
昨年の夏には、実家大阪には行けませんでしたが、今年は行ってきました。
一昨年に、毎年の行事として、8月8日の施餓鬼参りに母と兄と3人で和歌山に行ってきたことが今更ながら遠い昔のことのように思い出します。
昨年の私の一大事と母の生活の変化はほぼ同時進行でした。一昨年暮れの母の入院、年明けて退院したのもつかの間、足の衰えから家での生活に不安を感じるようになり、サービス付き高齢者住宅に要介護2で入所。そのスタート時には、私も大阪に出かけ部屋を整えたりして、母の新たな生活がスムーズに行くよう働きました。が、その後は私の方に心配事項が発生してしばらく大阪行きは遠ざかざるを得なくなりました。
その間も、6時半からの電話タイムは習慣として、ほぼ毎日行っていて、施設生活のスタート時にかかわったこともあり、母の話すことや様子は手に取るようにわかりました。一昨年末、入院した母のために簡単携帯を購入したことが、今に至るまで功を奏しています。
ようやく一段落ついて、行くことができたのは昨年の11月、そして4月にも、次女夫婦を伴って結婚報告に行くことができました。
現在母は、今の環境に慣れて大過なく過ごせていますが、年々生活が縮小していくようなのが切ないことではあります。
滞在は4泊5日、中3日間を母のところに訪ねて行きました。いつもは大阪単身滞在の兄がやっている、医院のお薬と食べ物の差し入れを引き受け、母宛の郵便物を届けて語らいの時を持ちました。郵便物の1つは母の甥からで、母の2番目の兄の遺作の絵画作品集です。絵を習ったことがないにもかかわらず、晩年認知症の妻の傍らで書き溜めた200枚にも上る絵。母と、伯父さんを偲びながら絵を楽しませてもらいました。
母のワンルームは、ベッドと車いすがある他は、大型収納とトイレと洗面があるのみ。そこへ、組み立ての収納台をニ〇リで買って毎回届けてます。今回3個目の木の台を組み立てました。ようやく、色々整理して使える部屋になりました。1つは机に、1つは飾り台に、今回のはベッド横のサイドテーブルとして。
滞在期間はあっという間に過ぎ、また毎日の電話交流の日々に戻りました。滞在中、初日はしっかり、あと2日はちょっと危ない感じの母でしたが、電話では母らしさのある律儀な応対に戻りホッとしています。母の活動の幅が狭まるに連れ、話の中身もワンパターン化してきましたが、まだ携帯電話の着信ボタンを押して話せることが大きな救い、私と母との大きな絆となっています。
このブドウは、以前はイチジクを植えてあった場所に植えたもので、山梨に出かけたときに苗木として売られていたのを購入しました。確か3本買いましたが、この1本だけが育ってくれました。昨年、一昨年は葉を伸ばすばかりでしたが、昨年の夏の終わりにブドウの実らしきものがようやくつきました。冬が来て初めての実は育ちませんでしたが、春が来て期待通り実をつけてくれたのです。
さて、とにかく植物、作物育成に疎いので、肥料などは昨年の秋の残りを春先に施した以外は何の手入れもないままです。でも、数えるところ10以上の房をつけはじめたので、よく見かける袋をつけるべきかと思い、ネットからも情報を得て、今回新聞紙で作った袋をとりつけました。
大概夫の運転で出かけることが多いですが、今回は珍しく電車で行くことになりました。それというのも、目的が箱根登山電車、今の時期は通称「あじさい電車」に乗ってあじさいを鑑賞することだったので。10時に家を出発しました。
終点の強羅駅からはケーブルが出ていてさらに上へ上っていけますが、今回はお昼をいただき強羅駅周辺を散策して戻ることにしました。強羅公園に数年前に来たばかりでしたので、その周辺を歩きましたが、急坂、横の道は平、というような地形で登って下って戻ったという感じです。
昨日のうちに瓶の消毒なども終え、痛みの激しかった3番目の梅のキズを切り取ってヘタをとる作業、原形がしっかりあるものから600g選別するところまでをすませました。

あとは、南高梅です。せっかくだから梅干しにしたいと思いました。梅干しは、何年か前、数年間ぐらい毎年作っていたころがありましたが、今はその情熱はありません。けれど、さらにさかのぼるころ、確か8パーセントの簡単梅干しの作り方を教わって作ったことがあることを思い出し、昨夜そのレシピを探し当てました。(
無事スマホ1ギガ未満をクリアして、6月を迎えました。気が付くと、家の周りはドクダミの白い花に包まれています。ドクダミの花は、梅雨に入る前に咲くそうです。

どこもそれぞれに魅力的でしたが、ひがし茶屋街からお城へと移動する時に、休憩を兼ねて加賀藩御用達菓子司の茶寮で抹茶セットをいただいた後、お城へは反対側から入る予定にしていたのに、何故か白鳥路という外周を歩くことになり、前日と同じ石川門まで来てしまい入るというハプニングがあったこともあり、金沢城が最も印象に残りました。

最後のほうで、ごく小さい石の印を夫が見つけましたが、それは金沢大学跡というものです。今から70年前から40年間、金沢城の中に大学があったということです。確かに、駅にも近く、大学にふさわしい広場や木々などの景観があり、ここに通われた学生さんは由緒ある文化の雰囲気の中で学ばれたことでしょう。
北陸新幹線に乗るのは初めてなので、かなりワクワクし、東海道新幹線よりもややグレードが上な感じもうれしく、窓からの風景も新鮮に感じ、何枚もシャッターを切りました。行きに乗った「かがやき」は、1県1駅しか止まらず、見る見るうちに県を越えて行くスピードにも感動しました。

元号が変わった初日の5月1日に、花菜ガーデン作業に予定を入れていました。
