カテゴリー別アーカイブ: 読書

「千の風になって」

「千の風になって」をある人から読ませていただきました。
 
昨年の紅白で、多くの人の知ることになったこの歌。私も、その1人といえます。
この本については、本屋で目にした記憶がありました。
 
  千の風になってという言葉、また、この詩の冒頭、
    私のお墓の前で泣かないでください
    そこに私はいません 眠ってなんかいません 
  というフレーズが、どこか印象に残っていたように思います。
 
この本には、原詩である、英語の12行の詩と、新井 満さんによる訳詩、歌の楽譜のほか、
今日本で歌われているこの歌が誕生するまでのいきさつもかかれている。
訳詩には、それのイメージされる自然の写真をそえて。
 
人の死、一番理解しがたい、整理の付かない心に、ストレートに温かさと力と希望をあたえてくれる
そんな不思議な力を持つこの詩の奥深さを、この本から知りました。
この本の著者で、「千の風になって」をこの世に送り出した、新井 満さんが、
この詩を通して感じた思い、体験には感動せずにはいられません。
 
そして、新井さんが出会うまでにもう何十年も前に、人から人へ色んな場所で、この詩は語られ続けていたことにも
これで力づけられた人たちのことを思って感動しました。
 
言葉と言うのは、ほんとうに人を生かす大きな力を持つ泉なのだと思いました。

「君についていこう」

「君についていこう」という本をは、随分前に書かれたようですが、
私がこの本を、見つけたのは、7、8年前、新しくできた中古書店でした。
 
続編と2冊あり、2冊とも、買い求めました。
 
これは、日本女性で初めて宇宙へ飛んだ、向井千秋さんのご主人の向井万起男さんが書かれた本です。
当時、結構いい本見つけたとうれしく思い、また内容も期待通り、楽しいものでした。
 
先日、なんとこの話が菅野美穂さん主演で、テレビで放映されることを知り、ビデオに撮って見ました。
 
本で読んだ印象そのままに、菅野美穂さんの好演で、向井千秋さんの魅力を新たにしました。
 
向井さんが、宇宙に飛んだ当時も、人間味豊かな雰囲気から、好感をもっていましたが、
私の兄によると、男みたいで旦那さんは苦労しているんではないかという評価に
ジェンダー(当時この言葉はなかったかもしれませんが)を感じたものです。
 
今回のビデオでは、宇宙へ行って感じたことで、地球の重力のことを話していたことが印象に残りました。
 
物が落ちるのを、下にくっつくと言う表現をしているのが新鮮で、
ニュートンが発見した万有引力のことや、地球上には重力が働いていることは習いましたが、
それを実感するということはすごいことなんでしょう。
 
そのことを、考えていると、地球と言うかけがえなく神秘に精巧につくられた
天体に生きている現実が、とても大事なものに改めて思わされました。
 

ターシャ・テューダー

いよいよ、カウントダウンが近づいてあせる気持ちの日々です。
 
嵐のあとは、初夏の陽気の昨日、外回りの用事をまとめてしました。
年内は晴れの日が続くという予報です(^^)V
 
クリスマスの25日の夜、NHKでターシャ・テューダーの番組がありました。
 
  彼女は絵本作家ですが、現在91歳で今も自分の絵本を再現したようなイングリッシュガーデンのある家で
  暮らしています。昨年、私はたまたま書店で彼女の写真入りのメッセージ本「今がいちばんいい時よ」を
  手にしてとても感動しました。そのことは、昨年のブログにも記しましたが。
 
  この本は、そのときすでに3冊目の本でしたが、特にこれに惹かれ購入しました。
  そして、大阪に1人暮らしの母のところへ持っていってそのままプレゼントしました。
  母はとっても喜んでくれ、その後またその本をどなたかに持っていってプレゼントしたようです。
 
 でも、今年の4冊目は、なんだか寂しく感じていました。
 
そんな時に、出会ったこの番組。 ビデオでゆっくり見て、彼女の世界を改めて堪能し、新たな発見ができました。
 
     彼女は、絵本作家であるが、人形を作る人で、そしてガーデニングの上手な人であることを知りました。
     彼女は、1人暮らしであるが近くにターシャの家族が住んでいて、必要なときに訪ねてくること、
     息子は家具職人で、ターシャの人形の家具も作る、息子のお嫁さんは30代にターシャから人形作りを教わり
     今は全米に知られる人形作家、孫夫婦は、ターシャの庭を守っている。
 
    今回の映像は、世界で1番最高のクリスマスツリーと手作りのごちそうで過ごす
    ターシャの家のクリスマスの様子でした。
 
 お嫁さんが話した心に残る言葉
   「ターシャは自身もいっているが、才能があるのではなく、努力の人であり、
                                並々ならない意志の持ち主である」
 
  そして、その世界の源は、
   子どものとき、1人でお人形とお留守番をする暮らしをしていたときに、
   自分の考える世界では、自由に何でも考えられることを知ったことから
                                であったことも興味深いことでした。
 
   ターシャの世界は、今年も私を励ましてくれました。
 
 

ある時間

今にも泣き出しそうな、空模様の日がとうとう終わり夜になりました。
昨日までの、夏を思わせる日は後退して、梅雨の終わりの大雨がこの1週間、日本列島のあちこちを襲うらしいことが伝えられています。
 
この3連休の一番のイベントは、夫の母のホームに出かけたことです。
月に、1~2回、夫と、電車利用で片道2時間半かけて出かけるパターンがここ1年位、続いています。
結婚当初は、半分くらいしかわからなかった富山弁が、年月と共に理解できるようになり、その味わい深い語り口がいとおしく感じられる人ですが、近頃では、その語りもあまり聞かれなくなってしまいました。
 
道中の車内で読み進んだゲド戦記の3巻にあった言葉、
ある人生と、する人生。・・・しかし(人は)何をしても、自由にはなりえない。するということをやめて、ただ、あるという、それだけでいられる時間は、たまにしかもてない」
自分とは一体何者だろうかと考える時間は、あまりないまま何かをし続けているのが人間ということのようなのです。
 
心の中のことに比重がおかれているこのお話。
このお話を読みながら、しばし窓の外を眺めて、ある時間に浸っていました。
 
 3連休が終わると、もうすぐ夏休みです。

「ゲド戦記」ー読書状況

今日は、とうとう完全に晴れています。外は気温がどんどん上昇しているのではないでしょうか。
近くの川の土手の、綺麗に咲きそろったアジサイは、暑がっているのではと思います。カメラに収めに行きたいところだけれど、紫外線をさけて、外出は夕方からにします。
 
「ゲド戦記」は、2巻まで読み進んでいます。
1巻は、ゲドが少年の頃、2巻は青年の頃。映画は、3巻から4巻のところだそうで、壮年から初老にかけてということです。
以前は、岩波の硬い子どもの本の売り場に、あったりなかったりしていたこの本も、映画化のおかげで、ソフト本が出て、1~5巻と別冊すべてが書店に山積みされるようになったのは嬉しいことです。
 
文章がとても巧みで、お話の世界に退屈せず引き込まれて行きます。
このお話のアースシーの世界は、沢山の島があり、魔法や、魔法使いが出てくる世界です。そして、その魔法は、この世界独特の意味や決まりを持っています。
 
この世界では、あらゆるものに真の名前があり、その名前を知ルことが、ある意味魔法の中身で、その言葉を能力のあるものが唱えることで、魔法をおこしているようです。
そして、なんでも願いを適えることができるのではなく、目くらましの術のように見かけだけを変えて気休めをする魔法や、
色んな術を同時に使うと、とても疲労するなど、魔法も1つの技能のような取り扱いで、魔法に頼るのでなく自ら実際にやってみることのほうがよい雰囲気があったりします。
 
というように、このお話はただの話ではなく、人の心や今の社会を暗示した、もう1つの世界のお話であるとも言えるところが、魅力に思えます。
 
戦記というものの、戦闘場面はそれほどリアルでなく、作者が、女性であるとわかってにさらに親しみを感じています。

スーパーカリフラ・・・

昨日の演奏会で、とても懐かしい言葉に出会いました。
「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」
 
曲目の1つとして、パンフレットに出ていたわけですが、思わず心の中で微笑みました。
 
メリー・ポピンズのお話の中に出てくる、あの言葉。
どうにもこうにもならないときは、言ってみよう!そうすれば、何だか元気が沸いてくる言葉。
本当に、何だかわからないけれど、乗せられて楽しくなるから不思議です。
 
この映画のビデオを見る機会が数年くらい前にあり、こちらもとても楽しく、音楽付きなので、映像と合わさって、エッセンスのある笑い、魔法、ユーモアに満ちていたことを思い出しました。
 
現実逃避? でも、どうしてもいい言葉が思い当たらないときは、5年に1回くらい、使ってみると効果があるかもしれません。
 
「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」最長の単語としてギネスに載っているということです。
 

セーラの心

ぐずつく天気が長引いています。
一たび外にでれば、初夏に向かって着々と準備を進める草花に出会え、心癒され励まされもします。そして、今を盛りと咲きはじめたパイロットの薔薇は、またこの季節が訪れたことを知らせてくれているようです。
 
セーラという名前は小公女セーラにあやかりたくてつけたものです(私の好きな児童書の主人公。携帯の着メロは、このアニメのオープニング主題歌、さびのメロディーを使用)
 
お気に入りの主人公、お気に入りの物語は沢山ありますが、
その中でも、この人、このお話が何故そう思わせるのかを考えてみました。
 
セーラは、自分が裕福なときも、どん底のときも変わらない強さを持っています。
原作を読むと、セーラは色々なことを、空想して楽しいお話として話すのが得意な少女として描かれています。
超一流お嬢様として育ったおいたちは、善の部分だけに作用していて、その後に逆境が訪れても、決して悪い方に染まることがありません。
プラス思考がいつも彼女を包んでいて、そのためにどこにいても、彼女のいる場所が希望のある場所となっています。
 
彼女を支えるプラス思考、これがどこから来るものなのか?私には、セーラが自分より弱い立場の人をいたわる優しい心を多く持っていることに大きなヒントがあるように思います。
 
主題歌の作詞者、なかにし礼さんもその辺をよく知ってか、2番のさびでは、「私だって幸せほしいけど、ほかにもっと大事なことがある。それが、愛かやさしい心かは生きてみればわかると思う」
詠っています。
 
また、最近読んだ雑誌からも、カギとなる言葉を見つけました。
「わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです。」(ヨハネの手紙Ⅰ、3章14)
 
他者への愛、これは自分の命のためにとても重要なことであることを覚えていたいと思います。
 
P.S.アニメ「小公女セーラ」のファンが、他に沢山いらっしゃることは、ホームページセーラ博物館を見つけたときに思いました(私は一回も書き込んだことはありませんが)

日曜日、読んだ本

 もうすぐ、話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」が世界同時上映される日が迫っていることもあり、テレビを初め、いろんなところで前宣伝が盛んです。
 
2年前に書店にこの本が売り出された時も話題となり興味をそそられましたが、映画化されるとなって再び話題に上るようになり、これの文庫本や関連する本が、ここぞとばかり書店に並べられているのを目にして、遂に映画を待たずに読んでしまいました
 
以前、これの関連番組をテレビで見て、キリスト教にまつわる秘密や、レオナルド・ダ・ヴィンチの実像などのことを聞いていたので、それが絡むすごい内容が書かれているのだろうか?と思いめぐらし
キリストの生き方に心を寄せ、希望としている者としては、気になるけれどなんだか怖い気持ちでもありました。
 
しかし、読んで見ると、話そのものはダ・ヴィンチにあやっかた推理物語がパリ、ロンドンを舞台に展開されているもので、映画を目の当たりにしているように楽しめました。
強面の警部、主人公に相応しい風貌の男と女が登場し、一件落着まで1日たらずの時間経過の間に膨大な量の謎解きと、キー・ストーンを追い求める目まぐるしいアクションが用意され、
黒幕は、やはりえっ!と驚く人物であるという展開は、昔読んだ推理小説のパターンでした。
 
そして、膨大な資料を駆使し実在のもので話が進んでいく見事さは、最後のページまで飽きさせないが、ついに肝心の謎は心の中にしまわれる形で完結します。
 
フィクションでありながら、この話全体が何か隠された二重の意味を持つのではないのかと感じさせる冒頭の言葉、
「この小説における芸術作品、建造物、文書、・・・に関する記述は、すべて事実に基づいている
これが、この話をただの推理小説として片付けさせないのかもしれないと思いました。
 
映画では、どんな描き方がされるか楽しみです。

「博士の愛した数式」という本

最近、「博士の愛した数式」という本を読みました
すでに、1月から映画化されたようで、それで何冊も本屋の店頭に並んでいたので私の目に止まることになったのでしょう。
 
このごろ電車に乗っているときに読むためにときどき興味深いタイトルの本をかうようになったのですが、チョット前に買った、「海馬 脳はつかれないは、まだ途中にもかかわらず、こちらを先行させました。
 
「ぼくの記憶は80分しかもたないとのメモを袖に貼り付けた数学博士に興味を持ったからですが、事故により特異な現実を背負うようになったからこそ、あきらかになったのであろうこの博士の数の世界への思い、人となりが、とても魅力をもって迫ってくる話でした。
 
博士の目を通すと、この現実は必ず数が介在してくるところが面白い。
主人公の私の誕生日2月20日から、220をとりだし、博士の学生時代にもらった学長賞の番号284が、互いの約数を足したらあいての数になる友愛数になるといった具合に。
 
子どもに対する態度にも感心させられました。
私、家政婦の10歳の息子さんを、その頭の形からルートと呼び、ルートは「どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまう実に寛大な記号」と表現し、子どもを一人で家においてはいけないと厳しくたしなめ、連れて来させ、ルートに対してはどんな話でも丁寧に相手をする。
これは、この博士の本質なのでしょうが、それが静かに輝いているように感じられました。
 
先に買った「海馬」の本を読むと、脳の海馬は、色んな情報を一時プールして篩にかけるところなので、これがしっかり機能しないと博士のようになることがわかりました。
 
不思議に造られている人間ですが、それを生きる私にできることは、今をしっかりと、脳(体と心)を動かして生活することなんだと改めて示された感じがしました。
 
 

「星の王子様」とバラの花

この本を初めて読んだときからもう随分たちますが、ここに書かれているいくつかの言葉いくつかの場面は、機会を捉えて意味を持ってあらわれ、しばしその言葉に憩います。
 
「砂漠があんなに美しいのは、どかに井戸をかくしているから」 
 
王子様は、チョットわがままだけれど自分が守ってあげなければいけない小さなバラの花をもっています。あるとき、バラの辛らつな言葉に耐えかねて自分の星を後にするのですが・・・
 
王子様にとってこのバラの花がどれだけ大切なものであるかということを知る過程が、生きる意味への真の洞察となって、多くの人の心に共鳴していることを感じます。
 
キツネが教えた秘密 「肝心なことは目に見えない。心で見なくては」
 
どれだけ多くの花に囲まれていても、どれだけ星が美しくても、それだけでは何も意味も持たないけれど、何らかの関わりを持ち心を交わす時間を過ごすことから、すべてが違って見えてくる。
 
そう、この書の中には、そのことを暇つぶしをするとか飼いならすとかという表現でもあらわされているのですが、一見そんな風に見える時間も、大事なものにつながっていることを思います。
 
             
 
「星の王子様」の翻訳は、昨年ぐらいから複数の人によってなされるようになり、興味深く書店でながめますが、あとがきなどを読むと色々な見方があると思わされます。その中には首をかしげるものもありましたが、共感した1冊を昨年購入しました。 
 
もう5年くらい前になりますが、箱根の「星の王子様ミュージアム」に行きました。
ここは、なかなかイメージをそこなわずできていて(中身は星の王子様というより、サンテグジュペリミュージアムでした)、展示されているサンテグジュペリの遺品などを熱心に見ました。
 
そのとき、夫の母が「ああ、あなたはこれが好きなのね・・・。私にはよくわからないけど。自分の子どもの外套が飾られているのならいいけど」(というニュアンスの言葉)。
何と正直で鋭い言葉!と、今も心に残っています。