スーパーカリフラ・・・

昨日の演奏会で、とても懐かしい言葉に出会いました。
「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」
 
曲目の1つとして、パンフレットに出ていたわけですが、思わず心の中で微笑みました。
 
メリー・ポピンズのお話の中に出てくる、あの言葉。
どうにもこうにもならないときは、言ってみよう!そうすれば、何だか元気が沸いてくる言葉。
本当に、何だかわからないけれど、乗せられて楽しくなるから不思議です。
 
この映画のビデオを見る機会が数年くらい前にあり、こちらもとても楽しく、音楽付きなので、映像と合わさって、エッセンスのある笑い、魔法、ユーモアに満ちていたことを思い出しました。
 
現実逃避? でも、どうしてもいい言葉が思い当たらないときは、5年に1回くらい、使ってみると効果があるかもしれません。
 
「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」最長の単語としてギネスに載っているということです。
 

雨の日曜日

今日は1日中シトシトと雨が降って、梅雨入りしたのを実感します。
 
午後から、娘の所属する吹奏楽団のコンサートに出かけました。
前回と同じ鎌倉芸術館で行われるので、今回はしっかり、遅れないように家を出ました。
家族といえども、「招待してくれてありがとう」と、「練習ごくろうさん」の意味を込めて、プレゼントを物色し、ゴディバのチョコを購入。受付で渡すときに、「母より」と書いてサッと人の波に紛れて席に向かいました。
 
会場内は、やや空席はあるものの8割満席状態。
前半は、クラシック。後半はこの楽団ならではのバラエティー、お楽しみステージです。
演奏会にしては珍しく、パートごとに仮装して、指揮者の人が長いトークをして観客をなごませてくれました。
 
工事が終わって、新しくなった大船駅。白く明るいイメージで好感が持てます。この頃の傾向でしょうか、改札を入った中に、本屋、パンやなどが並んでいて、結構人が入り、行列ができていました。
 
行き帰りの乗り物内では、今読み始めた「ゲド戦記」を読み、音楽と読書で充実した時間が過ごせ満足です。ことに「ゲド戦記」は不思議に引き込まれる話で、また楽しみが一つ増えました。
 

パソコンでの点訳、その後

この頃、いつでも忙しいと感じています。
土、日で何とか元気を取り戻しますが、週末に近づくに連れて、昼間から眠く、使い物にならない状態になっています。
来週はそんなことにならないようにしなくてはと思っていますが・・・。
 
今週は後半になるほど雲が広がって、とうとう金曜ごろには梅雨入りしました。
自転車で通る道の田んぼでは水が引かれ、田植えがはじまり2,3日のうちには出来上がっていました。そのうち青田が広がり、そして金色になり、遂には刈り入れられる変化で、いつも季節の移り変わりを気付かされています。
 
パソコンでの点訳は、自分のペースで期限もないので、忙しくなると後回しになりがちですが、やらないとそれっきりになってしまうのも中途半端なことなので、短時間でも1週間に1回はその時間をとるようにしています。
 
今、とりかかっている「銀のなえし」という時代物のお話は、ようやく1話を終えて、第2話に進んでいます。タイトルのなえしというのは、十手のようなものだけれど、鉤もつばもなく、町人が護身用に持つものであることが、ようやくわかってきました。
 
わかりやすい話だけれど古い時代の言葉や物が登場してくるので戸惑いますが、自らでは読まない本だったと思うので、そういう意味で新鮮な刺激を受けています。
登場人物のキャラクターもわかってきて、ちょっと面白くなってきました。
 
点訳に関しては、時間をかけていないからと自分に言い訳しつつも、ミスが多いのに反省しきりです。
一字一句、緻密さが要求されるものだといつも思わされ、自分がどうも8割がたできればー の人間なのか、それとも年か、ただ怠惰で努力が足りないだけなのかと思い巡らすありさまでいます。

私の休日

今日は、出かける用事をキャンセルして、1日家で過ごすことにしました。
しかも、6時30分には、みんな出かけたので長い1日を過ごせるはずでしたが、何だかもう夕方。
家で過ごす時は、時間の進み方が違うようです。
 
朝の日差しに刺激され、台所の袋物の整理、大物洗濯と布団干し、鉢植えの花の植え替え、これらは予定外だったのですが、行ったところ昼になってしまいました。
 
昼頃急に空模様があやしくなり、干したものはすべて取り入れ、そのあと猛烈な雷雨があり、夜のように暗くなりました。
お昼を食べると、何だか」頭が働かない、最近平均睡眠時間5時間くらいが続いていたので、この辺でお昼寝をすることに。
 
3時半にセットして、4時に起きる。
雨はあがってまた明るい日差し。
 
眠気覚ましのコーヒーとパソコン・・・まあ今日は、すっきりした頭で、これからが期待できるかもと思っています。
 
 

同窓会

忙しく暮らしているあいだに、はや6月が来て、初夏の季節を迎えました。
6月は、以前はあまり印象に残らない月でしたが、日が長く、暑くも寒くも無くて、木々も疲れを見せていないこの季節が、この頃は意外と素敵な気がします。
 
出る事の多かった今週の最終の夜に、高校の時の同窓の集まりがあり、出かけてきました。
 
地元での同窓会には、なかなか出る機会に恵まれなかったのですが、こちら関東でも同学年が100人くらい在住しており、3年くらいまえから同窓会が行われるようになりました。
 
何十年かぶりに初めて会ったときは、やはりその年相応の顔を見て年月を感じてしまいますが、いろいろ昔の共通の思い出を手繰り寄せているうちに、完全にタイムスリップして、昔の空間が再現されるから不思議です。
 
そして当時に戻ったところから、また新たに記憶をつなげて現在を語り、同窓である親しみの中、しばし時を忘れて浸り合い、いろんな同窓の人の活躍ぶりやニュースを聞いたりして、日常に無い思いを持て余してしまうのですが・・・。
 
今回は、一時帰国をしているMさんを囲んでという名目で集まり、7時半から豆腐会席であっという間の3時間を過ごしました。終わる頃登場する人もあり、2次会へと移るようでしたが、帰路2時間を要する私は、シンデレラのように家路を急ぎました。
 
しかし、不夜城の表参道は、まだまだ明るく、運良く乗れた通勤快速は、うわさに聞くラッシュで、人気の少ない夜道を自転車を走らせ、家にたどり着いたときは、惜しくも12時を少しまわっていました。

食パンで作る軽食

用事があって家を空けるとき、家族のためにお昼を作って出かけます。
その中で、長年飽きられずに定着している一品があり、今日もそれを作りました。
 
食パンを使って作るメニューですが、ちょっと工夫されていて、口に美味しく栄養たっぷりのメニューです。
 
材料、  食パン      1枚(6枚切り)、
      スライスチーズ  1枚、
      卵        小1個、
      ピーマン     4分の1個、
      ハム       2分の1枚
 
作り方、①食パンの内側をスライスチーズくらいの四角にくり抜きます。
     ②ピーマン、ハムはそれぞれ千切りに。
     ③フライパンにバターとオリーブオイルを入れ火にかけます。
     ④熱くなったら、くり抜いた外側の食パンを置き、くり抜いたところに
       ピーマンとハムを入れ炒めます。
     ⑤塩、こしょうで味付けをして、溶き卵を入れ固まるまで混ぜ、
      固まってきたらスライスチーズを載せます。
     ⑥くり抜いた食パンで蓋をしてフライ返しで押さえて固め、
      ひっくりがえして反対側も焼いたら出来上がり。
 
この、メニューは、子どもが幼稚園の頃、PTAの催しでさるメーカーから来てもらって教えていただいたものですが、長く我が家で作られ, 定着したメニューとなっています。
 
それと、今日はもう一品食パンを細く切って、オリーブオイルを熱したフライパンで焼いて、グラニュー糖をふりかけて食べる、簡単ラスクもどき作りました。
 
どちらも、高カロリーなのでさっぱりした紅茶でいただくとよいと思います。                      

ある風景

私が集まりに出かけるとき、よく自転車を走らせる道は、何通りにもある道の中で速くて安全に行ける道を検討して探し出したルートです。
見晴らしの良いところや川沿いを走っていくので、ここ数年気に入って走っています。
四季折々の変化も楽しめる道です。
 
その中のある家の前に、黒と白の番犬がいつも座っていて、それがなかなか様になっているのですが、実はそれは陶器でできた作り物です。
それは見ればすぐわかりますが、実物と等身大に出来ているものだから、それとわかりつつ、やあ!とか思ったりしながら通り過ぎる見慣れた風景でした。
 
ところが、数ヶ月前位からその犬がいつもの定位置ではなく、あきらかにチョット離れた隅に置かれるようになってしまい、それだと番犬の威厳がチョット下がるなあと感じていました。あくまでも、通り過ぎるときの一つの風景として心によぎっていただけですが・・・。
 
それが、今日そこを通るとき、なんとその犬は横倒しに倒されて、廃棄物のようになっていたのです。
少し欠けたところもあり、陶器の犬だから古くなり、欠けてしまったら仕方ないのかもしれませんが、何も、通り道の目にするところにそんな風に倒さなくてもと思います。
 
なんだか、無常を感じさせる風景ではありました。

スタートライン

暑かったり寒かったり、気候不順とぼやきつつも、季節はゆっくり変化してきているようです。
いつのまにか、コートはいらなくなりストーブともおさらばしていました。・・・といいたいところなのですが、寒い日のためにと買い増しした灯油がほぼ一缶くらい余ってしまい、次のシーズンに持ち越すとよくないので、あと2,3日寒い日があればと思っていたのですが、最近そろそろそんな日は秋まで来ない気がしてきました。(22℃設定で、朝、晩に少し燃焼させるのですが、3分くらいで消えてしまう)
 
今週は、外出の予定が毎日あり、とてもスピーディーに朝の時間が過ぎます。
そして、移動時間には、家にいてはわからない自然の美しさを目にして、デジカメを持ってくればよかったと思う日々を繰り返しています。
沢山の人との交わり、人間模様に消耗しつつ、慰められる日々でもあります。これは、多分幸せなことと思っています。
 
私の親世代は、徐々に高齢になりつつある世代で、その人たちとの会話には、共通してひとりであることの悩みが聞かれるからです。考えてみれば、人はいつも、1人を背負って生きているものですが、人生の最終ラウンドをどのような思いで生きていくか、考えさせられることです。
 
昔見た人気ドラマ「金八先生」シリーズで、スタートラインという主題歌がありましたが、この中にやや気になる歌詞があり、これってどういう意味?と子ども達と話し合ったことがありました。
 「今私たちに大切なことは、愛や夢を語り合うことじゃなく、ひとりぼっちになるためのスタートライン」
この歌の、意味が再び気になるこの頃です。
 

セーラの心

ぐずつく天気が長引いています。
一たび外にでれば、初夏に向かって着々と準備を進める草花に出会え、心癒され励まされもします。そして、今を盛りと咲きはじめたパイロットの薔薇は、またこの季節が訪れたことを知らせてくれているようです。
 
セーラという名前は小公女セーラにあやかりたくてつけたものです(私の好きな児童書の主人公。携帯の着メロは、このアニメのオープニング主題歌、さびのメロディーを使用)
 
お気に入りの主人公、お気に入りの物語は沢山ありますが、
その中でも、この人、このお話が何故そう思わせるのかを考えてみました。
 
セーラは、自分が裕福なときも、どん底のときも変わらない強さを持っています。
原作を読むと、セーラは色々なことを、空想して楽しいお話として話すのが得意な少女として描かれています。
超一流お嬢様として育ったおいたちは、善の部分だけに作用していて、その後に逆境が訪れても、決して悪い方に染まることがありません。
プラス思考がいつも彼女を包んでいて、そのためにどこにいても、彼女のいる場所が希望のある場所となっています。
 
彼女を支えるプラス思考、これがどこから来るものなのか?私には、セーラが自分より弱い立場の人をいたわる優しい心を多く持っていることに大きなヒントがあるように思います。
 
主題歌の作詞者、なかにし礼さんもその辺をよく知ってか、2番のさびでは、「私だって幸せほしいけど、ほかにもっと大事なことがある。それが、愛かやさしい心かは生きてみればわかると思う」
詠っています。
 
また、最近読んだ雑誌からも、カギとなる言葉を見つけました。
「わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです。」(ヨハネの手紙Ⅰ、3章14)
 
他者への愛、これは自分の命のためにとても重要なことであることを覚えていたいと思います。
 
P.S.アニメ「小公女セーラ」のファンが、他に沢山いらっしゃることは、ホームページセーラ博物館を見つけたときに思いました(私は一回も書き込んだことはありませんが)

日曜日、読んだ本

 もうすぐ、話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」が世界同時上映される日が迫っていることもあり、テレビを初め、いろんなところで前宣伝が盛んです。
 
2年前に書店にこの本が売り出された時も話題となり興味をそそられましたが、映画化されるとなって再び話題に上るようになり、これの文庫本や関連する本が、ここぞとばかり書店に並べられているのを目にして、遂に映画を待たずに読んでしまいました
 
以前、これの関連番組をテレビで見て、キリスト教にまつわる秘密や、レオナルド・ダ・ヴィンチの実像などのことを聞いていたので、それが絡むすごい内容が書かれているのだろうか?と思いめぐらし
キリストの生き方に心を寄せ、希望としている者としては、気になるけれどなんだか怖い気持ちでもありました。
 
しかし、読んで見ると、話そのものはダ・ヴィンチにあやっかた推理物語がパリ、ロンドンを舞台に展開されているもので、映画を目の当たりにしているように楽しめました。
強面の警部、主人公に相応しい風貌の男と女が登場し、一件落着まで1日たらずの時間経過の間に膨大な量の謎解きと、キー・ストーンを追い求める目まぐるしいアクションが用意され、
黒幕は、やはりえっ!と驚く人物であるという展開は、昔読んだ推理小説のパターンでした。
 
そして、膨大な資料を駆使し実在のもので話が進んでいく見事さは、最後のページまで飽きさせないが、ついに肝心の謎は心の中にしまわれる形で完結します。
 
フィクションでありながら、この話全体が何か隠された二重の意味を持つのではないのかと感じさせる冒頭の言葉、
「この小説における芸術作品、建造物、文書、・・・に関する記述は、すべて事実に基づいている
これが、この話をただの推理小説として片付けさせないのかもしれないと思いました。
 
映画では、どんな描き方がされるか楽しみです。