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2月の行事

寒い2月ですが、私の場合、記念日がいくつかある月です。一番初めにあるのは、マイバースデイで、いち早く終わり、その後父の命日、下旬にかけて、娘の結婚記念日とその夫の誕生日があります。

昔は私の誕生日があるだけで、2月はどこか光っていましたが、今1番の行事は父の命日頃に、実家へ行くことです。

今回は、4泊5日の日程で行って来ました。大阪の実家に行き、滞在中の1日はお墓のある両親の実家のある和歌山へ行くというパターンが定着しています。今回は、行きと帰りはお天気に恵まれましたが、他の3日は雨模様のお天気でした。

和歌山のお墓参りは真ん中の日に行くことになりましたが、朝の天気予報では、午後にかけて雨がひどくなり、ところにより落雷という予報。なるべく、雨雲来ないでと祈りながら行きましたが、結果的には、ほとんど雨に遭わず、お昼頃のお墓参りの頃は、薄日すら射していましたので、周りの人は、これは父の計らいかもとか言っていました。私は、私と私の母が中位の晴れ女だからと言いながら、本当に晴れてきたので、やはり少し父の気配を感じたりもしました。

父の実家では、SDカードをテレビに挿入して、お孫さんのスライドショーを拝見、母の実家では、一番下の6か月のお孫さん(母世代から言えばひ孫さん)が偶々いらして、華やぎました。

このように、いつものパターンができる幸せを感じます。母の実家の帰り際、母が90歳の兄に、「体に気を付けてね」というと伯父が「お互いにな」と応答、短い言葉を交わしていたのが心に残りました。

大阪滞在では、近年は映画を見て本屋へ行くパターンがあったのですが、今回は見たい映画がなかったことと、映画館へ出かけるのも気が進まないような空模様だったので、家で文化交流することにしました。

おしゃべりが主流ではありますが、今回持参(宅急便)した鍋帽子でお料理したり、

  

以前プレゼントした、セーターから作る上履きを、古いセーターを使って実際に作ったりしました。

    

余談ながら、和歌山行きの日の帰りに立ち寄った、無印良品で、気に入りの品をゲットしました。商品がそれぞれいいのに、各1980円と500円という価格は素晴らしい。

          

帰路は、今回は意識して新幹線の2人席、窓側に座り、富士川鉄橋撮影チャンスを狙いました。アイフォーンの撮影は失敗しましたが、デジカメはバッチリ、大きな富士山を収めることができました。

   

そして、帰りついて降り立った冬の関東地方は、明るく温暖でした。色んな脅威はあるけれど、ここもいいところです。

今年の実家行き2011夏

大阪の実家には、夏と冬の2回行ってます。8年前父が無くなってから、母が一人暮らしなので、この回数は、最低限守るようにしています。実家へは、この他に、長女と次女が、日を替えて、1回ずつ行くので、それも力強い繋がりになっています。

私の実家行き夏編は、たいていお盆の前、8日の月命日を挟んで、4,5日行きます。中3日間ぐらいの滞在で、その1日に和歌山の父と母の実家をたずね、お墓参りをしてきます。あと2日は、1日は近辺を楽しみ、もう1日は映画、ショッピングなどのお出かけをします。

ワンパターンのようで、その内訳は行くたびごとに、違ったものがあり、世の中の変化を感じたりします。

まず、実家大阪、母の家では、襖18枚天袋8枚と畳16.5畳分のやり替えをしたと聞いていましたが、見事きれいになって青畳の匂いに包まれていました。慎重な母は、電子レンジとオーブントースターの電源を使う度に抜き差ししているのを見て、私はスイッチ式のコンセントを薦め、さっそくそれに切り替えました。

今回のお出かけは、いつもの映画館で「コクリコ坂から」を見たあと、いつも行く本屋の喫茶店はやめて、5月に新しくできたQ’zモールというショッピング街に出かけました。ここは、天王寺駅の斜め向かいに当たる場所。阿倍野筋沿い、近鉄百貨店の向かいのところに、東京に来たのかと思うようなショッピングゾーンが広がっていました。

      

          

この辺りでお昼をと思いつつ、混んでいたので、母の勝手の知ったステーションビルミオのレストラン街に移動しました。ここもほどほど人はいるものの、落ち着いた空気でした。

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和歌山行きは、いつもJR熊取駅から直行のバスで行きます。県境の山を越えて行くので景色がきれいで、早い取り柄がありますが、急カーブと振動は大変なものです。今回1つ発見したことーそれは、熊取を出発してしばらく行ったところに、原子力の燃料施設があるということーその横をバスは通っていました。

さて、和歌山は父と母の実家のあるところ。紀の川を挟んで、JRの駅すぐのところに父の実家が。父の墓は、その近くにあります。母の実家は、そこから、竜門橋を渡って、竜門山の山麓、少し上がったところにあります。今回も、お墓と両方の家を訪問し、伯父さん、義叔母さん、従兄世代の心優しい人たちと語らい、その子ども世代のようすを聞き、帰って来ました。田舎の町にも、周りの家が新しくなったりと変化はありますが、山と川は変わりません。その懐かしい、母にとって懐かしいであろう風景を今回はカメラに収めて帰りました。

         

               

                   

               

30年の歳月

いよいよ、今日で今年度が終わります。関東地方は晴れの日が続き、花粉の飛散も毎日、”非常に多い”が続いています。

今週は月末までにしておきたいことを書き出して、毎日の予定を立てていましたので、朝の家事が終えると、駅方向にある10時開店の美容院へ向かいました。 郵便物1つと配布物1軒分を持参して。一番近いポストに郵便物を投函。まっしぐらに、美容院へ向かいましたが、到着は10時5分になってしまいました。以前、平日でも、開店少し遅れると1時間以上待たされたことがあったので、開店前を意識したのですが(この美容院は予約制をやっていない) 幸いにも、今日は閑古鳥で、私は2人目のお客でした。前もって洗髪をしていくと、洗髪は省略してくれるので、さっさとカットにとりかかってくれました。終わって、時計を見るとまだまだ早い時間。それで、急遽、2月に行く予定で先延ばしにしていた、医院の健診に行くことにしました。調べたところ、今日は午前中の診療ということなので。

この美容院から、医院までの最短コースの道が、裏手にあることをふと思い出し、そちらから行くことにしました。最近はあまり通らない道ですが、通れば懐かしい道です。

ふりかえれば30年前、結婚してこの市に住むようになった頃に住んでいたマンションの生活圏だからです。この地域には7年間住んでいましたので、このエリアに入ると幼児を持つ母として過ごした日々が甦り懐かしい思いにさせられます。長女と共に、公園デビューした公園、当時は数人しか遊ぶ人はいなかったけど、今日は随分沢山の親子連れが賑わっていました。

30年前にはマンションはあまりなく、JRから自宅マンションが見えたものでしたが、今では駅前は高層マンションだらけ。9階建のマンションは低い建物と化しています。西向きのベランダから遮るものなく見えた富士山も、今はまったく見えないことでしょう。

駅近のこのマンションは、海岸から2kmのところなので、あの頃は海側へ出かけることも今よりありました。とても、便利な場所ではありましたが、若干狭い間取りであったことから現在の住居に転居、その後は、転勤で6年間京都に住んでまた戻るなど、移動の多い展開となりました。そして、京都から戻って再びこの市に住むようになってからも、早10年が過ぎ、初めて住んでからはちょうど30年たったことをあらためて思い、時の流れを感じるときの焦燥感に一瞬とらわれました。

目的の医院は、昔はありませんでしたが、10年前には近くのビルの2Fで開業しており、最近この場所に移転されたものです。いつもは、混んでいる医院ですが、計画停電などのスケジュールの不安定さからか、ここも1人待ちでさっと診察。滞在時間20分位で出られました。

それで、銀行通帳の記帳や買い物をすませてもまだ12時前で、最後配布物を届ける家に回って帰るために大きな公園を横切って自転車を走らせていましたら、なんとその人とすれ違いました。声をかけたら、気づいてくれて手渡しができ、方向転換して一路帰路に就きました。というのも、晴れていたのに急に、ポツポツ来だしたからです。この時期に雨には濡れたくないと一目散に戻りました。帰宅時間は、12時9分。

家にいたらあっという間に過ぎる時間なのに、随分色々、事が捗り嬉しく思いましたが、昼食を終えると疲れがどっと出て来ました。

ずっと、走り続けることなんて、できませんね。

2月26日のウエディングに

この週は、とにかく落ち着いて日々を過ごそうと思っていました。

それで、外出は最小限にして、家で小物などを製作する日々でした。娘と私はお互いに何かこの機会に記念になるものをと考えていましたが、思いつかない日々だったのです。

結局私は、そのまま何も用意はできませんでしたが、その気持ちのままピアノカバーを完成させました。

娘は挙式にさきがけて、結婚生活をスタートさせていますが、式前日に家に何かを取りにやって来ました。ちなみに、この日は、生温かく春1番が吹いて、スギ花粉が大量に飛散されました。

挙式当日は、打って変わって冬晴れの日で、富士山と青空、凛とした寒さの日になりました。寒さの中で、春の光を感じる…そんな日を想像していた私は、このお天気に大変満足しました。

チャペルの式と披露お食事会の中身は、すべて挙式する二人がホテルと相談して決めたもの。ささやかな手作りもありましたが、二人も知らないサプライズもあり、それぞれの場面で、沢山の人が良い時間を作り上げてくれていることが感じられるものでした。また、親族だけの結婚式でしたので、全員の自己紹介とメッセージの時間も取られ、終始アットホームな雰囲気に包まれていました。

両親への感謝の花束は、”ありがとう”の音楽と共に、それぞれ自分の親へ渡されました。娘からは、花束の他にプレゼント&お手紙もありました。プレゼントの中身は、メモリアルフォトー成長の記録が6シーンに収められていました。

  

これをピアノの上に飾るために、私はピアノカバーを作っていたのかもしれません。

半年前の姪の結婚式のときと同じく、今回も大阪の母がかけつけてくれて、元気なおばあちゃんの存在感を示してくれました。数日間、こちらに滞在して昨日、大阪に戻りました。記念すべき日が、こんな風に過ぎてゆきましたが、今朝がた、今日は遅番でと、娘から電話があり、お料理の下ごしらえの分からない点について、2,3話しました。

長女の人生の第2ステージの中でも、いつまでも役立つ親として登場したいものだとつくづく思っています。

実家での日々

昨日、大阪から戻りました。

実家は、8年前に父が無くなってから母が1人で住んでいます。2年前に、7回忌が済み、月日のたつのが早いと感じてからまたあっという間に2年が過ぎました。いつの間にか、実家行きは、8月の夏休みの頃と、2月の命日の頃に行くのが定番となっています。

そして、その中身も近頃では決まって来て、日数は3泊4日。中二日間のうち1日はお墓参りに和歌山へ。電車、バスと乗り継いで片道2時間かけて行きます。82歳の母がこのお墓参りを毎月やっているのだから感心します。母の実家もある生まれ故郷だから、そこにお墓を持てて(分家なので父の死後墓を購入)良かったのかもしれませんが。

夕方には戻り、天王寺あたりでショッピング&夕食をして帰ります。

もう1日の使い方が、ここ何回か、映画を見ています。今回は、イメージだけで決めて、菅野美穂主演のジーン・ワルツを見ました。思っていた感じではなっかたですが、何カ所か印象深いシーンや言葉がありました。

映画を見た後は、1階下にある大きな書店の横の喫茶店でお昼を食べます。以前も紹介しましたが、この書店中喫茶店は、座席に3冊まで本を持ち込んでいいので、今回の「ジーン・ワルツ」の原作本なども持ち込んでパラパラと比較したりしました。原作の方が、遺伝子、病院、代理出産などのテーマにつながるところが詳しく描かれているので楽しめそうと感じ、購入意欲が数パーセント動きましたが、購入した本は「白夜行」。堀北真希のポスターがちょっと気になっていたのかもしれません。

母ともども、この映画館→本屋の喫茶店に、すっかり気に入ってしまって、しばらくはこのパターンにしようと話し合いました。

この日は、早めに帰宅できるので、今回は私の手料理を申し出ました。母は、もともととても丁寧な手料理を作る人でしたが、近頃は一人暮らしだからと手間のかからないものを生協カタログなどから探し出して、シンプルな暮らしをしていることに今回気づきました。

私が作ったのは、最近集まりで作った2品「治部煮」と「七色なます」。8人分くらいのレシピをそのまま作ったので、お隣に住む、やはり1人暮らしの91歳のIさんにお裾分けしました。Iさんは、あちこち出かけて帰ったばかりで、疲れて何もする気なく座ってたところだったのでとても嬉しいと喜んでくれました。

大阪の母のマンションも、日本の社会と同じ構造で、年々高齢化が進んでいます。1人暮らしの家も多いですが、JRの駅に1分、1,2階は大型スーパーが入った生活至便の場所の価値を今味わっているように思います。

充実した4日間は、あっという間に過ぎ、復路に着きました。大阪も年々変化をとげています。今回の気づきは、大阪駅。乗換専用のきれいな通路が出来ていました。

姪の結婚式

1年前から、予定に入れていた姪の結婚式に無事出席し、戻ってきました。
 
結婚式出席は、自分の結婚式の頃に友人の結婚式などに出席して以来、何十年ぶりかのことでしたので、そのことだけでも、さて服装は・・・から始まり、考えることが多くありました。
昔と違って、兄弟が少ないこともあり、今回は家族全員で出席、場所は関東から離れた、北海道でしたので、結婚式&家族旅行のようなところもあり、飛行機や交通機関のスケジュールを立て、全員が健康で行って来られるようにと神経をすり減らしていたところもあり、無事終えられたことへの達成感と開放感を感じています。
 
中でも、一番神経をすり減らしていたのは、母でしょう。81歳、大阪で一人暮らしをしていますが、結婚式当日、新千歳空港で、私たち家族と待ち合わせをして、行動を共にしました。
このために、母は、当日健康で、迷わず、遅れずに行けるのかと必要以上に心配して、1週間前からは食事制限をするぐらいの気の使いようだったのです。
かくいう私も、出発4日前まで、発熱の風邪で、家族に心配されていましたが。
 
宿泊のホテルで着替えをしたあと、兄と合流してお相手のお父様に紹介していただくあたりからは、気分は一気にハイモードです。
というのも、相手はカナダ人。結局、笑顔だけで、一言も発せずに終わりました。
 
神社での挙式のためのバス移動など、そこからはカナダディアンご一行様と一緒で、国際的な雰囲気の中に時間が過ぎて行きました。
 
     
 
結婚披露パーティーは、また場所移動をして、フランス料理の式場と聞いていましたが、お料理がフランス料理である他は、すべて和のイメージ。
日本の伝統文化を見せる工夫が凝らされていました。
 
       
 
司会、スピーチ共、カナダの父以外は、すべて英語と日本語で2回話すところが、国際的な雰囲気を増していました。
時間も取るからでしょう、スピーチは両家の父と、来客2人、新郎、新婦 の6人でしたが、沢山の話を聞いた気分になりました。
 
           それぞれに、心に残りましたが、新郎の「何故、人は結婚するのかを考えました。そして、それは、人がこの世に生きている時間は長くないから、短い時間をより楽しくなるように結婚という形を考えたのだと思う」の言葉には、若く、真面目な、一途さを感じ、姪の前途が幸せなものであることを予感させられました。
 
                                        
 兄の家族は、姪が幼少の頃と中学生の頃に海外に住んでいたことと、兄嫁が英語教室をしていたこともあって、姪の語学力が磨かれたことが今回の縁につながったようです。
 
英語は今や,話せて当たり前とも言われる時代ですが、島国日本では、日本にいる限り、英語を話さなくても不自由しないし、話す機会もないことが、日本人が英語を話せない一番の原因であることを改めて思いました。
 
自由な場面で、あちらの叔母に当たる人が話しかけてきて、ほとんど単語だけの会話をしましたが、もしこのような人が身近にいつもいるのなら、古い知識を絞り出して少しは話せるようになるだろうと思いました。
この人は、日本語のガイドブックを手に、なかなか積極的で、面白い人でした。
 
カナダご一行様には、どのように日本が見えたでしょうか?国によって、違う言語を話すことが今さらながら不思議に思いました。
 
二つの言葉を自由に話せる人は、そんなに沢山いるわけではありません。そのような、機会と才能に恵まれたこのカップルは、きっと二つの国を結ぶ架け橋になってくれることでしょう。
そんな、思いにさせられた、非日常的で、グローバル気分の1日でした。
 
 

大阪行き

   
 
毎年この時期は、父の命日のお参りを兼ねて、大阪の実家に行きます。
今年は、予定を早めて、先週末から3,4日、行って来ました。
 
寒い時期でもあり、お天気も良くなかったので、元気な母と映画を見に出かけました。
何を見るか迷った末、「ゴールデンスランバー」を見ました。母は「おとうと」も良さそうでしたが、
堺雅人にも好感を持っているので、私の好みも入れてこちらにしました。
 
久しぶりに見た推理ものでしたが、なかなか楽しめました。
イメージで犯人に作りあげられてしまう様子が描かれていて、誇張と思いつつ実際に無いともいえない感じもあって味わい深さが感じられました。
映画のあと、昼食をとったお店は、映画館(近鉄アポロシネマ)の1階下の書店の中の喫茶店です。軽食が食べられ、本を3冊までテーブルに持ち込んで2時間居座れるというレストランでしたが、割と空いていて、穴場と思いました。
 
その後、場所を天王寺から梅田に移動し、阪神百貨店の手作り作品展(実際は即売市)に出かけました。お店の人がイチイチ話しかけてくるのが煩わしくてかなり素通りしましたが、母の方は、気に入ったお店の人とそれなりに話していました。
しかし、1つだけ異色の店があり足をとめました。オーガニックリネンの布を使った洗えるパッドとも言いましょうか・・・、前から多少関心があったこともあり、何とライナー3枚購入してしまいました。ns-factory
 
行きも帰りも、新幹線で、どちらも晴れておりましたが、今回は車窓の外に関心が向かず、眠ったりしていました。かろうじて、三島駅(行き、ひかりに乗り換えのため下車)からの富士山↓と、富士川鉄橋からの富士山↑を撮影しました。
 
      
    
 
大阪、遠いような、近いような・・・。

今年のお盆

毎年8月は、父の月命日の8日に実家に帰って、お盆の前には戻るというパターンで実家に帰っていましたが、今年は、ねぶた祭りツアーに出かけたので、1週間遅らせて、お盆に実家大阪に行ってきました。
 
父が亡くなって今年で7年。一人暮らしとなった母も80歳になりましたが、年々精神的には若返り、強くなっている感じがします。
 
街の暮らしは、ほんとに便利なので、年老いてからこそ真価を発揮しているように思います。友人も多く、両親の郷里の和歌山に、父のお墓を定めてからは、JRと直行バスを使って、毎月のお墓参りを欠かさない、そんな暮らしが元気の源でしょうか?
 
今回の帰省の名目は、経木を流しに行く行事。8日に母が和歌山の檀家のお寺で書いてもらったお経木を、お盆の日に近くの四天王寺に流しに行くのに同行しました。本来ならば、もとのお寺に返しに行くそうですが、四天王寺はすべての宗派を受け付けているということで、近場で済ませています。
 
     
      
  
天王寺駅から少し北に歩いたところにある四天王寺は、昔からのお寺ですが、大阪に育ちながら1回も行ったことがなかったので、今回の機会は興味がありました。町に住んでいると、往々にしてこんなことがあります。結局、自分と関わりのあるところでなければ、たとえ近くにあろうとも、行かないし知らないというようなことが。
 
初めて見る四天王寺は、はっきりいってびっくりしました。奈良時代の建造物で、聖徳太子縁のお寺と記憶していましたが、境内の広いこと!ちょうどこの日は夜に灯篭祭でも行われるようで、準備の飾り付けがありました。大勢の人がくるので、野師も多く出ていました。
 
    
   
   
そして、奈良時代のものだからでしょうか?よく見なれたお寺とは、少し違った雰囲気がありました。何枚か撮った写真を眺めて、気付いたことですが、お寺に行ったはずが、入口には鳥居がありました。
 
      
   
 
 
目的の経木流しの場所を探しあてましたが、3千円を支払って、経木を渡し、渡した経木は順次、念仏を唱えている横に置かれ、その後亀の口から出た水貯めに浸して引き上げると言うもの。見るまでは、流した経木は川のゴミになるのではとか思いましたが、やはり流すのではなく、最後は焼却か廃棄するようでした。
 
   
 
         
 
一連の行事に、仏教信仰の薄い私は、まるで異国の宗教でも見るかのような違和感を覚えながら、ここを訪れる外人さんが、東洋の神秘を感じることは間違いないとぼんやりと考えていました。  しかし、何はともあれお盆は、今は亡き人のことを静かに思い出す良い時に違いはありません。
 

 
大阪の夏は、やはり猛暑でしたが、いつもの年よりはそれでも、からっとして凌ぎやすかったように思います。
 
関東ではあまり見られない光景ですが、関西ではもうずっと前から、自転車に傘を取り付けて乗っている人がたくさんいます。今回も、日傘つき自転車がたくさん見られました。
 
     
 
 
   トラノオの花、蜜が滴り落ちて
 
   
 
 

昔の絵

3月の声を聞いてから、瞬く間に時間が過ぎてしまいましたが、
ようやく編集画面にたどりつきました。
 
体調を崩していたこともありますが、何よりも一人の時間が無くなったことによると思います。
私室に籠って1人ボーっとする時間って、やっぱり必要と思います。
 
契約にこぎつけた家のリフォームは、当初の予定より半月位、着工が早まり、何やら追われる気持です。
大人4人暮らし、1階全面リフォームでは、住みながらはきついので、仮住まいを予定しています。仮住まいしつつ、リフォームしつつ、夫単身赴任のアパートの引っ越し荷物も最終的には、納めます。これの段取りに、日夜頭を巡らしてきましたが、そろそろ、物の整理、移動、廃棄処分など開始です。
 
2階の天袋を整理していたら、以前実家から引き取った私の小学校時代の絵画が出てきました。何年か前に幼稚園時代のものは処分したようで残って無く、小学2年、3年、6年のものが数枚残っていました。娘たちの小学時代の絵ですら、大分前のものなのに、自分のとなると何十年前になるのでしょう!
 
でも、せっかく今まで残ってきたものだからと写真に撮ってから廃棄することにしました。これだけ年数が経ってしまうと、自分の絵も随分客観的に見られ、娘と1枚1枚見て、大爆笑しました。
 
「これでも、小学時代の図画の評価はよかったんだよ」というと、「わかる、わかる、先生も大爆笑で楽しんで、いい評価くれたんじゃない?」と言われました。「細かく頑張るけど、そこそこ雑」という性格が出ていることが、よくわかりました。
 
小さいセーラに拍手して、思い出の絵、一挙、掲載です。
 
 
   
 
       
 
    
 
 
      
 
 
   
 
 

父の七回忌

父の七回忌の法要に、和歌山へ行って来ました。
 
予定していた1月31日は、運悪く雨の予報で、かなり降ると聞いていたので、
覚悟して行きましたが、若干雨に合う程度でおさまってくれたので、ほんとうに良かったと思います。
 
三回忌のときには、まだお墓を定めていなかったので、今回ようやくベストな形で行えました。お墓は、父が生前一番望んでいた(と思う)本家の近くにうまく定めることができたことで、父母の故郷の地で親戚の人たちともゆっくり歓談の機会が持てました。
 
大阪に一人暮らしの母は、この3年間月参りを欠かさず和歌山に通い、
今回の法事も一人で取り仕切り、元気です。
兄と私は、配偶者を伴って飛行機や新幹線で大阪に集合し、久しぶりの再会に、和やかな時間が流れました。
 
二日間の夕食は、実家近くの「がんこお屋敷店舗」のお部屋でいただきました。
 
    
 
       
 
掘りごたつ式、床暖房でゆっくりお食事ができましたが、法事のときのお食事を含め、3回も和食の外食を食べると、さすがにパターンが見えてきて、違うものが食べたくなりました。
 
 
大阪からの帰路は、せっかくだから以前住んだことのある京都経由で帰ることに。
いつものように、阪急で桂から嵐山へ。
 
帰る日は朝から良い天気だったにもかかわらず、嵐山の方は雲がかかっていて、
案の定、雨が降っていました。
 
    
 
           
 
あまり、ゆっくり見ることもせず、嵐電に乗って今回の目的地、
嵐電の新駅ー天神川御池へ。ここは地下鉄東西線の終点とも連絡しています。
以前住んでいた時には、何があった場所か思い出せないくらいすっきり出来上がっていて、
びっくりしました。
 
     
 
右京区総合庁舎の入った大きなビルもあり、3階には図書館もありました。
我が市の市庁舎も、ビルに建て替える話が出ていますが、こんな感じになるのかしら?
 
    
  
 
そういうわけで、このあとは地下鉄で京都駅へ
 
            
 
    
京都駅は、伊勢丹の入った大きな駅に10年くらい前に変わりましたが、
今回は地下鉄を降りて、チケットを買って、エレベーターでホームまで上がってしまったので、
素敵な京都駅は、全く見ずに新幹線に乗り込んで帰ってきました。
 
帰りの新幹線は、いい天気の中、青い空、きれいな雲、光る海、大きな川を眺めながら行きましたが、
ばっちりの富士山だけはと思いカメラに収めました。
 
  
 
その他は、普段なかなかできない読書で時間を過ごし、
この旅で、ようやく気になっていた1冊を読み終えました(^^)v