カテゴリー別アーカイブ: 東海道ウオーキング

東海道保土ヶ谷宿ウオーク

2か月ぶりの東海道ウオークに出かけました。
 
日本橋の始まりの地点に戻ってから、どんどん京都方向に進んできて、今回は4番目の宿場、保土ヶ谷宿を歩きました。
日本橋から8里9町のところで、1日10里18町を歩く男性なら、次の戸塚宿が1番目の宿になるそうですが、年寄り、女子供連れはこの保土ヶ谷で泊まったということです。
 
まだ、残暑厳しいこともあり、相鉄、天王町からJR保土ヶ谷駅までの短いエリアを、ぐるっと迂回しながら4Kmの道のりを歩きました。その割には、15ポイントでガイドがあり、狭く車が通る道などもあり、あまり爽やかなウオーキングではありませんでした。
 
集合の天王町駅すぐ横には、帷子橋跡というのがあり、そこで記念撮影して出発しました。
 
         帷子橋跡
 
 
しばらく行くと、橘樹神社(たちばなじんじゃー樹はサイレント)という、京都八坂神社の分霊を祭る神社があり、
江戸時代には牛頭天王社とよばれていたのでこのあたり一帯が天王町と呼ばれていると説明がありました。
   
                    橘樹神社
    
たまちゃんが泳いでいたという川の橋を渡って、しばらく行くと松原商店街という、昔ながらの商店街がありました。
そこを抜けたところに分かれ道があり、ここでヘアピンカーブして、八王子街道と道しるべのある方向へ方向転換しました。
 
       追分の道標      
 
しばらくいくと、とても高いビルが現れて来ました。ここは、ビジネスパークという建物で、もともと東京ビールというのがあったそうですが、それがビール瓶の工場に代わり、今はこのような大きなびるになっているということで、「ふーん?」という感じながら、面白い場所でした。風変わりなモニュメントが、あちこちにあって、ちょっと「彫刻の森美術館」のようでした。
 
                
 
 

                  

 

 秋田犬のモニュメント、「犬も歩けば」 奈良遷都1300年に縁の作者らしい。

                

 
その後、歴史的な逸話のある場所、10ポイントを経て、保土ヶ谷駅にたどりつきました。
 
              
              本金子屋跡                 軽部本陣跡
    
ここで、まだ12時半でしたが、久しぶりのウオーキングだったので、ちょうど良い感じでした。ただひたすら、エアコンの効いたレストランでのドリンクバー&昼食を目指していました。
 
    

東海道神奈川宿~浦島伝説を訪ねる

また、東海道ウオーキングの日がやって来ました。
 
今回は、日本橋から3番目、7里のところにある神奈川宿です。
浦島伝説と横浜開港にともない外国の領事館として使われた寺のようすが印象的でした。
 
浦島伝説といえば、日本書紀、万葉集、丹後の国風土記に書かれていて、亀の背中に乗って竜宮城に行った太郎が玉手箱をもらって帰ってくると300年たっており、玉手箱を開けた太郎はたちまちお爺さんになるというお話ですが、ここのお話は、結末が多少違っていて、玉手箱と観音像をもらって帰った太郎は、観音像によって両親のお墓をさがしあて、その場所にお堂を建てて、観音様を祀ってとむらったそうです。そして、玉手箱をあけることなくまた、竜宮城へ戻っていったそうです。
 
 蓮法事(別名浦島寺と呼ばれる観福寿寺跡)には、浦島太郎の塔、石碑、石仏がある
 
       
 
浦島の地名はあちこちに
 
                  
 
                                                          浦島地蔵・・・慶運寺に移送の際にこの場所から動かなくなったとされる
 
                  青海波と亀(この地区のシンボルがあちこちに)
 
 
                              
 
 
     
 
 江戸方見附・長延寺跡(オランダ領事館があった)
 
      
 
 
 
     熊野神社の狛犬・・・右が獅子で、左が狛犬、獅子が「あ」といい、狛犬が「うん」といってるそうです。

                  人は、「あ」といって生まれ、「うん」といって死ぬとの説明がありました。
 
 
                
 
         
 
 
成仏寺…将軍の宿泊施設
 
 浦島太郎のなみだ石がある
      
 
                       
                           ヘボンが本堂に4年間居住

 
              
 
 
慶運寺(フランス領事館に)
 
 60年に1回開帳の浦島太郎が持ち帰った観音像が安置されている。
 
    
 
  
    宗興寺・・・ヘボンが開港時5か月診療所を開設
 
                   
   
 
 
 本覚寺(アメリカ領事館に)
 
 
 
 
 
 このさきの上台橋のところで、今回のウオーキングは終わりましたが、最後に浦島太郎にちなんでおもしろい話を伺いました。
 さる大学の教官になる試験で、最後の面接の一番終わりに、「あなたは、桃太郎と浦島太郎のどちらがすきですか?」という質問が出されたそうです。
 
 その問いに、「浦島太郎」と答えた人だけを合格としたということで、その理由は、浦島太郎を好きな人は鬱にならないタイプだからということでした。
 
 桃太郎は強く正しい人物だが、浦島太郎の行動は、よくわからないところへ誘われるまま出かけるいい加減なところがある、このような人物をこのむ人は鬱にならないのだそうです。
 この話こそ、いい加減な話ですが、話的に私は、浦島の方が好きだったので、面白いと思って聞きました。
 
 ここで解散してちょうどお昼過ぎ。この日は、このあと第2ラウンドのお出かけがありましたが、それはまたの機会に。
 

東海道ウオーキング~川崎宿~

月1回、恒例となった東海道ウオーキングも、これから夏場になると疲れそうと思いつつ、今月も申し込みました。
幸い、晴れているものの風はひんやりとして、さわやかな日でした。
 
集合は、京浜急行 六郷土手駅。 ここは、川崎駅の1つ手前で、ここから多摩川を越えて、神奈川県川崎市に入ります。
多摩川は、昔は六郷川と呼ばれていて、六郷の渡しがあったということです。
 
六郷神社~六郷の渡し~本陣跡~芭蕉の句碑~生麦事件碑まで、10kmの道のりを歩きました
 
 
          
       六郷神社                               多摩川を渡る
 
 
                                   街中の道しるべ
 
 
               
 
 
 
                      芭蕉ポケットパーク
 
 
 
          市場の一里塚(江戸から5番目)
 
 
 
       
         鶴見川橋を渡る
 
 
        総持寺
 
        鶴見駅の近く。 とにかく大きな山門。曹洞宗のお寺。石原裕次郎のお墓も敷地内にある。
 
 
      
  
 
               キリンビールの工場が後ろにあり。
 
 午後は気温が上がって、最後の方は少々エネルギー切れでしたが、初夏のウオーキング、なんとか達成できました。
 
 
 

東海道ウオーク~品川宿~

毎月、第2土曜日開催の「東海道ガイドウオーク」、今回は品川宿を歩きました。
 
    
   
 
暑くも、寒くもなく、五月晴れの心地良い気候の中、平坦な道を10km、御殿山から鈴ヶ森まで歩きました。今回も、目からウロコがいくつかありました。
 
集合場所は、JR品川駅東側、品川セントラルガーデンの高層ビルの中の広場に集まりました。ここは、新しい都市空間というのがピッタリの場所で、緑も、良く管理された中に気持ち良く配置されていました。
 
      
 
 
出発にあたっての説明で、品川駅の東側というのは、江戸時代には海だったというのを聞いたのが、まず第1のビックリです。
 
京急をくぐって西側の御殿山があったという場所の説明を聞きましたが、今は緑の公園は見えるもののビルなどの建物が立ち並んでいました。黒船来航でこの山の土を大量に削ってお台場建設がなされたようです。京急の踏切を越えると旧東海道に入りますが、この絵にもあるように、旧東海道は海沿いだったのです。
 
   
 
 
程無く、問答河岸の碑と土蔵相模の碑がありました。
     ↓
 
   「海近くして 遠海寺(東海寺)とはこれいかに」と家光
  これに対して「大軍を率いて小軍(将軍)と謂うがごとし」と沢庵和尚が返した
  ダジャレ問答のこと
      
    
                         ↑
                 土蔵相模のあった場所は、今はファミリーマートになっていました。
 
 
利田(かがた)神社 鯨塚 
 
ー1798年、大鯨が迷いこんで江戸中の評判になりました。
 
 
 
    
 
これは、品川宿本陣跡の公園。品川宿は、江戸から2kmくらいのところなので、泊り客は侍と僧侶のいわくある人たちだったので、
「品川の客ににんべんのあるとなし」という川柳があるそうです。
 
しばらく行くと、道路の向こうに大きな品川神社が見えてきましたが、これは北品川の鎮守で、これに対して南品川には荏原(えばら)神社があります。
北品川と南品川は、目黒川で別れていてそこにかかっている橋が品川橋ですが、先程の南品川の荏原神社は今は川の流れが変わって、北品川にあるということです。
 
 品川神社  
 
 
 
     沢庵和尚の東海禅寺
  
 
品川橋をわたって、南品川を進んでいくと、品川寺(ほんせんじ)というお寺がありました。ここで第2のびっくりです。品川(しながわ)神社と訓読みするのは、神社が日本のものだからで、寺は中国由来のものなので、品川(ほんせん)寺のように音読みするのだそうです。
 
   六地蔵の1つが鎮座する品川寺
 
 
鮫洲八幡神社には、珍しいものがありました。この灯篭は、江戸時代には灯台の役目をしていたということで、第3のびっくりです。
 
     灯台代わりの灯篭
   
 
花が植えられている運河の堤防で、お昼です。花街道と言うそうです。お天気が良かったので、気持よくお昼がいただけました。
 
        しながわ花街道
  
 
昼食後、この運河を下って行った先に、龍馬ゆかりの土佐藩の「砲台跡」がありました。
 
     
  
 
そこから、立会川にそっていくと、浜川橋のところで旧東海道に戻りますが、ここが江戸時代に罪人がこの先にある鈴が森刑場に送られるときに家族と別れる場所ということで、「涙橋」とも言われていると説明がありました。昔は、今より刑は厳しく残酷なのは、日本史でも習った記憶がありますが、ガイドの人の「だから、江戸時代は今より犯罪は少なかったはず」という説明は納得できませんでした。
 
 
最後の解散場所は、磐井神社。「心正しい人が飲めば清水となり、よこしまな人が飲めば塩水となる」といわれた磐井の井戸というのは、今は神社の外にありました。
 
   
 
ここで最後のびっくりですが、出発地点のJR品川駅というのは、実は品川区ではなく港区だったのです。品川区を少し出たところにありますが、それでも名前は品川駅。詳細はわかりませんが、そこにはまたひとつお話がありそうですね。
 
今回も、江戸のころにタイムスリップして歩いた1日でした。
 
 *朝のNHKニュースで、都会の中に生える筍のことが話題にされていました。よく見るとそこは、今回の集合場所のJR品川駅東側のビル街の一角。
 あそこだ、と思いながら見ていましたが、最後にレポーターの人の「港区のJR品川駅・・・から中継しました」の言葉。何て私にとって旬な言葉でしょう!今回のウオークに参加しなければ、この言葉が耳に残ることは無かったのかもしれませんが。(5/11追記)
 
 

東海道ウォーキング ~お江戸 日本橋~

4月になり、東海道ガイドウォーク、今回は出発地点に戻りました。
 
幸いお天気にも恵まれ、常盤橋から高輪までの10Km行きました。
集合場所は、東京駅丸の内北口改札。すぐ右方向に行くと常盤公園です。ここで準備体操をしてから常盤橋を渡るとすぐ金座跡に着きます。
 
  
  
 
こういうと、
何だか、江戸の町を思い浮かべますが、実際は大都会。金座跡というのは、日銀のことでした。日銀を見るのは、正直初めてでしたので、その重厚さに感心しましたが、その先には、三井住友銀行本店と三越本店が向かい合う通りで、この二つの重厚さにはもっと驚かされました。
 
      
  
 
そうこうしているうちに、お江戸日本橋に到着です。記念になるモニュメントの前で説明を受けましたが、実際は、とても広い道路で、車が走っている道の横を歩いて行きます。国道10号線とか言ってました。この道を、しばらくずっと歩いて行きます。途中、歌川広重住居跡に立ち寄りましたが、ビルの壁にその説明があるばかりのところでした。もっと先の方にある西郷と勝会見場所というのもビルの前に碑があるだけなのも、変貌をとげた東京の姿といえます。
 
    
 
         
 
 
道は、そのうち銀座になり銀ブラ歩きとなりました。こうなると、都会育ちの血がさわぐというか、なんだかウキウキしてしまいました。銀座ユニクロ、H&M、ヤマハ楽器、などを横目に銀座の柳の碑にたどりつきました。
 
     
   
 
ふと、向こうを見るとビルが立ち並んで全く壁のようになっているように見えるところがありました。そこは、私たちが進んで行くところで、旧新橋停車場跡です。跡であって今は、ビルに取り囲まれた真新しい資料館で、汐留めのあたりです。
 
    
 
   
 
 
そこから、線路を越えて、次のポイント地点、芝大神宮、増上寺、芝公園と進んでいきました。
芝大神宮では、今結婚式の3組に出会いました。生姜が有名とか。
 
     
   
 
増上寺は徳川将軍のお墓が祀られています。隣に東照宮というのがありましたが、家康は日光に祀られているということ。また、15代は別の一般の人のところにあるということでした。
 芝公園でお昼でしたが、この辺りからは東京タワーも間近に見えて桜もきれいでした。
 
   
 
昼食後は、もとの10号線に戻って、品川の方へと進んで行き、札の辻、高輪大木戸跡を確認してから、
 
    
    
   
忠臣蔵ゆかりの泉岳寺、イギリス人が居住した東禅寺に立ち寄って、解散となりました。
 
    
 
帰路は、品川からJRに乗って帰りましたが、JR品川駅構内は東京駅とはまた一味違う感じに楽しくなっていて、百貨手風のエリアの喫茶店に入ってティータイムをとり、書店を散策して帰りました。
 
       
 

箱根宿ウオーキング

東海道箱根宿ウオーキングに行ってきました。
このシリーズ、4回目の参加です。
 
大磯集合の時から参加しましたが、2回目は国府津、3回目は小田原とどんどん遠ざかり、今回は箱根湯本集合です。そして、さらにバスに乗って畑宿が、ウオーキングの始まりの地点です。ここから、箱根の関所まで5Kmの道のりを行きました。
 
 今までは、大体10kmのコースが常でしたが、それでも今回の方が大変ですよということでしたので、ちょっと覚悟しました。
 
畑宿一里塚から、橿木坂(かしのきざか)、猿滑坂と石畳の急坂を登って行きます。石畳は、ところどころ苔むしているのが、いい趣です。
 
      
 
 
甘酒茶屋でのお昼休憩は、11時半と早い展開でした。今日は、薄雲で暖かく、風が強く吹く日でした。こういう山ですと、すっきり晴れる日は少ないらしく、今日はまだいい日だったかもしれません。
 
        
   
 
昼食後の上り坂では、雪がまだ所々に残る道にさしかかり、この雪模様もすてきでした。
 
        
   
 
途中、二子山を間近に展望する場所に立ち寄りましたが、何と二子山は、四子山になっていました。「表二子に裏四子」というのだそうです。
 
     
 
この辺りから、そろそろ芦ノ湖に向かって下り坂になりますが、芦ノ湖の見える権現坂の近くに、広重の浮世絵「箱根(湖水図」のもとになった風景がありました。
 
  
 
  と言っても、広重の絵は、写生と印象をもとに描かれているので、箱根の山々はことさらに大きく書かれています。
   
 
芦ノ湖畔近くの道に、ケンペル・バーニーの碑というのがあって、オランダ人ケンペルさんは、元禄の頃、箱根の美しさや日本の文化を「日本誌」に表わしてヨーロッパに伝えたそうです。また、イギリス人のバーニーさんは、大正時代に芦ノ湖畔に別荘を持っていて、「日本誌」に感嘆してこの碑を建てたということです。よその国の人に、愛されるのは何だか嬉しいです。
 
 
   
   
 
芦ノ湖は、強風でかなり波が高く、記念撮影の時にも大波がザンブリと押し寄せましたが、こんな中釣りを楽しむ人もいました。
 
   
   
 
箱根旧街道杉並木を過ぎて、しばらく行くと、
 
    
 
 ゴールの箱根関所が見えてきました。 
  この関所は、関所跡に文献に基づいて再現したものということです。通過するだけなら無料で通れます
  
       
 
ここで解散したあと、急いで元箱根行急行バスに間に合ったので、疲労感無く帰ることができました。

小田原宿ウオーキングⅡ

ブログ更新、ご無沙汰している間に、東海道のガイドウオークの日がやってきました。
今回は、小田原宿のパート2、小田原駅から箱根湯本までの9Kmを歩きました。
 
この場所は、室町、江戸、明治にわたって、他に類を見ない史跡と伝説がちりばめられたところということです。
といわれても、もともとそんなに興味があったわけでは無かったのですが、いつものことながら、実際に見て、説明を聞きながら歩いて行くと、色んな人の思いが古い遺品と共に甦り、由緒ある風情で迫ってくるから不思議です。
 
今日は雨が降って寒く、生憎のお天気でしたが、あちこちの庭に、梅か、早咲きの桜かが咲いているのが、春を感じさせてくれました。
 
 
  松永記念館
 
  日本の電力王、松永安左衛門が、別荘内に設けた美術館
 
       
 
 
    「老欅荘」
  
 
 
    
 
         
 
 
 
   紹太寺
 
  江戸時代、小田原藩主、稲葉氏一族の菩提寺
 
     
 
 
          
    
 
   ◎早雲寺
 
  北条早雲の遺命により、建てられた臨済宗のお寺
 
  
 
        秀吉、小田原攻め縁の銅鐘
      
   
  北条幻庵作、枯山水の庭
 
 
   次回は、今回の終点、箱根湯本に集合して「箱根路」を行きます。
   今度は、山道5kmで今回よりも大変ということ。楽しみなようで、ちょっと心配です。
 
 ※この頃、入力時文字があちこちにワープします。どうして?記事を書くのも一苦労(++);

小田原宿ウオーキング

1月9日(土)
先月から参加し始めた、東海道のウオーキング、今月は小田原宿を目指して歩きました。
小田原宿は、江戸から数えて9場目のお宿で、旅人が最初に通る城下町ということです。
 
JR国府津駅に集合して、小田原城までの10Kmを行きました。
道々、お寺、神社、一里塚、遺跡などを紹介され、今回も様々な発見がありました。
国道1号線の風景も違って見えるから不思議です。
 
 
    
 
  酒匂の渡し
 
   
 
         
 
 
  
   江戸口見附跡・山王一里塚
  
 
  
 
 
   小田原宿
 
  
 
 
   徳常院(この中に露座の大仏がありますー総身5m)
   箱根湖畔の賽の河原からこの地へ
 
 
   外郎(ういろう)
    知る人ぞ知る、北条時代からの薬のお店。今はお菓子も扱っている。
 
 
 
 
小田原城に到着、解散しましたが、希望者に城跡公園巡りガイドオプションがあったので、参加しました。
お城の門など、あちこち改修してきれいになっていました。説明は初めて聞くことも多く、参加して正解でした。
 
  小田原城跡公園
 
    
 
       
 
 
       
 
     
 
 
 
      
 
 
 
このオプションもあったせいか、今回、歩数計は今までの最高の23000歩を記録しました。その割には、元気に帰って来られたのは、ここ何カ月の効果かしら?と思いましたが、この元気は、帰って夕食を作り終えるまでで、その後は急に疲れが出てしまいました。
 
 
 
 

大磯宿ウオーキング

地元での「ガイドと巡る文化遺産」のウオーキングがすっかり気に入って、毎回参加するようになりましたが、そこから発展して、東海道を歩くことにも興味を持ち始めた夫につきあって、今回は「大磯宿」を歩く集まりに参加しました。
 
昨日は、今日の寒空とは違って、良いお天気の暖かい日でした。
 
     
 
大磯駅のすぐ前にある「エリザベス・サンダースホーム」に集合して、班ごとに出発しました。
このウオーキングは「神奈川東海道ウオークガイドの会」というのが主催で、やはり歩くだけでなく、資料とマップが配られ、主要個所のガイドを丁寧にしてくれました。
 
神奈川県内から集まった、団塊の世代周辺の14,5人の男女が班ごとに歩いて行きます。なんだか、まるで小学校の頃の遠足見たいと思いました。
 
というのも、地元でのは、4kmくらいで昼解散なのが、今回のはお弁当持参、お弁当タイムもあり、10kmの道のりなのです。それで、一緒の班の人たちとは、一時の縁ながら親しい気持ちを感じました。途中の場所で、集合写真を撮る係の人もいて、なかなか気が利いています。封筒で注文しますが、1枚150円、2枚200円も良心的。
        
       
       照ヶ﨑海岸                       鴫立庵(しぎたつあん)
 
 
 
      
     東海道松並木                 城山公園からの富士山 
 
大磯の史跡は、隣の町でありながら実際に見るのは、今回が初めてというところばかりで、相変わらず山のように撮影してしまいました。
 
この地のポイントは、もと宿場町から、著名人の別荘地、そしてリゾート地へと変わって行ったということらしいです。海と山にはさまれた、由緒ある場所が満喫できるウオーキングでしたが、少々疲れました。