は定期的な見守りと食事のサービスや生活援助をしてもらえることに安心を感じたようでまずは気に入っていることが伺えました。

母は入所当初は、助けなしには起き上がれないくらいでしたが、ほどなく起き上がれるようになり、車いすを持って立ち上がれるようになり、それを押し車にして歩き、室内のトイレにも行けるようになったのには驚きでした。

働きの悪くなった頭の方も、先の入院中購入し当時はなかなか取れなかった携帯電話が、ボタンを押して耳に当てる操作ができるようになりました。おかげで、こちらに戻った今、また時間を決めて母と会話することができています。

このように、もうすぐ春ですが、自分の検査結果がまずまずならば、今月も中ばに大阪の母のところへ行く予定。今までとは違った春を迎えています。

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母の入院

2018年、年が明けて早半月が経ちました。

年末の27日に、大阪の母が急に入院することになりました。その日は同居中の兄が年末年始を自分の家族と過ごすために北海道に出発した日でした。

兄が戻るのは1月8日。その日まで母は、元の一人暮らしになるので、年末年始辺りを次女が、5日から8日までは、私が行く計画をしていました。途中何日か一人の時もあるけど、毎晩の電話もあるし、大丈夫と思っていました。

しかし、多分きっと、母は不安に思っていたのだと思います。

エレベーターで蹲り、立てなくなったところを、近所の人に助けられて、家まで連れて帰ってもらったけど、近所の人が心配して救急に連絡し、結果入院となったのです。

病院は立てなくなったくらいでは帰らされてしまうところですが、母の場合、まずインフルエンザ陽性と言われ、ほかにも悪い結果が出て入院になりました。入院は、兄と私のところに知らされることとなり、電話で逐一検査の結果が報告されました。心不全の兆候があり、起こりえる悪いことは色々あるように言われ、まさに青天の霹靂でした。

北海道の兄は急には戻れなく、私も翌日に飛んで行くわけにもいかない事情もありました。

それで三日後の30日の朝一番で出かけることにし、二日間でこちらのお正月準備と、向こうの準備あれこれをして出発しました。これが、始まりです。

これ以前とこの後では、母の何かが違ってきたように思えます。病院というところが、それを引き出したように思えますが、多分徐々に母の変化は起きていたのかもしれません。母も私も兄も、それを気付きながら、正常性バイアスが働いて、認めていなかっただけで。

重篤な病状のように言われ、インフルエンザのこともあり、集中治療室に近い個室に入っていた母は、意外と元気で、座る元気もありましたが、とにかく家に帰ると言って周りを困らせていました。私と話をするとかなり落ち着いて、それは言わなくなったのですが、次のポイントとして、もともと弱かった足が本当に動かなそうになっていたこと、母の聴力がかなり衰えていることに加えて、認知機能が下がっていることが心配でした。

IMG_7517家から、毎日つけている「主婦日記」、雑誌、ラジオ、またお絵かきノート、折り紙などを持って行くと、少し意欲は見せますが、以前との隔たりを感じました。

話ができるように、携帯電話を新たに契約して持っていきましたが、簡単な操作がしっかり身につかないし、指の力も足りない状況。

年末には次女も予定通り来て、2日に私も一緒に帰る予定にしていた私は、事態を理解していなかったようです。この日を敏感に察した母の心に大きな乱れがあり、私は帰るのを思いとどまりました。その後は、8日に兄に引き継ぐまで、母を見守るつもりで。

帰らないでよかったと本当に思いました。病院でじっくり付き添わなければわからないことは沢山ありましたし、実家の住まいの方もより整えることができたからです。(母は病室で89歳の誕生日を迎えました)

予定通り、兄に引き継ぐことができ、9日に関東の我が家に戻りました。関西と関東は、静岡構造線辺りで、本当に変わると思います。冬の関東は澄みきった冬晴れの中、凛とそびえる富士山が眩しいところです。自分の街の駅で降りて家路に着く道中がすべてお話のようにすてきだなと思いながら帰りました。

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毎晩かけていた母との電話は、今は兄と、母の様子を話すようになりました。

母の退院のスタイルを、今模索中です。その時にはまた母の娘が参上して、役に立ちたいと考えています。