大阪から戻って、早10日ほど過ぎましたが、今回の大阪行きでは、懐かしい場所を歩くことができました。こちらに戻る前の日、母のところへ追加のものを届けた帰りのことです。
母の今度のホームは、近鉄南大阪線の矢田駅にほど近い場所にあります。実家マンションからは、一度天王寺に出てからこの線に乗り換え5つ目の駅となります。天王寺駅から南東の地域は、私が高校1年まで住んでいた懐かしい地域。そこで、帰り道近鉄阿部野橋(天王寺駅と同じ)の1つ手前の河堀口駅で降りて、天王寺駅まで歩くことを思いつきました。
河堀口駅を降りてすぐ、母校の中学があります。何十年も見ていないので周辺の建物から校舎に至るまで珍しいものでしたが、正門の位置と校舎の配置、渡り廊下は同じでしたので、その辺りが懐かしく思いました。道を挟んで向かいが、母校の高校です。この間の道はこんなに狭かったのかと認識を新たにしました。
高校は、私が卒業した後、古い校舎の建て替えが行われ、運動場の方に校舎を建設し、元校舎のところは運動場となり、正門も場所が変わったので、私が通った頃の面影はありません。そして建て替わった校舎がすでに古くなっている感じですが、その横の道から校舎裏を眺めながら歩くと、微かに高校時代の思いがわいてきました。
この横の道を進むと次に見える公園は、私の母校の小学校の分校跡に出来たものです。分校は当時、2年生と5年生が通う場所で南北に広がった敷地でした。この道の右手(北側)は広い運動場になっていて、運動会は本校校庭より広いのでこちらでやっていました。当時1学年10クラスのマンモス校の本校は、この分校の坂を下りて大きな道路の向こう側にあります。当時地下鉄道路と呼んでいましたが、今もこの道路の下に地下鉄御堂筋線が走っていると思います。
昔もそうだったのか、坂を下りたところに信号はないので、歩道橋のところまで行って渡りました。歩道橋を下りたらすぐ、母校の小学校が、本校であった場所に現れました。午後4時過ぎちょうど下校の時間なのでしょう。一斉に子どもたちが下校する所に遭遇しました。その子供たちの姿が何ということでしょう。まるで私学のよう!帽子はグレーだし。私たちの頃も標準服というのがあり、式の日には着ていたので、その延長かもしれません。
この辺りからは住んでいた場所にも近く、懐かしさひとしおの場所に差し掛かりました。ちなみに、私が生まれた、小学校隣接の至誠会病院の敷地も、小学校の別館となっていました。
小学校の隣には私が通った幼稚園があり、その向かいに小学校の図書館がありますが、半世紀超、過ぎてその2つは昔とほぼ変わらない姿で感激しました。そこからまた戻って、小学校横の常盤公園を横目に天王寺駅方面に進みました。この公園も、半分は今の分校の校舎が立っていますが、私が小学校の頃は倍の広さの公園でした。
さらに進み、駅まで5分の至近距離にあった昔の住まいは今はありませんが、周辺植物にその面影が忍ばれました。また、美容院と医院の2つが昔と同じ姿で残っていました。
とても狭い地域の中で、幼、小、中、高と過ごし、長いと思うその期間は15年、大人になってからの密度の違いを改めて感じました。一度離れると、再び来る機会はあまりないので今回の寄り道はきっと記憶に残る1ページになるでしょう。