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大晦日

大晦日というと、大概お節料理の何品かを手作りしようとぎりぎりにとりかかって、夜になっても追われてることが多かったが、今年は潔く料理の方は最低限で過ごしました。

が、いつもは遅くとも10時半までに就寝するはずが、ついパソコンを開いてしまった。しかも、紅白で賑やかしたら、懐メロが目白押しでブログを書くモードではなくなったが、せっかくだから少しだけ足跡を残しておこう。

2025年は良い年でした。万博にも行けて、元気を取り戻せました。12月の出来事、思い色々ありますが、この面白く楽しい生活が少しでも長く続くことを願って、今年の1年を感謝して終えたいと思います。

2 月に入り

ここ数日寒い日が続いています。日本列島を見渡せば、日本海側では大雪警報が続いていて毎日のように雪かきが欠かせないというニュースを目にします。幸い関東地方は快晴で乾燥という、反対の気候。富山出身の夫は若い頃、この違いを身を持って感じた時に衝撃を受けたそう!

それはさておき、2月は私の誕生月。しかも今年の誕生日はいよいよ大台、古希を迎えました。昔私の明治生まれの祖母が、「〇〇〇〇〇、古希を迎えし元旦に 心静かに雨音を聞く」と言う短歌を披露してくれたことがありました。私、18歳くらいだったかな。当時は、若い世代が大量にいて老人はわずかの時代。何だか寂しそうでした。その年齢に私が達したことにとても感慨深いものを感じています。

老人がドサっといる時代。つい自分の年齢を忘れていますが古希という字がその事実を思い出させます。

今日は、1つのけじめとして運転免許証の自主返納の手続きに出かけました。車は殆どペーパードライバーだったけど、運転経歴証明書を作ることにしました。この手続きには運転免許証の更新と同じ大きさの顔写真と1100円の収入印紙が入ります。今回この顔写真、家で撮ってコンビニのマルチコピー機で証明書の写真を作りましたところ、少し小さいと言われて、今度は4分割の写真を撮って行ったところこれは大きすぎと難航しましたが、何とか申し込みにこぎつけました。出来上がりは来月です。この際にいただいたのが、この証明書カードで利用できる施設の一覧表。ただの記念にと思ってましたが、特典もあったようです。

*今回、スマホからの新規投稿をやってみました。パソコンからと同じ感じで出来ましたし、写真画像の挿入は、スマホ保存の画像からダイレクトに挿入できることがわかり、パソコンより手間要らずなこともわかりました。これなら、手軽に更新出来ます。Instagramへの投稿と半々に出来そうです

11月の出来事

11月の出来事として予定されていた次女のところの赤ちゃん、無事に生まれました。そして予定通りに、私と夫とで出来るヘルプになんとか通いながら11月が過ぎて行きました。

その間に、私の所属団体では1年で1番のイベントがありそれに微力を出す日もあり、またその後の近くの集まりで、思いがけずのスイーツを楽しむ日もありました。

そんなこんなで、私の中で暫く遠ざかっていた手作りのお菓子や料理も必要に駆られ、いくつか復活できたのは喜ばしいことです。何か自分に出来ることを見つけて計画し行動することが人には必要なことで、それが体にも心にも癒しとなることを痛感します。

足の裏の痺れや痛みはまだまだ回復しないので、カーブス休会1年間の期限の迫るこの月末には退会しようと手帳の予定にも記入していましたが、ある言葉を投げかけられたことで180°気持ちが転換し、昨日12月から再開の手続きをしてきました。慣れたところを続けることは大事だと気持ちを新たにしています。

私の所属団体の近しいところで、6月まで元気だった方がその後余命宣告を受け3カ月で亡くなるということがあり、皆言葉では言い表せないショックを受けましたが、今朝お隣の会でも全く同じような経過で亡くなった方の訃報が届きました。元気で一日を過ごす今は当たり前のことではなく人の命はとても儚いものであることをつくづく感じています。

温暖化の日々、秋の訪れは遅かったですが、まずテレビを通して日本各地の名所の紅葉を目にし、急に寒さが訪れた日に市街を見回してみると近場の木々も色づいて秋の趣と冬の訪れが近いことを感じました。幸い、私の住んでいる地は西高東低の冬場れの日が多いのがありがたいことです。この冬も希望を持って過ごせますように!

大阪へ-母との面会

大変暑い日々のまま、8月が始まりました。

今回大阪へ行くのは4月以来です。2月に母のところへ行ったことを記してからは、母のことを暫く詳しく書いてませんでしたが、母はここ数カ月で大きく変化しました。

2月に会った時、20年目の父の命日をしみじみ思いながら、母と筆談で話し持参したお菓子も食べてくれたあの時間はもう遠いものになっています。

コロナの縛りもゆるくなり、3月のお彼岸にまたと思っていた3月の初旬、その日は兄が面会に行く日でした。施設のミスで入浴の世話をしてもらっているときにストレッチャーから転落して頭と肘を怪我して、救急搬送されたのです。

兄が施設との交渉に当たり、当時の状況や時々の対応もしてくれ、私は入院治療することになった病院とZoom面会の予約をとって母の様子を見守りました。頭の傷は痛々しいものでしたが2週間くらいで施設に戻れ、お彼岸に施設に面会に行きましたが、その時は昼夜逆転していて眠っていました。

そして、その翌日にはそれは実は異変だったようで、再び救急搬送となってしまいました。尿路感染をおこして心臓に負担がかかり肺に水がたまったからで、高齢者がこの状況になると危ない状況であり、治っても繰り返すとの説明があり愕然としたのが3月下旬です。しかし、この時、点滴治療を数時間して入院するときには意識が戻り、兄と私をしっかり認識してくれました。そして、その後は見立てに反して回復しました。

しかし、元の施設には戻らない方がいいというアドバイスに従って、今の療養型病院に転院することになりました。当時コロナの影響で、入院してしまうと一切面会ができなかったのですが、転院移動のときだけは付き添えるので兄と二人で付き添いました。母は半分わかっているくらいの認知レベルのように感じました。4月下旬のことです。

転院先の病院も面会は出来なかったのですが、Zoom面会が週1回出来、その後月2回面会も出来るようになりこちらは兄が行ってくれています。

この面会枠を使って、今回長女が夏休みを利用して子どもたちを連れて来てくれることになりました。と言っても、2時から3時の間の15分間だけで、2人まで。子どもは面会できません。その間1階の待合ロビーで待ってもらいました。

私と娘で貴重な15分を過ごしました。母は眠っている感じでしたが、時々薄目を開けたりで呼びかけに少し反応してくれ、娘は喜んでくれました。

短い面会ですが、実現できてうれしく思っています。

大阪行き

先週、母に会いに大阪に行って来ました。

コロナ禍で、1年に1回行ければいいような状況が続いていましたが、ようやく抜けられそうな方向が見えてきました。年齢を考えるとあと何回会えるのかなと思うと、後悔のない時間を過ごしたいとの思いが募ります。幸い母は今のホームに馴染んできて元気にいてくれたのが本当にありがたいことでした。

今回は2月8日が父の命日なので、その日に面会の予約を取り部屋まで入ってゆっくり1時間半集うことが出来ました。父が亡くなってから早20年という年月に今更ながら月日の経つ早さを感じます。

母の状態は、耳がかなり聞こえづらくなっていて会話が中々成立しないのがもどかしくなっています。それで今回は、ひと工夫してホワイトボードを使って筆談を試みました。認知度も確かにかなり下がっていることは否めませんが、私の顔は近くでみて「本間にK子や」と嬉しそうにしてくれました。聞き取れていなさそうな時は、ホワイトボードに書くとしっかり伝わりました。作戦成功です。

もう一つ踏み込んで、母にもホワイトボードに何か書いてもらおうと思いペンを向けましたが、意欲を見せるもののうまく持てなく、それでも5文字ほどゆっくり書けましたがそれが限界でした。しかし、やってみようと思う気持ちがあったのが嬉しく思いました。

帰る時は、施設の出口まで車いすの母と手をつないで歩き、見送ってくれました。

***戻って1週間。今朝、私の心をつかんだNHK朝ドラの言葉「ほっといたら消えてしまう気持ちを記録に残したい」ー全くこの思いで、このブログが長く続いていると思います。

お祝い袋の製作

今年の夏休み、長引くコロナ禍で世代間訪問交流はお決まりのことではなくなりましたが、長女、次女それぞれささやかな交流が出来ました。

次女一家は、1歳のYKちゃんを連れて訪問してくれて、楽しいひと時が過ごせました。この年齢の成長はめざましく、出来るようになったことを賞賛しまくっています。だからなのか、YKちゃん、パチパチとおじぎも上手。

長女の方の孫は、小学生2人のこともあり、ここは慎重にと予定はありませんでしたが、小1の子の7歳の七五三を前に、家族でスタジオ写真計画をしたとのこと。その前撮りがあり、持ち物の関係で一瞬、うちに立ち寄ると前日の夕方に知らせがありました。

そこで浮かんだのが、七五三のお祝。11月に渡すつもりでしたが、前撮りの今渡すのも悪くないなと思い立ちました。が、問題はお祝い袋です。・・・在庫はありません。中身が主だから普通の封筒で?それは、選択外。

そこで、思いついたのが家にあるもので作る、もし上手くできなかったら今回渡すのはやめるというもの。今の時代、ネットで検索すれば色々出てきます。家にあるもので作れて、私でも作れるものを探し、何とか完成にこぎ着け、翌日無事渡すことが出来ました。あり合わせなので、配色といい会心の策ではありませんが、俄か製作にしては使えるものになったといううれしさはあります。第三者の反応として、まず夫に、そしてたまたまこの時間帯にメールのやりとりをしていた友人にも見てもらい使用に踏み切りました。

*その友人からの要望もあり、作り方を紹介します。

1,折り紙を4枚用意(柄2枚、無地2枚)し、上下を細い両面テープで其々つなぎ、左右も縦1本でつなぐ。

2,上3㎝、下4㎝をカット。次に左10㎝、右8.5㎝に縦に山折りして折り線をつける。

3,上1.5㎝、下2㎝を山折りし、折り目を付け、真ん中を↓のようにカットする。

4,折り目を折って、ひっくり返して裏返したのが前面になり、大きく糊付けする。封筒の形になるので、上下のふたも糊付けして仕上げる。

5,封筒の形が仕上がったら、細いリボンを2本用意(24㎝、37㎝)。短いリボンを封筒の後ろから真ん中の継ぎ目が隠れるように前に持ってきて重なりを両面テープで止め、つなぎ目の上に長いリボンで作った蝶結びのリボンを両面テープで取り付ける。

6,最後に真ん中の文字を書く白紙、3㎝幅、19.2㎝を用意する。上部を両面テープで貼り付け仕上げる。

千の風

「しばらくぶりですが、今度家の方にいらっしゃいませんか?日曜日の午後はいつでも空いていますので」と電話があったのは、先月の半ばごろでした。近隣の市に住む、夫の従妹に当たる方からで、同じころに結婚と同時に関東に住み着いたというのが共通点で、年齢も近いことから、子どもの小さい頃にはよく行き来していた方です。

しかし、ここ10年のうちでは2,3回位。ちょうど2年位前にその方の他県に住むお母様が一緒に住まれるようになったので、暖かくなったら遊びに来てくださいと連絡があって以来。その後、世の中はコロナで大騒ぎで、人の行き来は大幅に制限されることになりました。

コロナが下火になり、早速またお誘いくださったわけですが、こちらも色々と立て込んでいたので、11月の上旬にと少し引き延ばし、先週の日曜日に夫とお邪魔しました。お宅に伺うのは、とても久しぶりでしたので、知っているつもりが、街の様子も変わっていたので迷った末の到着でした。

89歳のお母様を囲んで、郷里の高岡の思い出話を沢山しながら、楽しい会話が始まりました。「○○さん(夫の母)はあの時はあなたのこと喜んでたがや」「こっちにも海があるけど、なん、向こうの雨晴の海の方がどれだけきれいかと思う」とか。でも、この方の恵まれているのは、二人のお子さん家族、5人のお孫さんすべてが現在関東に住んでいて、4人のひ孫さんはごく近くにいらっしゃり、それぞれよく訪ねてくださって賑やかにお過ごしであるということで、私たちにも、「近くやし、また遊びに来てください」と言ってくださいました。そして、「今は100まで生きる時代やから」と2,3回話されていたのは印象的でした。

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それから、1週間もたたない一昨日のことです、訃報が入ったのは。耳を疑いましたが、トイレで倒れ、救急搬送後、程なく亡くなられたということです。日頃から、最後はそういうのが良いと言ってたから本当にその通りで良かったと言われましたが・・・

人はとても儚いものであり、人が生きているのは生かされているのだなと改めて思わずにはいられませんでした。明日はお見送りしますが、よい人生の最後を見届け、生きる者の感謝の思いを新たにしたいと思っています。

1年4ヵ月ぶりの大阪

前回大阪に出かけたのは、2020年の6月。

コロナ禍が少し収まっていて、母が入院先から新たなホームへと移るタイミングで出かけて以来です。まだ不要不急の移動は控えるように言われていて、ホームの方も入所のために特別に入らせてもらう感じで、追加の届け物の時は、もう入れないような状況でした。

その後、それでも母とは毎晩の電話があったので、繋がっていられました。しかしその後、状況は変わり、母との電話は絶たれていますし、緊急事態宣言中のサービスであるビデオ通話も今はありません。というわけで、第6波が来る前にと出かけました。

大阪行きは、1年4ヵ月も過ぎたとは思えないくらい、慣れた旅でしたが、町の様子は色々と変化がありました。最寄り駅周辺の建物や、新たなお店など。「町は生きている・・・」が実感できました。

行き帰りのほかは中3日滞在し、1日目と3日目の2回ホームを訪問する予約をとりました。兄からは、顔はわかっても会話が出来ないくらいだったと聞かされていましたが、感動の再会場面は、

「だれかわかる?」「いや・・・」「K子やで」「え、ちょっと顔見せて」フェイスシールドの下のマスクをとると、「K子の顔やわ!」「神奈川県から来たんやで」「何で来たの?」「会いに来たんやで。コロナでずっと来られなかったから」「そう。来てくれたん」と、やっとうれしそうな顔になりました。

その後、自ら起き上がり、一緒にアルバム写真を見て色々思い出してくれたようでした。大音量でつけっぱなしのテレビは入ったときに切りましたが、リモコンを渡して操作を促したところ、興味を持ってつけたり消したりし始めました。最近、この操作にも関心を示さなくなっていたのですが。

2回目の訪問時には1つ計画があり、実家マンションと自分の実家の写真、それとひ孫たちの写真集を壁に貼っていつでも見られるようにしました。母は、色々思い出して来たと言ってくれました。また、たまたま見つけた、100均のマグネットフレークで、冷蔵庫の壁にメッセージも残すことが出来ました。この日も、テレビのリモコンへの興味は保たれていて、手元に置いていたので、不自由な暮らしの中でも少しでも楽しみを見つけていられるようにと願いつつ部屋をあとにしました。

ちょっと余談ですが、100均マグネットフレーク。自宅用には日本地図を購入。各県ごとのピースパズルになっていて、さっそく冷蔵庫にはりつけると、オシャレで楽しく、中々すぐれものと満足しています。

秋の公園

3連休の最終日、長女が子どもたちを連れて家に立ち寄りました。前からの計画で、家近くの総合公園のふれあい動物園に連れて行くためです。

お土産を渡して見送るつもりでいましたが、この日は台風が去った後の爽やかな秋晴で、家にいるのはもったいないようなお天気だったので、一緒に行ってもいいかしら?と、迷いつつも行くことになりました。

この公園は駅方面に行く時にいつも横を通るところですが、ふれあい動物園や子供の遊具のあるエリアには随分長らく行ってませんでした。今回は、メタセコイアの並木道に近い当たりに車を止め、そこから進んで行きますと、まるで初めてのところに来たかのように新鮮な感じがしました。わんぱくランドの手前にバードウオッチングができるコーナーがあり、わんぱくランドは最近リニューアルしたようで、随分魅力的な遊具が並んでいました。そして、子供連れの来場者がたくさん訪れていて、びっくりしました。

ふれあい動物園は予約制で整理券をもらって、15分間入れます。ポニーの乗馬発券も数に限りがあり、午後は1時から販売開始でほどなく終了となりました。

長女は計画的に事を運んでいて、整理券とポニーの券を並んで手に入れ、檻の小動物を見て、お昼の場所を確保し遊具で遊び、午後はふれあい動物園で、モルモット、ひよこ、ハムスターなどを膝に乗せふれあって、ヒツジとヤギにえさをやり、ポニーの乗馬を楽しんで帰るというコースでうまく進められました。

目が届く範囲で子どもが楽しめるのが良かったと思います。木々も茂っていて森林浴もできますし、松ぼっくりやドングリ拾いも楽しんでいました。

もちろん、マスク、手洗い、手の消毒の感染防止対策はみなさんとっていましたので、危険を感じることはありませんでしたが、早く以前のように心配なくあちこちの公園をもっと楽しめる時が戻りますようにと願いました。

母のこと

昨年よりのコロナ禍で生活スタイルが激変していることもありますが、母との交流も随分変わってしまったことを思います。

母は父が亡くなった後は、一人暮らしの日々を14年ほど過ごし、5年前からは北海道在住の兄が大阪に仕事を見つけ、単身赴任の形で北海道と行き来して一緒に住むようになりました。

父が亡くなった直後から、足のしびれなどが出ていて、年齢と共に筋力も衰えるようになり、兄が住むようになる2年位前頃には、スポーツジムはやめ要支援の認定を受けて、デイサービスで足を訓練するスタイルに切り替えていました。一人暮らしに不安を感じるようにもなっていたと思います。

それで、離れて住む私の出来ることとして始めたのが、実家への帰省を増やすことと、毎晩定時に電話することでした。帰省の回数は遠方でもあり、年4,5回くらいにしかできませんでしたが、電話の方は、欠かさず日課となり、その日のことを語り合うことでお互いに安心することが出来ました。これは、兄が住むようになってからも、ホームに入るようになってからも、入院の時も、こちらが旅行の時も、かけられない事情のある数日を除いて毎日続きました。

しかし、ここ1年は母の認知度がさらに下がったこともあり、話す内容が決まってくるという感じになり、今年の1月には電話がなかなか取れない事態も出てきていました。ホームの人に様子を見てもらいやっとという状況でした。自分で取れた最後の電話では、「ああ取れて良かった!この頃、目も指の力も無いから」と。約2,700日の母と私の電話交流が終わりました。

そして、全くつながらなくなった数日後にホームに電話して調べてもらったところ、携帯電話が紛失していることがわかりました。電話で話せず、面会も出来ないとなると、母とのつながりが絶たれてしまうと焦りましたが、コロナ禍でもありホームの方で、ホームのタブレットとのラインビデオ通話を予約して利用できることを知り、今はそれを月に1,2回利用して母と話をしています。

これは母の顔が見られるので、様子が一目でわかるメリットがありますが、電話と違って画面越しに対面して話すので、うまく聞き取れないようで、ほとんど会話らしい会話ができていません。しかし、顔が見られるだけで目的は果たしているかなと思うことにしています。このビデオ通話の初めのころは、これは何?と不思議そうに合点がいかない様子でしたが、最近では、「久しぶり、元気そうね、足が悪いのでね、また来てね」とか話してくれています。

母の顔を見る限り元気そうで、持ち前の順応性で、あまり悲観せず過ごせているなら良しと思うようにしています。母のホームは、住宅型の有料老人ホームに分類される民間のリーズナブルなホームですが、市内にたくさん展開していて、実績のあるグループの新設された施設に入れたという良さがあります。介護スタッフは若い男女の方中心で、明るい雰囲気があり、食事は厨房で作られた温かいものを、4人テーブルでいただいています。

コロナ禍だからか、もともとかはわかりませんが、催し物はあまりやらないようです。ただ、母の場合、ケースワーカーさんの配慮で週に1回、散歩をかねた買い物に連れ出してくれる(30分)というのがあり、それはコロナ禍でもきっちりやってくれているようなので1つのメリハリにはなっていることでしょう。なので、面会が出来ないなら、この時間をねらって会いに行けば、外で会うことは出来るのです。それを兄が時々やっています。

昨日もビデオ通話で母の顔を見ることが出来ました。この先、大阪に行ける日は来るでしょうか?そのチャンスを逃すことなく備えたいと思うこの頃です。


春にも秋にも咲くタンポポ