12月の風景-2021

12月は師走とはよく言ったものです。ほかの月と比べて、やるべき事,やっておきたい事が多い上に、その合間を縫って様々な予定が入るのだから、忙しくなるのも納得です。と言っても、年を重ねるにつれ、色々なものが簡略、縮小するので以前に比べれば全然少ないのですが、それに比例して体力も少ないので、状況は一向に変わらないことになっています。

書き残したいことが、他の月よりも多いのに日だけが過ぎ、次のことに思いは移ってしまい、大晦日を迎えた年も多いのが12月。

今日が、12月の20日だと思うとびっくりですが、今年最後の花菜ガーデンの活動に出かけました。午後からの園芸作業です。

今日は冬晴れで、富士山はばっちり。三日月山の除草を、6人で行いました。雑草を鎌で刈り取ること1時間半、途中で休憩はあります。雑草の根の一番上を鎌で切ってくださいと説明があり、葉を切るとバラバラになりまたすぐ生えてくるからという説明でしたが、何故根の一番上なのだろう?その下でもいいのでは?とつまらない思考をめぐらしつつズボンを汚しながら頑張りました。

クリスマス仕様の花菜ガーデンは、静かに素敵でした。原っぱの真ん中のモニュメント、エントランスの木々、園内の木々には光に反射するものがつけられているものもありました。紅葉の木もありましたが、枯れている冬を感じさせる風情もたくさん見られる中、ひときわ鮮やかな場所が、冬のチューリップ。チャペックの館前のエリア。そこだけは冬も美しい花園でした。

この活動に来るのでなければ、中々来ることはない場所なので、帰りは隣のあさつゆ広場(農協)にも立ち寄り、花の苗を見ているうちに今日買わなければ年内買う日はもうないだろうと思い、寄せ植えの花を購入しました。


さて、毎年の大仕事である年賀状作成。今年は、パソコンのofficeアプリが使えず、オンラインofficeでしのいでいるので、四苦八苦状態です。しかし色々工夫をして、どうにか裏面印刷をすることが出来ました。

オンラインofficeのワードは大まかなところだけがさわれて、ビュー機能で、ワード画面を覗けるもそれ以上の編集はできない仕組みになっています。ある程度で妥協し、スマホワード画面でスクリーンショットのカメラどりしたあと、スマホの画像編集機能で仕上げました。

しかし、あて名印刷の方はもう道はないかも。差し込み印刷の技術を昨年やっと使えるようになったのに無念。しかし残された時間でもう少し道を探してみるつもりー忙しい年の瀬です。


千の風

「しばらくぶりですが、今度家の方にいらっしゃいませんか?日曜日の午後はいつでも空いていますので」と電話があったのは、先月の半ばごろでした。近隣の市に住む、夫の従妹に当たる方からで、同じころに結婚と同時に関東に住み着いたというのが共通点で、年齢も近いことから、子どもの小さい頃にはよく行き来していた方です。

しかし、ここ10年のうちでは2,3回位。ちょうど2年位前にその方の他県に住むお母様が一緒に住まれるようになったので、暖かくなったら遊びに来てくださいと連絡があって以来。その後、世の中はコロナで大騒ぎで、人の行き来は大幅に制限されることになりました。

コロナが下火になり、早速またお誘いくださったわけですが、こちらも色々と立て込んでいたので、11月の上旬にと少し引き延ばし、先週の日曜日に夫とお邪魔しました。お宅に伺うのは、とても久しぶりでしたので、知っているつもりが、街の様子も変わっていたので迷った末の到着でした。

89歳のお母様を囲んで、郷里の高岡の思い出話を沢山しながら、楽しい会話が始まりました。「○○さん(夫の母)はあの時はあなたのこと喜んでたがや」「こっちにも海があるけど、なん、向こうの雨晴の海の方がどれだけきれいかと思う」とか。でも、この方の恵まれているのは、二人のお子さん家族、5人のお孫さんすべてが現在関東に住んでいて、4人のひ孫さんはごく近くにいらっしゃり、それぞれよく訪ねてくださって賑やかにお過ごしであるということで、私たちにも、「近くやし、また遊びに来てください」と言ってくださいました。そして、「今は100まで生きる時代やから」と2,3回話されていたのは印象的でした。

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それから、1週間もたたない一昨日のことです、訃報が入ったのは。耳を疑いましたが、トイレで倒れ、救急搬送後、程なく亡くなられたということです。日頃から、最後はそういうのが良いと言ってたから本当にその通りで良かったと言われましたが・・・

人はとても儚いものであり、人が生きているのは生かされているのだなと改めて思わずにはいられませんでした。明日はお見送りしますが、よい人生の最後を見届け、生きる者の感謝の思いを新たにしたいと思っています。

1年4ヵ月ぶりの大阪

前回大阪に出かけたのは、2020年の6月。

コロナ禍が少し収まっていて、母が入院先から新たなホームへと移るタイミングで出かけて以来です。まだ不要不急の移動は控えるように言われていて、ホームの方も入所のために特別に入らせてもらう感じで、追加の届け物の時は、もう入れないような状況でした。

その後、それでも母とは毎晩の電話があったので、繋がっていられました。しかしその後、状況は変わり、母との電話は絶たれていますし、緊急事態宣言中のサービスであるビデオ通話も今はありません。というわけで、第6波が来る前にと出かけました。

大阪行きは、1年4ヵ月も過ぎたとは思えないくらい、慣れた旅でしたが、町の様子は色々と変化がありました。最寄り駅周辺の建物や、新たなお店など。「町は生きている・・・」が実感できました。

行き帰りのほかは中3日滞在し、1日目と3日目の2回ホームを訪問する予約をとりました。兄からは、顔はわかっても会話が出来ないくらいだったと聞かされていましたが、感動の再会場面は、

「だれかわかる?」「いや・・・」「K子やで」「え、ちょっと顔見せて」フェイスシールドの下のマスクをとると、「K子の顔やわ!」「神奈川県から来たんやで」「何で来たの?」「会いに来たんやで。コロナでずっと来られなかったから」「そう。来てくれたん」と、やっとうれしそうな顔になりました。

その後、自ら起き上がり、一緒にアルバム写真を見て色々思い出してくれたようでした。大音量でつけっぱなしのテレビは入ったときに切りましたが、リモコンを渡して操作を促したところ、興味を持ってつけたり消したりし始めました。最近、この操作にも関心を示さなくなっていたのですが。

2回目の訪問時には1つ計画があり、実家マンションと自分の実家の写真、それとひ孫たちの写真集を壁に貼っていつでも見られるようにしました。母は、色々思い出して来たと言ってくれました。また、たまたま見つけた、100均のマグネットフレークで、冷蔵庫の壁にメッセージも残すことが出来ました。この日も、テレビのリモコンへの興味は保たれていて、手元に置いていたので、不自由な暮らしの中でも少しでも楽しみを見つけていられるようにと願いつつ部屋をあとにしました。

ちょっと余談ですが、100均マグネットフレーク。自宅用には日本地図を購入。各県ごとのピースパズルになっていて、さっそく冷蔵庫にはりつけると、オシャレで楽しく、中々すぐれものと満足しています。

その②-伊豆高原

二日目は、天気予報通り、昨日の雨はあがって、良いお天気になりました。

まず向かった先は、以前行ったことのある大室山のふもとの「さくらの里」。春には一面桜の花の咲き誇る場所かと思いますが、今回は10月桜や冬桜が可憐な花をつけていました。

その後、小室山を目指しました。ここは、初めてでしたが、大室山と同じく山頂行きのリフトがあり、片道切符をを買って上がりました。山頂は、大室山よりは狭い1周ができる場所で、カフェと神社がありました。カフェの方は321というお店。321は小室山の標高です。

小室山はリフトを使わなくても、下まで降りる道が二通りあり、恐竜が見られるという方の道で降りました。山の児童公園の中に、原寸大かと思われる代表的な恐竜のモニュメントと説明があちこちに点在するエリアがあり、そこを抜けるとずっと下まで階段が続くというルート。この下り階段のせいか、翌日ふくらはぎの筋肉痛となりました。この小室山公園のふもと付近は、春にはつつじが咲くというエリアが広がっていました。

この2箇所立ち寄りで、そろそろお昼ごろとなり、目的のステンドグラス美術館では、まずレストランに入ってランチをしました。他にもオルゴールの演奏とパイプオルガンの演奏が、30分刻みで予定されていたので、それに合わせて移動。美術館の展示ルートはというと、その二つの場所を行き来する間に通過したところであることがあとでわかりました。迷路のような場所でしたが、光に生えてきれいではありました。

その後は一路帰路につきましたが、小田原付近で十三夜の月が昇り始め、きれいな月と共に、家に到着しました。

伊東一泊旅行①

昨年もこの時期に出かけた伊東に今年も行って来ました。

予約は2カ月前でしたが、ちょうどコロナの感染数も減り、幾分安心して出かけることが出来ました。

伊豆伊東はうちからは、車で数時間で行ける割には、遠くに行った感があるので、回を重ねるごとに馴染みとなってきました。今回、一日目は雨、二日目は晴天ということで、一日目に予定していたステンドグラス美術館は二日目に。池田20世紀美術館に変更しました。

一碧湖の近くにある美術館ということで、ナビに入れて向かいましたが、車のナビは大雑把でかなり離れたところがゴール。美術館は地図にもある場所だから、その方向に行って事なきを得ましたが。

近衛兵と鳩/ピカソ
ミモザ/マティス

池田20世紀美術館というのは、ニチレキ(株)の池田さんという人が作った美術館ということで、蒐集された、20世紀に制作された「人間」をテーマとする絵画・彫刻が常設展示されています。マティス、ピカソ、ミロ、シャガール等々役1,400点。巨匠の絵は見ごたえがありました。

さて、この日の宿泊ホテルは、ちょっと変わっていて「伊豆ワン」というペットと一緒に泊まれるホテル。ペットいないのに何故?というのはさておき、このホテルまでナビで行くのに大変苦労しました。とにかく道が幾重にもあり、大雑把なナビのせいで迷路にはまったようになってしまい・・・。最終的にはスマホiPhoneのマップナビを使ってようやくたどり着いた次第。おかげで伊豆の周辺はペットと泊まれる宿があちこちにあることもわかりました。

部屋から

花菜ガーデン2021,秋

10月に入り、4カ月ぶりに花菜ガーデンのサポーター活動に出かけました。

暑さ寒さも彼岸まで…と言われますが、気候変動のある近年ではこれも必ずしも当たらないようで、10月に入ってからも夏日が続いています。午後からの活動なので、暑さが心配でしたが、風が気持ちよく、秋の風情も十分感じられる園内でした。

10月ということで、あちこちのハロウィンの飾りつけがおしゃれで、稲刈りの終わった田んぼ、秋の代表コスモスも光に照らされ、心和む風景です。

10周年の記念? 新しく設置されたユニバーサル遊具も親子連れが楽しんでいました。

活動の方は、秋バラの方向にあるグリーンフィールドの小径の植物の撤去作業。鎌で刈り取り、大きいスコップで掘り返す作業ですが、とてもしっかり根を張っているので、もう何十年ぶりかで手に豆が出来てしまうほどでした。

春の活動のときに、植えたコキアはどうなったのか確認しましたところ、きれいな赤を演出していて感動!しました。

日没が早くなる秋。11月には、閉演前30分、秋バラのライトアップをするということです。来週からは、気温も一気に20℃を下回りますが、この秋は中々楽しめそうな花菜ガーデンです。

秋の公園

3連休の最終日、長女が子どもたちを連れて家に立ち寄りました。前からの計画で、家近くの総合公園のふれあい動物園に連れて行くためです。

お土産を渡して見送るつもりでいましたが、この日は台風が去った後の爽やかな秋晴で、家にいるのはもったいないようなお天気だったので、一緒に行ってもいいかしら?と、迷いつつも行くことになりました。

この公園は駅方面に行く時にいつも横を通るところですが、ふれあい動物園や子供の遊具のあるエリアには随分長らく行ってませんでした。今回は、メタセコイアの並木道に近い当たりに車を止め、そこから進んで行きますと、まるで初めてのところに来たかのように新鮮な感じがしました。わんぱくランドの手前にバードウオッチングができるコーナーがあり、わんぱくランドは最近リニューアルしたようで、随分魅力的な遊具が並んでいました。そして、子供連れの来場者がたくさん訪れていて、びっくりしました。

ふれあい動物園は予約制で整理券をもらって、15分間入れます。ポニーの乗馬発券も数に限りがあり、午後は1時から販売開始でほどなく終了となりました。

長女は計画的に事を運んでいて、整理券とポニーの券を並んで手に入れ、檻の小動物を見て、お昼の場所を確保し遊具で遊び、午後はふれあい動物園で、モルモット、ひよこ、ハムスターなどを膝に乗せふれあって、ヒツジとヤギにえさをやり、ポニーの乗馬を楽しんで帰るというコースでうまく進められました。

目が届く範囲で子どもが楽しめるのが良かったと思います。木々も茂っていて森林浴もできますし、松ぼっくりやドングリ拾いも楽しんでいました。

もちろん、マスク、手洗い、手の消毒の感染防止対策はみなさんとっていましたので、危険を感じることはありませんでしたが、早く以前のように心配なくあちこちの公園をもっと楽しめる時が戻りますようにと願いました。

母のこと

昨年よりのコロナ禍で生活スタイルが激変していることもありますが、母との交流も随分変わってしまったことを思います。

母は父が亡くなった後は、一人暮らしの日々を14年ほど過ごし、5年前からは北海道在住の兄が大阪に仕事を見つけ、単身赴任の形で北海道と行き来して一緒に住むようになりました。

父が亡くなった直後から、足のしびれなどが出ていて、年齢と共に筋力も衰えるようになり、兄が住むようになる2年位前頃には、スポーツジムはやめ要支援の認定を受けて、デイサービスで足を訓練するスタイルに切り替えていました。一人暮らしに不安を感じるようにもなっていたと思います。

それで、離れて住む私の出来ることとして始めたのが、実家への帰省を増やすことと、毎晩定時に電話することでした。帰省の回数は遠方でもあり、年4,5回くらいにしかできませんでしたが、電話の方は、欠かさず日課となり、その日のことを語り合うことでお互いに安心することが出来ました。これは、兄が住むようになってからも、ホームに入るようになってからも、入院の時も、こちらが旅行の時も、かけられない事情のある数日を除いて毎日続きました。

しかし、ここ1年は母の認知度がさらに下がったこともあり、話す内容が決まってくるという感じになり、今年の1月には電話がなかなか取れない事態も出てきていました。ホームの人に様子を見てもらいやっとという状況でした。自分で取れた最後の電話では、「ああ取れて良かった!この頃、目も指の力も無いから」と。約2,700日の母と私の電話交流が終わりました。

そして、全くつながらなくなった数日後にホームに電話して調べてもらったところ、携帯電話が紛失していることがわかりました。電話で話せず、面会も出来ないとなると、母とのつながりが絶たれてしまうと焦りましたが、コロナ禍でもありホームの方で、ホームのタブレットとのラインビデオ通話を予約して利用できることを知り、今はそれを月に1,2回利用して母と話をしています。

これは母の顔が見られるので、様子が一目でわかるメリットがありますが、電話と違って画面越しに対面して話すので、うまく聞き取れないようで、ほとんど会話らしい会話ができていません。しかし、顔が見られるだけで目的は果たしているかなと思うことにしています。このビデオ通話の初めのころは、これは何?と不思議そうに合点がいかない様子でしたが、最近では、「久しぶり、元気そうね、足が悪いのでね、また来てね」とか話してくれています。

母の顔を見る限り元気そうで、持ち前の順応性で、あまり悲観せず過ごせているなら良しと思うようにしています。母のホームは、住宅型の有料老人ホームに分類される民間のリーズナブルなホームですが、市内にたくさん展開していて、実績のあるグループの新設された施設に入れたという良さがあります。介護スタッフは若い男女の方中心で、明るい雰囲気があり、食事は厨房で作られた温かいものを、4人テーブルでいただいています。

コロナ禍だからか、もともとかはわかりませんが、催し物はあまりやらないようです。ただ、母の場合、ケースワーカーさんの配慮で週に1回、散歩をかねた買い物に連れ出してくれる(30分)というのがあり、それはコロナ禍でもきっちりやってくれているようなので1つのメリハリにはなっていることでしょう。なので、面会が出来ないなら、この時間をねらって会いに行けば、外で会うことは出来るのです。それを兄が時々やっています。

昨日もビデオ通話で母の顔を見ることが出来ました。この先、大阪に行ける日は来るでしょうか?そのチャンスを逃すことなく備えたいと思うこの頃です。


春にも秋にも咲くタンポポ

東京オリンピック終わる

2回目の東京オリンピックが終わりました

この17日間は、印象深い日々でした。57年前にくらべて映像技術が格段に違うこともあり、無観客開催とはいえ、家で見る分には十分すぎるぐらいですし、また全世界の人が共通に見る映像なので世界は1つであるという思いも感じられました。

開会式の前にNHKで2019年の大河ドラマ『いだてん』総集編がやっていて録画したのを翌日見ました。当時視聴率が低く色々言われていたようでしたが、1964年以前のオリンピックの歩みが世界情勢と重ねてよくわかりましたし、人々の熱意も時代を超えて共通するものを感じることができました。落語の小噺の語りに合わせ、秀逸な描き方と今更ながら思いました。中村勘九郎が地下足袋で東京聖火ランナーの最終走者なのもここで納得した次第。

8/3には検診の予約があり、東京入り。いつも通り東京メトロに乗り換え最寄り駅で降りましたが、平日の車内、混雑はなく、外国人の姿もなく、病院周辺も全くオリンピックを感じさせるものがなかったのがかえって印象に残りました。余談ながら、この日、私は33年ぶりに東京在住の知人に会うことができました。特筆事項です。

さてオリンピックの話では、競技種目がたくさんあるのが印象に残りました。そのたくさんの種目に開催国日本の選手が必ずいて、しかもどれも活躍していたという印象です。しかし、その明るい映像と並行して、毎日のようにコロナの感染拡大が伝えられるという状況。正直ハラハラしましたが、パンデミックの中の世界の大イベント、中止となっていたら、アスリートの皆さんの努力は空しいものとなり、こちらに発信されることもなかったことを思うと、無事に日程を終えることができ良かったなという思いです。

そして、閉会式。今回は、スカパラ演奏が始まってから30分ほどは、入浴タイムで抜けましたが、あとは最後まで視聴しました。。やはり、光の五輪は映像として素晴らしいと感じました。木の服をまとった、ダンサーの踊りは木の精と思うならば感じるものはありました。盆踊り披露や、日本の夏を感じさせる静かな映像、宮沢賢治の「星めぐりの歌」で静かに聖火が消えるのを見届け、最後のARIGATOUの演出。

コロナ禍の日々の、ひとときのオアシスの時間でした。

梅雨が明けて1週間

ー東京オリンピックの開会式がありましたー

お天気が安定してから、1週間が過ぎました。太陽が姿を現すと、今の季節はどんどん気温が上がり熱中症にも気を付けなければいけない猛暑が続いています。

しかし、こんな時を狙ってすることもあって、週半ば、梅の三日三晩の天日干しをしました。簡単冷蔵庫梅干しですが、それなりに出来上がるので私向きと思って仕込みました。

週半ばにもう1つ発見がありました。今、庭にはブドウが少し実をつけるも、他の植物は、花が終わったアジサイ、実が終わったビワ、葉が汚れつつあるドクダミ、そして花が終わったあとドンドン枝を伸ばすモッコウバラなどで、この枝を剪定するために、庭に出たところ、なんということでしょう!アジサイが大きくなりすぎて、その枝の下に隠れてしまった、クンシランが長い茎をのばして、花を咲かせていたのです。

残念なことに、気づくのが遅く、もう終盤でしたが。冬に移植しようとしたのですが、恐ろしく固く根を張っていてびくともしなかったから、土台がしっかりとした植物なので、こんな技を見せてくれたのだと思います。


さて、ついに東京オリンピックが始まり、昨日はその開会式でした。競技は二日前から始まっていて、開会式に向けては今までの歩みを振り返る番組などもあり、賛否両論ある中、スポーツ選手だけでなくそれに向けて多くの人が力を注いで来たことを改めて感じました。新競技場の建設、ホストタウンのおもてなし準備、選手たちの1年延期による悲喜こもごもの今など。

開会式は、57年前は快晴の空の下でしたが、今回は午後8時から。映像と花火で始まりました。聖火がともるまでの4時間弱、それこそ入浴、食事を済ませて終わりまで見ました。まるで紅白を見るときのようなパターンと思いながら。(もっとも、紅白をそんな風に見たのは遠い昔ですが)

開会式の印象は、悪くありません。映像と実写がうまく調和がとれていたと思います。コロナ禍の今も映し出していたし、最新の技術や細かいところの環境への配慮や、日本の伝統の表現、日本の文化の表現、日本のシンボルの表現がなされていたという印象です。前回は、戦後からの復興であったとしたら、今回は円熟したところをとどなたかが言ってましたが、私もそのように思いました。

森林の国であり、昔も今も木の匠の国であるとのメッセージが感じられました。印象に残ったものは、多くの人と同じで、1824期のドローンによって空中に描き出された地球と、ヒストグラム50競技の実演。

今、日本の周辺には台風が次々出番を待ってる感じですが、どのようなオリンピックの夏になるのでしょうか? アスリートの活躍を楽しみにしたいと思います。