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ゴーヤチャンプル豆腐なし

ゴーヤチャンプルなるものを、初めて作ったのは20年くらい前でしょうか。作り方は、今のようにスマホ検索でささっとはすく行かなかったと思いますが、何らかの情報を得て作ったと思います。

ゴーヤと豚肉、卵、豆腐などが入っていて、ゴーヤには苦味があるから工夫をほどこしたりと、やや手間のかかる料理ではありました。

でも今回、たまたま豆腐がなかったので検索して採用した作り方では、随分楽に作ることができ、簡単なのに美味しかったので、記録に値すると思いました。

材料は、ゴーヤ1本、豚肉150g、卵2個。あと、鰹節、サラダ油、塩胡椒、めんつゆ。2人分の分量です。

作り方は、まず、卵2個を大き目の炒り卵にして取り出す。次に、ゴーヤを立て半分に切り、わたを取り除き、出来るだけ薄く半月切り。その後、サラダ油でしっかり炒め取り出す。そして、好みに切った豚肉を炒め、塩胡椒し、先の炒り卵とゴーヤを加え、めんつゆ大匙2くらいで味付けすれば出来上がりです。

鰹節をふりかけていただきます。

ゴーヤをしっかり炒めることで、苦味がかなりなくなります。2人分でゴーヤ1本消費出来るのがいいです。合わせ調味料を調合しなくてもめんつゆさえあればokなのも時短。

豆腐はないけど、野菜と卵と肉の3つの栄養が摂れる夏のスタミナ食として、手軽に登場させられそうです。

長居公園散策

大阪の長居公園は、子供の頃に行ったことはあるものの、確たる記憶はなく、中学生の頃はその中の長居競技場で、体育祭などがあったというのがあるくらいです。

施設を出て、近鉄南大阪線の矢田駅と反対の方向に向かい緑が繁るところを目指して行くと道路脇に長居公園の入り口が現れました。多分、正面入り口とは反対のところでしょう。

入ると案内板がありましたが、ぐるっと外周が続いていて、さてどちらに行くか?始め反対方向に少し歩きましたが、私にしては早くヤバそうなことに気づき、軌道修正して、中に入れる所へ辿り着きました。

外周からは、中は殆ど見えないようになっていて、案の定植物園、博物館は有料となっていました。と言っても植物園は入場料200円ですが。

植物園内は、ちょうど私の好きなネモフィラフェアがやっていて、そこから見て行きました。ひたち海浜公園に比べると小さいエリアと感じましたが、それなりに花はきれいでした。

それに隣接して、バラ園があり、少しピークは過ぎていましたが、沢山の品種が咲き乱れていました。ローズ・オオサカというご当地バラもあり楽しめました。中でも、世界バラ会議のことが説明されているのが興味深く思いました。

3年に一度開かれていて、日本でも2006年に、大阪で行われていました。開催時に1品種殿堂入りのバラを決めるらしく、大阪の会議の際には、異例の2種が選ばれたということです。

長居植物園は、この他にもシャクヤクが綺麗でした。また、大きな池がありぐるっと四季折々楽しめる庭園が広がる大きな場所で、一応一回りして、外に出ました。

ここからは、JRの長居駅からが便利と思いそちらの方向へ向かいましたが、とにかく広い場所で長居公園の出口にたどり着くのも一苦労状態でしたが、行けそうで行けなかった場所にバラのシーズンに行けて満足しています。

母をたずねて-大阪

前回、1年4ヵ月ぶりに訪問出来た母の施設へ、半年ぶりに、この間、第6波が来たりしましたが、ようやく下火になった頃合いを見計らって再び行くことが出来ました。

面会は、前もって、他の面会者とぶつかる時間帯は避けて予約します。週に1回までと決められていますが、翌日の散歩の同行も予約し、短い滞在でしたが母とのいい時間が過ごせました。

部屋に入った日は、後半LINEのビデオ通話で、私の二人の娘とその孫たちと短い時間でしたが話せたのが大きな収穫でした。映像の力は大きく、慕わしい空気に包まれて大へん幸せな時間でした。ただし母がどこまで認識できたのかは微妙なところですが。

翌日の散歩では、流ちょうな日本語を喋る外国人のヘルパーさんと近くの公園まで行き、母と私の珠玉の1枚の写真を撮ることが出来ました。施設に戻り、部屋まで入りたかったのですが、規則でそれはかなわず、入口のところで母と別れました。

施設を出て、いつもなら最寄駅から天王寺へ戻り、乗り換えて実家マンションに帰ります。大概、あべのハルカス近辺の商業施設を当て無く散策し無駄に疲れて帰ることも多いので、この日は折角だから有効にと、最寄駅には戻らず、少し足を伸ばしたところにある長居公園に立ち寄ることを計画しました。

お天気は薄曇りで、まあまあ。しかし、5月に大阪に来ることはあまり無かったので、長居公園の植物園などを散策するには、持ってこいの日と思ったからです。 (続く)

東京オリンピック終わる

2回目の東京オリンピックが終わりました

この17日間は、印象深い日々でした。57年前にくらべて映像技術が格段に違うこともあり、無観客開催とはいえ、家で見る分には十分すぎるぐらいですし、また全世界の人が共通に見る映像なので世界は1つであるという思いも感じられました。

開会式の前にNHKで2019年の大河ドラマ『いだてん』総集編がやっていて録画したのを翌日見ました。当時視聴率が低く色々言われていたようでしたが、1964年以前のオリンピックの歩みが世界情勢と重ねてよくわかりましたし、人々の熱意も時代を超えて共通するものを感じることができました。落語の小噺の語りに合わせ、秀逸な描き方と今更ながら思いました。中村勘九郎が地下足袋で東京聖火ランナーの最終走者なのもここで納得した次第。

8/3には検診の予約があり、東京入り。いつも通り東京メトロに乗り換え最寄り駅で降りましたが、平日の車内、混雑はなく、外国人の姿もなく、病院周辺も全くオリンピックを感じさせるものがなかったのがかえって印象に残りました。余談ながら、この日、私は33年ぶりに東京在住の知人に会うことができました。特筆事項です。

さてオリンピックの話では、競技種目がたくさんあるのが印象に残りました。そのたくさんの種目に開催国日本の選手が必ずいて、しかもどれも活躍していたという印象です。しかし、その明るい映像と並行して、毎日のようにコロナの感染拡大が伝えられるという状況。正直ハラハラしましたが、パンデミックの中の世界の大イベント、中止となっていたら、アスリートの皆さんの努力は空しいものとなり、こちらに発信されることもなかったことを思うと、無事に日程を終えることができ良かったなという思いです。

そして、閉会式。今回は、スカパラ演奏が始まってから30分ほどは、入浴タイムで抜けましたが、あとは最後まで視聴しました。。やはり、光の五輪は映像として素晴らしいと感じました。木の服をまとった、ダンサーの踊りは木の精と思うならば感じるものはありました。盆踊り披露や、日本の夏を感じさせる静かな映像、宮沢賢治の「星めぐりの歌」で静かに聖火が消えるのを見届け、最後のARIGATOUの演出。

コロナ禍の日々の、ひとときのオアシスの時間でした。

コロナワクチン接種

 ―予約から2回目終了まで

まず政府の方針があり、その後各市町村ごとに実施されるという流れでしたが、当初の予定から1、2カ月遅れる感じで進んでいったように思います。ここへ来て、その遅れは若干取り戻せている感じはします。

医療従事者の次の高齢者の接種は、うちの市ではまず4月に75歳以上に接種券が送られ、集団接種が始まりました。かかりつけ医での個別接種は半月位遅れて5月下旬からです。その後、65歳から74歳は5月中旬に接種券、6月中旬には64歳以下60歳までという予定で、順次送付されています。

その後、接種券送付については、6月に入ってから、接種会場が増えたこともあり、40から59歳7月中旬、30から39歳7月下旬、29歳以下は8月以降と早い時期にすべての年齢の人が接種できる体制になってきています。

予約は、はじめ、接種券が届いたその日にスマホから申し込んだにもかかわらず、集団会場の8月しか予約できませんでしたが、その後情報を得て、個別接種の医院に電話で申し込み50分の末つながり、6/10、第1回目を予約出来たときはホッとしました。電話の1週間後だったので、緊張感もありましたが。

1回目、当日は、かかりつけの医院ではないので地図で確認しながら、夫と自転車で20分ほど走らせ見つけました。マンション1階の小さな医院で、受付が何人か並んでいましたが、すべて接種のために来た人ばかり。受付で問診票のチェックなどをして暫くすると別室に呼ばれました。その部屋には6人集められてのち、ドクターがやってきて順に接種。終わるとナースがタイマーと呼び鈴を置いてその後の説明をしてくれました。

何事もなく無事に終え、まっすぐ家に戻りました。接種時の痛みは軽いもので、その日のうちは腕の痛みを含め何も副反応はありませんでしたが、翌日患部を抑えると軽く痛いことに気づきました。しかし、これもその翌日にはなくなりました。ちなみに、夫の方は、当日は腕が重く感じられ、2日目は腕全体の筋肉痛があると言ってましたが、その翌日には治ったようです。

2回目は、その3週間後。あいにくその日は雨天だったので、夫の車で接種に向かいました。医院の駐車スペース、何台か駐車できるはずでしたが、うまっていたので、ごく近くのレストランの駐車場に止めていくことにしました。この駐車場はコインパーキングになっていて、レストランを利用すると2時間無料券がもらえるというシステム。運よく1台空いていて止めることができました。接種は、1回目とほぼ同じ要領で行われ、2回目なのでこちらもリラックスして受けることができました。

2回目は副反応が出る場合が多いと聞いていたので心配しつつも、ちょうどお昼の時間帯であったので、駐車したレストランでランチをして、戻りました。ちょっとしたことですが、この流れは気分的にゆっくりできて良かったです。副反応の方は、接種直後から患部の痛みが少しありましたが、翌日になってもそれ以上の症状はなかったので、午前の集まりにも参加できました。しかし、その後は軽い疲れ感と眠気(これは1日目にもあった)がとれず、ゆっくりと数日を過ごし今に至ります。並行して、接種患部もかゆみを伴って広範囲に赤くなりましたが、今は収まりつつあります。夫の方は、接種当日、腕全体の筋肉痛、翌日は全身倦怠感と筋肉痛で発熱しなかったものの病人のように1日を過ごしていましたが、その翌日には治ったようです。

ネットニュースを見ていると、接種後の副反応について様々な記事が出ています。重篤な記事を見ると接種を迷うのは当然で、私も高齢者でなければ一番最後にうつ人だったでしょう。しかし、病気をしたときに処方される薬のリスク、手術の時のリスク、放射線を使う検査のリスク、それら以上に大きいリスクであることもないのではと感じました。

あとは、言われている通りの免疫がつくことを願うばかりです。

イブの日に

珍しく冬晴れの今日、道を歩いていて、ふと、20年余り前に住んでいた京都の哲学の道のことを思い出しました。哲学者がその川沿いをよく散歩していたことからつけられた名前のようですが、道を歩くとき、想いは自由に広がっているからかもしれません。

74C16504-C62E-45EA-B57C-5DAD3C412717毎年12月は、あまり時間がありません。今年は予定も少ないし、時間があると思っていたのは間違いでした。このままだとあっという間に大晦日、そして新年へと突入してしまいます。

今年もあと少しですが、昨年と違い、穏やかでいい年でした。少しずつスローダウンしながら、いい時間を引き寄せながら、新しい年を迎えたいと思います。

 

安野光雅展、最終日に

もう行きそびれたと思っていた美術館の今年の夏の企画展に、最終日に行って来ました。

今朝も朝起きたら、エアコンを入れた時と同じ27℃の涼しさだったのと、日曜日だったのが良かったと思います。

自転車で20分、まだ木陰は涼しさを保つうちに移動できました。家々も道々も、のんびりとした休日モードがまたうれしく感じました。

美術館には、開館30分には着きましたが、早駐車場も、駐輪場も8割埋まる混みようでした。若い家族連れや、仲間同士といった人たちが多くみられました。

企画展内もほどほどの人の入り。

「安野光雅」は、90過ぎでまだ健在の方。「ふしぎなえ」で絵本デビューした画家です。「さかさま」「ふしぎなさーかす」「もりのえほん」などの、視点を変えてトリック的に描かれている絵本の原画がまず展示されていました。他にも、科学絵本、切り絵、ポスター、デザイン画など。どれも、水彩で細密に描かれていて、1枚の絵からの情報量は沢山あり、退屈しませんし、絵そのもが楽しくきれいなものばかりでした。切り絵の方は、それとは全然違う楽しさのある―昔話に笑いを混ぜ込んだ文を含む切り絵でした。

出身地、島根県津和野の美術館に収蔵されているものがほとんどなので、この機会を逃したら原画を見る機会はなかったと思うので、思い切って今日行動できて良かったと満足です。

CA5E4D10-08D5-4190-91AF-C260582C13A1帰りの道々、今更ながらですが、毎年咲く街路樹の百日紅が、今年も暑さを感じさせることもなく爽やかに咲いていました。

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今月のギガ事情

昨年の7月にスマホ、iPhoneをグレードアップしたときに、キャリアをソフトバンクからauに乗り換えました。auならば1ギガのプランがあるので。普段Wi-Fiを使っているので外で多少使ったとしても、1ギガを超えたことがなかったからです。

また、母に毎日安否確認を兼ねて電話かける習慣が始まって、今はホームに住むようになりましたが、また別の意味で毎日の電話は欠かせなくなり、結果,電話かけ放題は外せないと思ったので、ギガを控えたプランにしたというところもあります。

そんな中、先の金沢旅行では、そんな事情はすっかり忘れていて、電車内ではネット検索や地図アプリで場所を確認したりと使いました。まあそれは大したギガ数ではありません。宿泊したホテルもWi-Fiが使えたので良かったのですが、計算外だったのが、「金沢城ARアプリ」というものです。

ARがどういうものか知らないままダウンロードしましたが、これは金沢城と兼六園内に、60箇所設けられたスポットで、その場所のより詳しい説明が文字で取り込む(クリックすれば音声でも聞ける)ことができるというもの。兼六園は前日に回ったので、お城散策の半ばからこのアプリの説明を探しながら回ることになりました。例えば、橋爪門でこのアプリをかざし、間違いなくその場所であるなら、説明の文が開き、「橋爪門は寛永8年(1631)の大火以後創建された二の丸の正門。御殿のある二ノ丸と三ノ丸の間に置かれ、城内で最も格式の高い城門。・・・」という風に詳しい文章がみられ、より詳しい情報もさらに開けたり、貴重な絵図なども見られます。一度ゲットすると、その場所を離れても見ることができるので、できるだけ色々回って貴重な情報を得たいという気持ちになり、翌日金沢を離れるまで、24スポット取り込むことができました。

ゲットできるのはこの辺りかと探しながら、もしかしたらポケモンgoもこんな感じなのかしら?と思いました。しかし落ち着いてから、使用ギガを確認してみると、今月の1ギガに対して残りは0.07ギガしか残っていなかったのです。

10日にしてこれでは今月ギガオーバー間違いないです。しかも、その後も出かける日がたくさんある・・・。確かauの場合、オーバーした場合、低速や使えなくなるのではなく、次の2ギガに自動的に変わると聞いたので、あきらめて2ギガの月にしてもよかったのですが、何となく悔しさもあり、考えたのが外出時電源offにすることです。それを実行して現在まだ0.06ギガ残を保っています。あと1週間乗り切ることができるでしょうか?

ネット検索しなくても、良い景色があると写真を撮ったりメール確認をする私でしたが、電源offにするとスマホを一切さわらなくなるので、それはそれで古き良き時間が戻って来ました。お出かけの車内でも、スマホを眺める人々の中、私は新聞や雑誌をじっくり読むことが出来ました。

ちょっと、暑くなった5月の残り1週間もそのように過ごしたいと思います。

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始めました

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4月に入って、長持ちして楽しませてくれている桜に応援されながら、新たに始めたことがあります。

もう若くはないと気づかされた昨年、いえ実は数年前から変化は感じていました。それが年齢と関係していると思っていなかっただけで。

5,6年前から徐々に体重が増え始め、20代の頃からはすでに5㎏位増えていた体重がさらに5㎏増えました。それと共に、2年前くらいにはしゃがむことが困難になりました。

しかし、それでも身長を考えたBMIはちょうど普通の体重だったので、高齢になる前に脂肪を蓄えた方がいいかと楽観的で、周りの同年代の人たちがやっている体操教室やジムなどに行く思いは生まれませんでした。

まじめで努力家の人は、テレビや周りの情報で得た自分に合う体操やストレッチを日々の生活に取り入れている話もしばしば聞くも、私にはどこかが現実的でなくむつかしいものでした。

移動に自転車や徒歩を多く使う日常があるので、それで解消できないものかと思っていたところもあります。しゃがみ困難には、危機感があったのでこちらはその都度気を配っていたところ、若干ましになってきています。

そんな私が、ようやく始めたのが、カー〇スです。女性だけの30分健康体操との呼び込みには数年前から少々ひかれていて、もしするとしたら私はこれかなという予感もありました。

今、初回5回を終えて、集中指導期間を終えました。この私が、マシーンとストレッチに時間を費やしていることに、自分でも驚きですが何とか細く長く続けたいものと思っています。

結果報告の日

2月の最終週から3月にかけては忙しい日々でした。

3月に入って一息つくも、二息三息ついてる間に、早半ばを過ぎていることに驚いています。

2月の末、治療の結果報告を聞きに東京の病院に繰り出した日、予約よりも散々に待たされた挙句、経過観察でという報告には少々落胆しました。

その後食事を兼ねて立ち寄った、「東京ミッドタウン日比谷」 六本木にある東京ミッドタウンには10年位前に出かけたことがありますが、イメージが違いました。

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日比谷の方は、高いビルがメイン。その地下のカキが食べられるレストランで食事をしたあと、ショッピング街を一巡り、上に上り、二つのテラス庭園と眺望を楽しみました。

 

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日比谷公園が一望できるのは素敵でした。

 

帰り、千代田線に乗るために地下へ。行列している「りんご」のお店に吸い寄せられ、パイ4個お土産に買って帰路に着きました。

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