カテゴリー別アーカイブ: 自然

中秋の名月

昨日の中秋の名月は生憎の嵐でそれどころではありませんでしたが、
ところが今年は、どうも今日が満月らしいということを耳にしました。
 
帰ってきた家族は、皆今日のお月様はとてもきれいだったということです。
それならと思って、玄関先に出て月を探してみました。
すると、お月様はちょうど家の真上に昇っていて、まん丸で白く透明な光を放って煌々と輝いておりました。
遠すぎて、多分綺麗に撮れないと思いつつカメラに収めました。
 
遠くから、太鼓の練習の音が、もう何時間も聞こえてきます。
日中、気温が上がったので、寒さも無くなり、いい夜になりました。

実りの秋

近頃、田舎コースで自転車を走らせ一面田んぼが広がるところに差し掛かると、
稲穂が重く垂れ下がる風景に出会います。
残暑の残る日々にして、着実に季節が移っていることを感じさせられます。
 
自然の懐に抱かれ,自転車を走らせている30分は、目の前に移り変わる風景と、自分が今携わっていることへの想いが重なって
様々な思考が生まれては消えつつ、ある時は詩的な、ある時は哲学的な時間を過ごします。
 
京都の哲学の道も、春には桜、秋には紅葉と自然が美しい道であることが、頷ける気がします。
 
今、秋の田を目の当たりにする私の中では、
  ♪実れる田の面は 見わたす限り、穂波のたちつつ 日影ににおう。
     垂穂は色づき 敏鎌を待てリ、 いざいざ刈らずや、時すぎぬまに。♪  の歌がいつも流れています。
 
 

蜂の巣撤去

朝晩は涼しくなりましたが、日中の日差しは暑く、まだまだ夏を感じさせられます。
 先週蜂の巣を発見したのも、暑い日でした。
 
「家の外壁の隅にある蜂の巣に、蜂が隊列を組んで集まっていて見るからに危ない」という次女からのメールが入り、恐る恐る帰って外壁をよくみたら、意外と死角になる隅に蜂の巣がありました。
私が見たときは外に2匹いるくらいですでに静まっていましたが、知ってしまった以上、また蜂の集結などあっても困るので、早速市役所に電話をしました。
我ながら、この対応は早かったように思います。
 
環境整備課が応えてくれたところでは、蜂の巣撤去は、今順番待ちであること、市の職員がするので専門家でないので、高いところなど場所によってはできない、ということでした。
1階軒下くらいの高さで、巣の大きさは10cmくらい、長い体の蜂であることを告げると、
足長蜂のようだから家で殺虫剤ででも駆除できるといわれましたが、
「順番、待ちますのでお願いします」とお願いし、いよいよ明日の午前中に来ていただけることになりました。
 
蜂の巣撤去を市が請け負うという発想は、どこから出てきたのかわからないですがとてもありがたいと思っています。
しかし、市職員さんも大変な話だと思ったりもしています。

夏の草花

8月になり、関東地方もいつのまにか梅雨はあけて、もうずっと前から夏だったような毎日になりました。
朝晩は、やや涼しく高原の夏とまではいかないまでも、なかなかいい感じです。
 
今週は、田舎コースでお出かけの日が多かったので、夏の木々、草花と毎日のように出会えました。
 
ブログの方、ちょっと目を離していたら、驚きのスペースに変貌していたので、あわてました。以前のが慣れていたので、戸惑いましたが、この際、デザインを変えて気分を一新することにしました。 
この爽やかなブルーは、結構気に入っています。
マンネリの気分になる手前だったかもしれないので、今回の変化は良かったと受け止めたいと思います。
 
話戻って、夏の道で、今出会う草花で、印象深いのは、オシロイバナ、ホウセンカ、それとうすピンクの百合です。
オシロイバナは、小学生の頃、この花の種を一杯集めて、白い粉を出して遊んだ思い出深い花です。濃いピンクの花が一般的ですが、黄色や、白のも見かけました。
 
百日紅も少し目に付くようになってきました。
こちらは、町コースでお出かけのとき、道路沿いにいっぱい咲いているのが見られます。今年ももうそろそろです。
木の幹が滑らかな感じでサルがすべりそうだからこのような名前がついたのでしょうね。そして、漢字では、「百日紅」と書いて花の様子を説明する日本語は、なかなか楽しい言語です。
 

ムクゲの花

今、自転車を走らせていると、色々な色のムクゲの花がきれいに咲いているのを目にします。
以前家の庭に、八重のムクゲがあり、沢山花を付けるときは、とても優美な庭になったことを思い出します。
 
家は、JRの最寄り駅から続く街並みの最北に位置していて、
家の北を流れる川を越えると一面田畑が見渡せる、まさに田舎がそこまで迫っているところにあります。
駅方面に出かけるときは全く街に暮らしている気分ですが、
ここのところ、田舎コースでのお出かけが続いています。
 
川沿いには、最近までアジサイもきれいに咲いていました。
四季、おりおりの草木、花々にいつも癒されている気がします。
 
 
 
 

桜の季節

今日は朝から生暖かい風が吹いていましたが、夕方になりとうとう雨が激しく降り出して来ました。
 
先週は、しばらくお天気にも恵まれ、近辺の桜も一気に満開に近づきました。昨日も、電車に乗って出かける窓からも、見事な桜並木がいくつか見られました。
 
春の予感はまだまだ寒い頃の梅の便りから始まって、いよいよ桜が咲くと春も本番という感じがします。
このシーズンに卒業、入学などもあることから、桜を見ると浮かんでくる想い出もいくつかあり、しばしタイムトラベルし夢幻の世界に誘われそうにもなります。
 
名所の桜の想い出もいくつかありますが、桜として一番印象に残っているのは、子どもの頃に住んでいたところの桜並木のトンネルです。夜少しの光に照らし出されて白い光を放つ美しさが思い出されます。
以来、どこの桜も満開のときの美しさは同じです。近くでみると、たわわな花にうっとりし、離れて見ると、繊細な淡いピンクに心惹かれます。そして、数日たつと必ず春の嵐が訪れて、この可憐な花を散らしてしまう。それが分かっているので、なんだか落ち着かない日を送ってしまう桜の季節です。
 
今日の嵐で、近くの桜も半分くらい散ったかな
 
そんなことを思いつつ、京都、嵯峨の美味しい桜餅を思い出しながら、桜の葉っぱに包まれた桜餅(道明寺粉)を食べて癒されています。

冬至に

寒波が大暴れして、日本海側が大雪との情報。
 
さらに、新潟と、大阪では強風が吹き荒れ停電したらしい。
それぞれ、吹雪と強風の様子を、電話で聞きながら、こちらのよい天気が申し訳なく思いました。
 
冬至の今日は、冬の色をした寒い日でしたが、お日様に照らされた場所は穏やかな空気に包まれていました。
年末の用事に,すぐ時は過ぎ、2階の部屋を念入りに掃除機をかけてやっと外出したときは4時20分になっていました。
西の方に自転車を走らせると、夕日が丁度山の麓に近づこうとしていて、富士山が影のように浮かび上がって見えました。
そして、しばらくすると、まぶしい赤い陽は山の下に見えなくなってしまいました。
 
1時間ほど、買い物をして外に出ると、もうすっかり日は暮れていました。
 
冬至のかぼちゃと、ゆずは前に買ってあり、今日のメニューはかぼちゃと豚バラ肉の煮込みです。
そして、今からゆず湯に入って温まり、ゆっくりと早いめに就寝するつもりです。

湘南、冬景色

寒さが、一段と増して、日本海側では、軒並み雪の便りが聞かれます。
 
湘南とよばれるこの地域もさすがに寒くなり、陽のあたらない水溜めでは、昼でも氷が張っています。
 
このような典型的な冬型の気圧配置になると、ここでは毎日安定した青空が広がり、明るく暖かい昼を過ごせるのは、とてもありがたいことだとつくづく思います。
 
例のごとく、自転車を走らせてゆくと、刈り取ったあとの田んぼでは、ハトの群れが、舞い上がっては休み舞い上がっては休んでいました。
川では、白い鳥達が、陽のあたる場所で並んで、身動き1つせずに日向ぼっこをしています。 
また、紅葉の残った赤い木や、黄色い木、葉っぱがすっかり落ちた木なども、太陽に照らされて冬の景色をつくっています。
 
そして、葉がなくて枝だけになった木の、沢山の枝が、青い空をバックに複雑なからみのある芸術作品となっているのに感動しながら、空を画用紙に青くぬった幼い頃の空を思い出したりしました。
 
きのう、やっとチューリップと水仙とムスカリを植えて、冬の庭仕事を終えました。
 
 

富士山遠景

今朝、自転車を走らせていると、冬になると現れる富士山が、はっきりくっきり見えました。
空は青く澄み渡り、空気がピーンと張り詰めた感じのところに、大きく雄大に裾野を伸ばして迫ってくるようだったので、たまたま持っていたデジカメを取り出し、シャッターを押しました。
 
再生してみて、びっくりです。 あれ!確かに写した富士山は、いづこに?
と思えるほどの小さな感じに収まっています。 
私は、目の前に見る富士とカメラが捉えた富士山のギャップをどうしても受け入れられず、とりあえず、その画像は消去し、目的地に着くまでの間あと2回、場所を変えてシャッターをきって、この感動をカメラに収めたいと思いましたが、何回撮っても、富士山が遠くにあるということを知らされるだけでした。
 
人間というのは、本当に不思議にできています。自分に関心のあること、感動させられることは、とても自分の中で、大きな部分を占めるのに決してそれが矛盾していない。
 
私の目は、富士山を見ながら、どアップにもできるし、意識を変えると、背景としてみることもできるのですから。カメラは、その場所から1通りの事実を示すだけなのに。
そういえば、聴覚はそれが、もっと顕著なので補聴器はあまり実用化していないのですね。
 
今日は、写真の富士山はあきらめて、想いの中の大きな富士山を眺めていることにします。