月別アーカイブ: 2020年2月

続2月後半の風景

花粉、新型ウイルスの脅威に反して、この頃の季節は、日の光が眩しく暖かく、特に朝部屋にに差し込む日差しにの中では、いつも見慣れたものが新鮮に美しく感じられます。そしてその中で、1杯の緑茶をいただくと何だか力が湧いてくる感じがします。

その後、文旦のジャムは予定通り作りました。昨年同様、瓶3個分出来ました。続いて、文旦ピールに、バレンタインの時期に買っておいたチョコでコーティングしました。文旦のほろ苦さとチョコの甘みがうまくマッチして、この季節ならではの味わいです。昨年は文旦の皮がもったいなくて冷凍保存し他の季節に作ろうと思ったりしましたが、結局そのまま1年が過ぎたので、別の季節には余る時間はないのだと悟りました。まあ、その気力がないということです。

不要不急の外出を控える中、4月から始めた健康体操教室には月8回のペースで通っています。自転車で15分のところにありますが、なるべく歩きで30分かけて行くようにしています。

毎日の母との電話で、足が不自由になり不便な日常であることを聞くにつけ、年をとっても二足歩行ができることの大切さを痛感しています。足首を骨折して手術はできないといわれた母でしたが、骨折から3か月目の先日から超音波治療というものをしていただけることになりました。自然治癒を促進させるもののようで、10年くらい前からの新しい治療法のようです。それなりに、よくなってほしいと思っています。

 

 

 

2月後半の風景

今年は、先月下旬からずっとコロナウイルスのニュースが話されない日は無く、しかも日に日にそれは深刻さを増して来ています。敏感な人と鈍感な人、悲観的な人と楽観的な人の温度差はありますが、マスクは早くから品切れ状態になっています。

とそのことに気を取られていましたら、今年は例年より暖かく早くも花粉が飛び始めました。そのことを思い知らされたのが、今週の月曜のこと。この日は晴れて風が割と吹いていました。その中をマスクだけはしていましたが、花粉対策無しで1時間くらい歩いたのがたたり、目と鼻に強い症状が出てしまいました。

以来、あまり外には出ないようにして、出る日は対策(目薬、飲み薬で対処)しています。

室内では、例年より早く、味噌づくりと文旦ピールに取り掛かりました。と言ってもどちらもスローな取り組み。味噌づくりの方は、集まりでもみんなで実習したのがやる気を起こしてくれました。やり方にそれぞれ違いがあり、それがとても参考になり、それを取り入れてやってみようという気持ちが原動力となったのでしょう。その1は、味噌と麹の混ぜ方ー大きなビニール袋で一度に混ぜる その2、塩の蓋の代わりに酒粕を敷き詰める、この2点を取り入れて今回は仕込みました。

文旦ピールの方は、もうすでに4個実を食べましたが、なかなか皮で作るピールに着手せずに皮は冷蔵保存していましたが、かれこれもう10日も過ぎていざ作ろうと思ったら、さすがに劣化が始まっていました。あきらめて新しい2個をむいて、その皮で作り始めています。

この勢いで、文旦ママレードも今夜作りたいと思っていますが、こちらは、チルドに保存の皮と昨年の文旦の冷凍保存を解凍して作ってみようと思います。

いずれも過去の投稿が参考になりました。

文旦ママレード→2019年2月 文旦ピール→2008年2月

 

2月の大阪行き

2月になって、コロナウイルスが騒がれる中、大阪へ予定通り行って来ました。

1月には、1回目大阪から帰ったあと、母の足首の骨折がわかり、病院の診察のためにすぐに2回目行きましたが、結果としては手術しないでギブスのみで様子を見ることになりました。高齢者と医療について考えさせられる体験でした。

今回の滞在5日間は、一段と不自由な日々にもやや慣れて来た母との静かな語らいの時間を過ごしました。1月は母の誕生日に行きましたが、2月は私の誕生日を含む日程で、かろうじて私の誕生日を思い出してくれました。

また今回の日程の全期間、冬晴れで大阪は暖かい日が続きました。母のホームへ最短で行ける川沿いの道はそろそろマンネリ化してきたこともあり、周辺の地理がわかってきたので今度は南の商店街の道などを探索しながら歩きました。17時にホームを出てからの帰り道では、日没と競争のような感じで1時間さ迷うとさすがに焦りましたが、スマホのマップの位置情報を見ながら歩き、新たに色々知る事が出来ました。

南の商店街はその長さで有名のようですが、平日は閑散としていました。シャッターを下ろしているところも多く見られました。古い大きな神社やお寺が所々にあり、戦災を免れた町であることが感じられました。以前あった主婦の店のところにはマンションが建っていました。

しかし、どこを歩いてもかなり遠回りとなり、川沿いの道がいかに最短コースであるかがよくわかりました。

母のホームへ通う以外は、家の補修や母の服の補修を楽しみました。

78040705-7543-4C4F-8ABE-69F6433D8C1E  074F2E21-F6CD-4A4F-AE49-0A1E6838A72C

要注意の新大阪駅に注意し、行きはこだま号、帰りは新大阪始発のひかり号で安全に戻って来ました。中国人旅行客がいなくなっているからか、あちこち空いていました。