先月久しぶりに参加した市のガイドウオーキングに、今月も参加しました。
今回のコースは3年前に歩いたことのある城島地区です。コースなど少しは変化があるかもしれないと期待しての参加でしたがパンフレットを確認したら、全く同じコースで、立ち寄る場所も同じでした。

違うのは、3年前は春であったのに対し今回は秋であることぐらいです。ガイドボランティアの人が、「このコースは毎回天気が悪かったけど、今回は良い天気に恵まれました」と嬉しそうに話されましたが、3年前の春も今回と同じくらい良い天気でした。
下島、大島、小鍋島、城所の4つ地名を歩きましたが、これらはそれぞれ小さな村で明治22年に合併して城島村となったようです。その後、城島村は昭和33年に平塚市に編入されたということです。
3年前の記事では主に後半部分(←リンク)を書きましたので、今回は前半を中心に心に残ったことを記したいと思います。
今回あちこちで見かけた庚申塔、この庚申塔とは一体何ぞや? 今回は説明された方の理解が明快だったからでしょうか、とてもよく頭に入りましたので書き残そうと思います。
昔(江戸?)悪いことが起きるのは、人の体の中に悪い虫が住んでいてその虫が庚申の時刻(真夜中のようです)に体を抜けだし、魔王?のところへ行ってその人の悪い行状を報告しその悪い行いの報いとして悪いことが起きると信じられていたそうです。そこで、村の人たちは、90日に1回?かある庚申の日に皆で集まり虫が出て行かないよう朝まで寝ないで番をするというイベントを行ったそうです。そして、それを3回行うと、庚申塔を1つ立てたということのようです。・・・・・・詳細あやふやですが、何だか昔の人の思いに触れることができたような気がしました。
そのイベントは、わけはともかく実際は近隣の皆で朝まで集い合うレクレーション、村人の楽しみになっていたようで、このウオーキングの地元の参加者によると、つい最近までその風習は残っていましたよという証言も聞かれ、歴史のある地域を感じました。
庚申塔には下の方に猿が模られていて、これが2匹のと3匹のがあり、2匹の方が時代が古いものと聞きました。
今回、あちこちで六地蔵を見ました。
1、集合地点の下島八幡神社・・・徳川家康が鷹狩で立ち寄った時に、鷹が松の木にとまって降りてこなくなったが祈祷したら戻ってきたので、家康より褒美をもらったことが記されている。
2、霊山寺・・・このお寺は、2カ所印象深いところがあります。1つは境内にある淡島堂。婦人縁の神社で安産、裁縫の上達などのご利益があり、お百度石がある。3月13日の縁日は、女の人は家のことから解放されて1日ここで楽しむそうです。もう1つは、この寺の後方の木々の中に、散らばって立てられた六地蔵があること。
3、正福寺・・・市指定文化財の木造の「薬師如来立像」と「十二神将立像」がある。ここにも、庚申塔があり、右のは二猿。
4、十輪寺・・・風よけの生垣が印象的。その横には平塚市最大の墓がる。
この地域の名前に島の字が多いのは、昔この辺り一帯が湿地帯だったからだそうです。昔の様子を示す手書きの図をみせてくれました。この図で緑のシールが貼られているところは渡しがあったところです。
5、興淵寺・・・「古河の渡しと白蛇の伝説」のお話を聞きました。

小田原厚木道路を超えた小高いところは、昔城所城があったところです。 1964年開通の新幹線の高架をつくるために山の一部が削り取られたそうです。
この城所にある、浄心寺と貴船神社を見て解散しました。