9月が過ぎて

とうとう、9月にブログ更新できないまま10月を迎えてしまいました。過ぎてしまった9月は猛暑日が多く台風の少ない、夏そのもののような日々でした。

8月の末に母がもう食べられなくなったので、会いに来た方が良いとの連絡が入り、大阪に行く準備をしていた時に電話で訃報が入ったのが3日でした。その前後の詳細は、何度か振り返り思い巡らすものの、実際には限られた日数で母との別れの時を過ごす幾日かに奔走しました。

今大阪に在住している兄が中心となり家族葬が執り行われました。兄の家族は北海道、私の方は神奈川県と遠方ですが、万障繰り合わせてそれぞれ来ることができ、皆で見送ることが出来ました。母と父の実家は和歌山なので、こちらの親戚方も参列してくださいました。

そして月末には、高野山の熊谷寺に兄と出向き、母の分骨を収めて来ました。

この大きな出来事と並行して、私の病院通いや家の二重窓エコリフォームなども入りこむ過密な日々を過ごした9月でした。10月はその続きです。昨日は1回目の母の月命日で、静かに母を思いました。母の戒名には白い花を意味する「香雪」という文字が入っているので、白い花を思い浮かべて母を忍びたいと思います。

大阪へ‐孫たちとUSJ

母との面会を終えた後は、遠いところをはるばる大阪まで来てくれた孫たちとの集いです。

この日の宿泊は実家のマンションが定員オーバーなので、梅田のホテルで私たち4人宿泊しました。夕食は、兄の提案でホテルのレストランで皆で集いました。

ちなみにこのホテル泊とレストラン予約は、約1ヵ月前から中々苦労して探しましたが、結果的にそれぞれ満足できるものでした。

レストランは、フランス料理と中華料理が食べられるレストランで、個室を用意してくれていてました。コースメニューもありますが、バルメニューという700円均一の料理が39種類あり好きなものを選ぶことが出来るので子どもたちも楽しめました。

ホテルはこのレストランからすぐのところでJR大阪駅の近く。翌日USJに迅速に行くためです。朝早く出発なので短い滞在でしたが、一部屋4ベッドで、「なんだか家のよう」と喜んでもらえました。

孫たちの楽しみにしているUSJは、娘と私の旧家族では20年前に開園した年に行きましたが、今はすっかり様変わりしています、と言いつつ当時の記憶も曖昧ですが。

孫たちは中でも最近できたニンテンドーワールドに行きたいということで、こちらも娘を中心にサーチしていましたが、人気のエリアで人数制限があり、確約券か整理券か抽選券で当たらなければ入ることはできません。夏休みの土曜日ですので。

またびっくりすることとして、入場チケットその他、日々の経済感覚の10倍感覚で臨む世界なので、お金を払う確約券は論外。あとは整理券と抽選券にかけ、外れたら諦めることに。

ユニバーサルを楽しむには、アプリを入れることが必須と知り、娘に伝え後は任せました。そのアプリに入場後早目に4人のチケットのデータを入れ、11時代の整理券を申し込んだところ、ラッキーにも⭕️となり、入場できることとなりホッとしました。ちなみに、ユニバーサルではどこにも案内パンフレットは置いてませんでした。アプリで確認する世界です。

開演は8時ですが、7時にホテルを出て7時半過ぎには最寄駅に着きましたが、もうすでに開園してて入場の長い列ができていました。一泊の荷物を持つ私たちは少し手前のコインロッカーに荷物を預けて並びました。ロッカーはまだまだ空いてたので助かりました。

この日はとても猛暑の日で、その後の荷物は主に飲み物やクールグッズ。

ニンテンドーワールドに入るまでに、ミニオンパーク、ワンダーランドを楽しみました。途中クールダウンのためにクリームソーダ休憩したのは9時半ごろでしたが、12時と言っても不思議ではないくらいの晴天ぶりでした。

ニンテンドーワールドは、まさにゲームの世界で、土管をくぐった先は2階構造。孫たちは早速パワーアップバンドをつけて、アトラクションを楽しみ始めました。暑さはマックスで、私は1つは一緒に回りしましたが、あとは土管の中で荷物番をしてました。

休憩タイムで、ヨッシースナックアイランドでお昼をいただきあとはお土産ショップ。そのうち孫たちも目的のものをクリアして合流しました。

娘孫たちはこの日に関東に戻る予定なので、午後3時にはUSJを出なくてはなりません。帰りの新幹線は指定席をとってあるのでその時間が目安です。朝早くからの入場、小学生なので体力的にも丁度ころ合いで満足して帰路に就くことが出来ました。

シニアの私は、休憩を多くとりながら炎天下よく頑張りました。孫が行きたいと言わなければもう来ることはないと思う場所を巡ることが出来て達成感を感じつつ、実家マンションに戻りました。

大阪へ-母との面会

大変暑い日々のまま、8月が始まりました。

今回大阪へ行くのは4月以来です。2月に母のところへ行ったことを記してからは、母のことを暫く詳しく書いてませんでしたが、母はここ数カ月で大きく変化しました。

2月に会った時、20年目の父の命日をしみじみ思いながら、母と筆談で話し持参したお菓子も食べてくれたあの時間はもう遠いものになっています。

コロナの縛りもゆるくなり、3月のお彼岸にまたと思っていた3月の初旬、その日は兄が面会に行く日でした。施設のミスで入浴の世話をしてもらっているときにストレッチャーから転落して頭と肘を怪我して、救急搬送されたのです。

兄が施設との交渉に当たり、当時の状況や時々の対応もしてくれ、私は入院治療することになった病院とZoom面会の予約をとって母の様子を見守りました。頭の傷は痛々しいものでしたが2週間くらいで施設に戻れ、お彼岸に施設に面会に行きましたが、その時は昼夜逆転していて眠っていました。

そして、その翌日にはそれは実は異変だったようで、再び救急搬送となってしまいました。尿路感染をおこして心臓に負担がかかり肺に水がたまったからで、高齢者がこの状況になると危ない状況であり、治っても繰り返すとの説明があり愕然としたのが3月下旬です。しかし、この時、点滴治療を数時間して入院するときには意識が戻り、兄と私をしっかり認識してくれました。そして、その後は見立てに反して回復しました。

しかし、元の施設には戻らない方がいいというアドバイスに従って、今の療養型病院に転院することになりました。当時コロナの影響で、入院してしまうと一切面会ができなかったのですが、転院移動のときだけは付き添えるので兄と二人で付き添いました。母は半分わかっているくらいの認知レベルのように感じました。4月下旬のことです。

転院先の病院も面会は出来なかったのですが、Zoom面会が週1回出来、その後月2回面会も出来るようになりこちらは兄が行ってくれています。

この面会枠を使って、今回長女が夏休みを利用して子どもたちを連れて来てくれることになりました。と言っても、2時から3時の間の15分間だけで、2人まで。子どもは面会できません。その間1階の待合ロビーで待ってもらいました。

私と娘で貴重な15分を過ごしました。母は眠っている感じでしたが、時々薄目を開けたりで呼びかけに少し反応してくれ、娘は喜んでくれました。

短い面会ですが、実現できてうれしく思っています。

7月のメモリー

7月に入ってしばらくは程々の気候でしたが、半ばを過ぎてからは暑さが半端なく、危険な酷暑が続いています。

4年ぶりの七夕祭りがあったり、所属団体の方でも4年ぶりの行事を計画したりと、コロナ以前の7月が戻っているのを感じながらの日々でした。

身近な集まりで藍染めをしたり、おしゃべり情報でカラスウリの花が咲く情報を聞いて運よくカメラに収められたことなどが今月のヒットでしょうか!

6月に袋をかけたブドウは育ってますがまだ緑色のまま。1粒とって食べてみたら食べられたので、あと半月ぐらいしたら収穫できるかな?

今環境への取り組みの1つとして、住宅の断熱リフォームに補助金が出ることが発表されてます。新しい住宅はすでにその基準で建てられていますが、以前の建物は窓からの熱の出入りが大きいので、我が家も以前のリフォームで半分くらいは対策しましたが、この機会にさらに強化することにしました。

2階の寝室の4枚のガラスを複層ガラスに変えることと、1階のリビングの窓をインプラスの二重窓にすることを申し込みました。インプラスの方は入荷が遅れているので後になりますが、複層ガラス交換の方が先日終わりました。

そんな7月がもうすぐ終わりますが、真っ盛りの夏はこれからです!

6月にまた旅行!③~浜松城

今回の旅の最終日は、帰り道の途中にある浜松城に立ち寄ることを目指して出発しました。少し下の道を走り、一の宮インターから高速に入りすぐ国道1号線に入れる音羽蒲郡インターで降りました。同じように考える人が多いのかこのインター、出る時渋滞が起きていました。

でもその後は順調に流れ、海沿いを走るときはまるで高速道路のような流れに乗ってかなり距離を稼げました。

浜松城到着は12時過ぎ。ここでたっぷり3時間昼食と見学が出来ました。今回はまず大河ドラマ館を見てからお城を見学。やはり、家康がテーマなので過去2日訪ねたところと被るところも多くありましたが、印象としては中々好感の持てるお城と館でした。

家康が19歳から45歳までの壮年期を過ごした出世城と言われるだけあって、全体に活気と活力を感じたのは気のせい? 今大河ドラマも浜松城時代をやっているので、最も親近感がわくのかもしれません。

今回の旅、合戦場ばかりたずねて争う時代の人間模様を幾度も見せられましたが、結局は徳川家康がその最後に日本をまとめて且つ260年の平和な世の中を作り上げたことの偉業を知ることが最も大きなテーマと知らされました。

そして先日の大河「築山へ集え!」を見て、これが真実なのかはともかくとして、みんなが平和を願いながら、男は戦をして女は戦なく平和を夢見ているー女の願いは中々届かないけれど願うことが平和の種であることを感じました。瀬奈が、家康に「あなたを見て、この考えが浮かんだ!」というところは絶妙と思いました。

浜松城をあとにして、あとはよく知った関東圏目指して5時間走行で戻りました(了)

6月にまた旅行!②

一日目のその後は、関ケ原から岐阜市内の宿泊ホテルへ向かい、途中で夕食を済ませ、遅いチェックインをしました。

二日目は、名古屋市を越えて岡崎市に向かいました。もちろん岡崎城があるからです。ナビを入れて9時過ぎに出発。一般道路で行くと結構時間がかかり岡崎城には12時過ぎに到着しました。

駐車場に止め、まずお城に向かいました。徳川家康が生まれたお城で、産湯の水を汲んだとされる井戸などがありました。お城の中は、博物館風に家康の背景はもちろんのこと岡崎市の産業や文化の紹介があり、プロジェクションマッピングのようなのに入りこんで楽しめる仕掛けもありました。

大河ドラマ館はお城と少し離れたところにあり、外周を回ってそちらに足を運びました。こちらでは、松本潤家康のポートレートを始め、大河ドラマの配役と重ね合わせて様々な説明、展示、映像が繰り広げられ「どうする家康」の世界に浸れるほか、関ケ原合戦については映像とデジタル化されたジオラマ模型を重ね合わせた時系列による再現で、様々な武将の動きなどをリアルに知ることができました。

堪能して車に戻る頃には、雨がぱらっと降ってきましたが、まずまずセーフでした。

ホテルへの帰路では、途中、長久手に立ち寄りました。高速道路利用で長久手を打ち込み出発。東名~名古屋瀬戸道路に分かれてすぐのところに長久手があります。古戦場であるのと、すぐ隣がイオンモールであるのが立ち寄りのポイントです。こちらで夕食をとりました。

長久手は、小牧長久手の合戦で知られる古戦場ですが、月曜日で資料館は休館。静かな佇まいだけを目に収めました。夕食を終え、高速道路でホテルの最寄りのインターである岐阜各務原(ギフカカミハラ)ICで下りてホテルに戻りました。(つづく)

6月にまた旅行!①

しょっちゅう旅行に行く家ではありませんが、前回の旅行の記憶が新しい時にまた出かけました。今回はツアーではなく、JR岐阜駅近くのホテルに2泊。ここを拠点に徳川家康ゆかりの地を訪ねる旅です。

日曜出発ということで、まず関ケ原を目指して朝7時に家を出発しました。普段は下の道を最大限活用する派ですが、今回ばかりは、一番近いインターから入り小田厚、新東名を走りずっと高速道路で昼食も済ませて、13時に関ケ原インターを降りました。

途中、長篠の戦いの場所にある、長篠・設楽原パーキングで、信長・家康連合軍の陣地あとを見学しました。今回の旅の最初の訪問地です。

最大の目的地の関ケ原に早く到着できたので、関ケ原古戦場をめぐる前に、ここから車ですぐの伊吹山ドライブを先にすることになりました。

伊吹山は意外と高い山で、そこへの道は昨年の白山ホワイトロードを思わせる切り立った崖の道を登りました。山頂手前で大きな展望駐車場エリアがあり、そこからの眺めを楽しみました。ここから山頂までは3ルートで、一番近いほぼ階段コースだと20分で行けるようでしたが、次の予定があるので断念しました。

琵琶湖一望は少々視界は曇ってましたが、眺望はまずまずでした。

関ケ原に戻ったのは14時半。石田三成の陣地をまず見学。辺りは、今も田んぼが広がる平地で、決戦地の旗がある場所はその真ん中。地形と合わせて想像しやすいまま残っています。色々な武将の塚などが点在するようですが、このあとは関ケ原古戦場記念館に入りました。

前日にブラタモリでも取り上げていたので、中々タイムリーでした。ここでは、映像や展示物などあらゆるものを利用して、合戦の背景、武将、当時の状況が様々に見られます。一番迫力のシアター予約はうっかりしてて見られませんでしたが。

今年の大河の主役の大一番の地ということで、合わせて賑わっていました。今回の旅の「どうする家康」テーマ展示を見る始まりとなりました。(つづく)

ツアー⑤城崎温泉~

城崎温泉は有名な温泉地ですが、今回初めて訪れました。

丹後半島をぐるっと回って、京都府から兵庫県豊岡市に入って円山川を越えたら、大谿(おたに)川沿いに7軒の外湯があります。私たちはホテル泊でしたが、お風呂は外湯推奨で外湯巡りのチケットまで用意されていました。

が、もともと温泉好きではない私はさて、行っても2,3個かな?ぐらいの熱意でしたが、温泉好きのはずの夫がまさかの熱意なしで、結局地蔵湯という温泉だけに行きました。城崎温泉はとにかく熱いことで有名らしく中でも一番入れそうなところが家族向きと書かれた地蔵湯でした。入ってみて、確かに熱い湯でしたが42℃くらいかしら?夫は幸いちょうど良かったと言ってました。

三日目は、バスで米原に戻り新幹線なので、観光の方は程々に考えていましたが、ゆっくり9時半に出発して、2箇所、それぞれに印象深い場所に立ち寄りました。

その1つ目は、玄武洞公園。前日に見た立岩はじっくり見られませんでしたが、こちらが本命と、見てみて初めてわかりました。

迫力ある規則正しく並んだ六角形の柱状節理。また、玄武岩はこの玄武洞の石が江戸時代に学者により名付けられたものとわかり、その圧巻の風景とその背景にある歴史に自然の偉大さを感じる時間が持てました。

もう1つの訪問先は、出石(いずし)ー今は豊岡市の1つの地域となっていますが但馬の小京都と呼ばれる場所。出石城址がありました。蜃気楼という日本で2番目に古い時計台や明治館、永楽館などの歴史的建造物があり趣のある町でした。

またおそばが有名で、話のタネにいただきました。小さいお皿に載せたおそば5皿がワンセットで、1枚160円で追加できるというもの。「いずしを、さらに、そばに」という看板、うけました!

このあとは、いよいよ一路、米原を目指してのバス移動。車窓からは豊岡市ならではの光景が! コウノトリ→

来た道を戻りました。さすがに、ガイドは無くゆっくりと車窓を眺めたり仮眠したりで米原到着です。途中一か所だけ、明智光秀の居城―福知山城が見られました。

帰りの新幹線は、17:33発のこだま号のグリーン車両。ゆっくりと夕飯のお弁当を食べながら無事に帰宅しました。(了)

天橋立ツアー④

最大の目的地の天橋立訪問を終え、二日目の宿泊地である城崎温泉までは、海岸沿いに丹後半島をぐるっと回って進みます。

次の訪問地は、伊根の舟屋の里。ここでは船を収納する場所がある建物が海に面して立ち並んでいます。団塊の世代ぐらいのガイドさんが来られて、色々説明してくださいました。

伊根湾には約230軒の舟屋があり、説明を受けた対岸の舟屋は江戸時代からのもの。舟屋の持ち主はここに住まず、道を隔てた後ろの家屋に住むのだそうです。舟屋の前がすぐ海で小さい波が寄せています。台風の時などは家ごと被害を受けないのでしょうか?

その答えは、湾に浮かぶ青島という島が防波堤になっていて大波は来ないから大丈夫なんだそうです。

江戸時代の絵図と今の写真を比べてもほとんど同じで、且つ今なお生活している集落は他にはないということで、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されているそうです。

街並みの説明なども聞いたあとは、またバスに乗り込み、丹後半島の海岸沿いを進んで行きます。

車窓からは海がずっと見えていてガイドさんが良いタイミングで見どころを案内してくださいます。形のいい兜山、ぐるっと回って一瞬ですが、丹後半島の松島と呼ばれるアングル、小さいけれども見つけられた屏風岩、など。

柱状玄武岩で出来ている立岩は、一応下車してまあまあ見えるところに案内してくださいました。

その後に立ち寄った琴引浜海岸は、とても美しい海岸でした。歩くとキュッと音がするのでこの名が付いたそうですが、普通に歩いても鳴らないそう。まずお天気が良く砂が乾燥していてきれいであり、砂をこするようにして歩くと鳴るのだそうです。砂の中に石英が混じっていてそれが擦れる音だそうです。

現在、この琴引浜の砂は持ち帰ることは禁じられています。

丹後半島ぐるりと海岸沿いを楽しく巡り、予定通り4時半ごろには次の宿泊地城崎温泉に到着しました。(つづく)

天橋立ツアー③

旅の二日目は、いよいよ本命の天橋立行きです!朝食7時、出発8時と早いスタートです。

旅の行程は、パンフレットに書かれていますが連れて行ってもらう旅は前もって中々頭には入りません。バスに乗り宮津湾を眺めながらだんだん天橋立が近づきます。ガイドさんが、観光船で今回訪れる天橋立一の宮まで行くことを告げ、その際に廻船橋を通るのでよく見るようにとの説明を受けた時には、何のことやらイメージがわかず聞き流していました。私たちのためにわざわざ1日1回橋を回してくれるのです、とか…?

その意味が、体験と検索により徐々にわかりましたが…(^_^;)

観光船は宮津桟橋から出発、船長は紅一点の方と紹介がありました。船の2階は椅子は無く屋上風なので船室に入って出航しましたが、ほとんどの方は初めから2階に行かれて、5名くらいで船のガイドさんの挨拶とガイドを聞きました。ここでも、もうしばらくしたら上に上がって廻船橋を見てくださいと!

廻船橋を通る前に、天橋立が大きく近づき、間の水路へ船が入って行くその先に橋の半分が回った橋が見えてきました。残りの半分の橋には人が溜まっています。全く通行の邪魔をして船が通過するのだなと理解しました。このように迷惑になるからなのか、観光船の宮津港から出港する船は、一日に1船のみとなっていました。

ちなみに此の後またこのJR天橋立駅に近い文殊港にバスで戻って、この橋を渡って天橋立を散策することになります。

ここを通過した後の天橋立西側の海は阿蘇海と言うそうです。一の宮桟橋が近づくと左手に舟屋が二十数軒見られましたが、午後に訪れる伊根地区にはこの10倍約230軒あると言うことでそちらが楽しみになりました。舟屋というのは、海に面して家が建ち、車の車庫のように船が入るように建てられている家屋のことです。

一の宮桟橋を降りるとすぐ近くに、元伊勢籠(この)神社があり、そこに参拝した後、天橋立散策組とケーブルで傘松公園へ上がる組とに分かれました。

私たちは、夫の要望で松林散策組です。バスで文殊港まで戻り先程の廻船橋を渡って、ゆっくり小一時間、天橋立を散策しました。

良いお天気で、右手遠くに昨夜宿泊したホテルが見え、右側は砂浜のところも見られました。左手は阿蘇海、すぐそこまで迫る海で静かにさざ波が立っていました。松林は夫婦の松、友達の松、昭和天皇が皇太子の時に植樹した松、などが印象に残りました。

昼食の後、次の訪問地―伊根の舟屋へ向かいます。(つづく)