カテゴリー別アーカイブ: 平塚の文化資源ウオーキング
また1カ月が過ぎて、家では定例になった”ガイドと巡る文化資源ツアー”の日が巡ってきました。
今回の集合場所は、かなり西の果ての山の上のバス亭で、さすがそこまで自転車でいくことは無理です。では車?、車も停めておく場所がわかりません。素直にバスで行くしかなのですが、集合場所へ行くバスは2種類で、いずれも家の場所からは路線が違います。駅まわりでは、遠いし・・・・それで、途中のバス停まで自転車で行くことにしていました。
あいにくその日は天気が怪しい空模様で、しかも、寒いこと!少し多めに着込んでバス停に向かいました。
幸い雨はまだ降っていなくて、目的のバス停に到着しました。用心して早めに出たので余裕の時間でしたが、バス停に着いて時刻表を確認すると大きな考え違いを発見!そのバス停には、目的のバスは止まらないことに気付いたのです。目的地手前まで行くバスはあるのですが、・・・・。
目的のバスに乗るには、2つ先のバス停まで行くしかありません。バス停2つくらい何てことなさそうですが、ここに限っては、そうでもありませんでした。何しろそこに行くには約400mのトンネルを越えていかなければならないからです(後で、分かったことですが、おまけに若干上り坂)。しかし、もう時間も無いし、行くしかありません。
トンネルを越えた先にあるバス停にどうにかたどり着いた2分後くらいに、目的のバスが来て、その後は順調に集合場所に到着、無事に今回のメニューをこなしました。
奥座敷とも、チベットとも呼ばれるその辺りは、またまた、目からウロコの場所で、歴史ロマンに満ちた里山の風景が残る丘陵地でした。
芳盛寺と座禅川 天宗院
階段の上にあるお寺が、多く見られました。
左の中央の木はタブの木、クスノキのようないい匂いがします。
右の写真の木は、ヒサカキ、関東から上はサカキの代わりに使うそうです。
ちなみに、小屋みたいなものは、実は日枝神社
ウオーキングとしては、下りを4km歩くだけだったので、あっという間に終わった印象でしたが、集合までに体力を使ったのでこれぐらいで助かりました。
ガイドさんとも顔見知りになってきていますが、コースは、市内18コースあるそうですので、しばらくは知らないところを散策できそうです。
近場の文化資源巡りーその3
何気なく参加した6月から数えて、今回で3回目の参加となります。回を重ねるたびに、収穫が大きく、そのうちに外せない行事になるかもしれません。
今回も、近くに住んでいながら何も知らなかったことがたくさんあり、今更ながら驚かされる展開でした。
まず、今回の集合は、「古花水」というバス停。家からは、自転車で20分ぐらいのところで、車で何回かこの道路は通り過ぎたことのある場所です。
しかし、ここにこんなに大きな石碑があって、ここが東海道53次の7番目の宿場町であるわが町の、当時の京方見附(京方面からの入り口)であった場所とは知りませんでした。
この場所から、西側の高麗山を眺めた広重の絵も、プレートに記されていました。
このスタート地点から、今回は平塚宿西部の史跡を訪ねるウオーキングです。
新しくできた、商業高校跡地の公園を横切って、花水川左岸の土手を上流へと歩いて行きます。
公園からは高麗山が大きく見えます。
この花水川は、今の流れになる前は、もっと東側に蛇行していたそうで、市民病院あたりから、八雲神社の南の裾野、古花水バス停まで、旧花水川に沿ったルートを歩きました。
花水川は、富士山大噴火の後(1709)に、幕府の大改修によって今のような流れになったそうです。
このルートの途中には、古い平塚の歴史をしのばせるポイント地点がいくつもありました。どれも、初めて聞くことばかりで、改めて自分の住んでいるところを見直しました。
宝積院
木造 薬師如来立像
達上池
市内ただ1つの自然の池
八雲神社
春日神社
平塚の塚
教育熱心な地で、盲学校の世界的発祥の地であることや、平塚の名前の由来など、古い過去からちょっと前のことまで、ぐるっと思い描くことのできた半日でした。
近場の文化資源巡りーその2
1ヵ月前のガイドと巡る文化資源巡り、近場でなかなかの満足が得られたので、今回も参加しました。
月に1回行われていて、来月の8月はお休みということですが、自分の住んでいる近くの昔のことを何も知らないので、今回も「へー!」と感心することばかり。楽しくウオーキングできました。先月は、6月ということで、雨に遭い、今回は夏らしい炎天下を歩くことになりましたが。
今回、歩いたのは「神田の史跡・文化」コース・・・といっても、地元民でなければ、取り上げるほどの場所でもないところですが、ポイントとなった箇所は、どれも歴史の中で意味深いところばかりでした。
神田地区は、横内、田村、大神、吉際の4地区からなり、現在は、市街地、工業地域、農業地域となっています。
平安時代初期の武将、坂上田村麻呂に関する伝説、鎌倉時代に田村に館を持っていた三浦義村によって行われたと言われる平安京を模した区画跡、神社仏閣などを見回りました。
この地区の西部に位置する、御霊神社が集合場所。青い鳥居に訳はないそうです。この神社の前の道が大山街道です。
妙楽禅寺、奥の本堂は建て替えられて真新しい。もとの「本堂鬼瓦」が記念に置かれています
「田村の渡場跡」大山街道、中原街道の渡しとして、江戸時代中期ごろより盛んに利用されたそうです。
京都でなくても、八坂神社がありました。祇園社ともよばれ、京都と同じ系列のようでした。この鳥居は両部鳥居といっての四脚の支えがあります。これは、珍しいということ。
「十三堂跡」
祭りの神輿にも出会いました。田村ばやしは、五人囃子で笛もあるそうで、市の無形(民族)文化財になっているそうです。
寄木(よりき)神社。銀杏の大木が3本。樹齢450年の神木。 「鷹落橋の碑」 川は水がありませんでした。
真芳寺(しんぽうじ)ー曹洞宗のお寺、家康も立ち寄ったことがある
隆盛寺(りゅうじょうじ)で解散。近くには、古戦場跡の碑があります。
「笠張川」 「ろくべいだな」
解散した後、自転車を置いてあるところまで、また小一時間ウオーキング。解説の人が一緒に歩いてくれて、昔の堤防(ろくべいだな)などまたガイドしていただけました。
近場の文化資源巡り
今日は、珍しいものに参加しました。
夫が広報誌で見つけた催しで、「ガイドと巡る文化資源」ツアー。
今までにも同じシリーズで、何回か行われているもののようですが、今回の集合地がうちからごく近い場所だったので、健康にもよさそうと気軽に参加しました。
家を出る前に、購入しただけで、箱から出していない万歩計に慌てて電池を入れて、出発しました。
家から駅方向と反対に進むと一面田んぼが広がっています。この田んぼををいくつか超えて、やや遠くの場所の集まりに出かけることは何回かありますが、今回歩いたところは、そちら方面の一番近い集落(だんだん昔風に)で、『豊田の庄めぐり』コースです。
集まった人々は、ほとんどがシルバー世代で、お元気そうな人々。ガイドの方も、年季のある方でした。
50人くらい集まり、3グループに分かれて歩きました。
近くとはいえ、用もなければ行くこともないので、行く先々で、近くにこんな史跡があったのかと驚かされました。
スタートの慈眼寺
周りは、帰省した際に見る田舎の長閑さが。このあたりは、古くからの村ということが感じられました。
こんな、なんでもない場所に深いわけと怨念が残されているとは。
日蓮上人の「腰掛け石」といわれても、私には関心も薄く・・・。
この辺りから、雨が降って来て、用意の悪い私たちは濡れることに。
市内最古の結界石(なんとなく恐い)があります。
ここで、解散。ここの薬師如来座像が12年に1回開帳されるそうですが、それが確か今度の4月ということです。
近場にも、知らないところがたくさんあることを再認識しました。
※初めての万歩計、9700歩を記録しました。



















































