月別アーカイブ: 2005年10月

新潟の紅葉

山の紅葉の錦を求めて、弥彦山に向かった。
あいにく朝は、本降りの雨だったが知らぬ間にお天気は回復して、麓の神社に着く頃には晴天になっていた。
 
途中、三条市、燕市で、ガトー専科という、コーヒーが無料で飲める喫茶コーナーのあるケーキ店に立ち寄った後、ブルックバスター?といったような名前の、わけ合ってディスカウントという家庭雑貨のお店をひと周りした。この2つは、よく立ち寄るコース。
 
弥彦神社に入ると、菊祭りの準備をしていてもうほぼ出来上がっており、見事な菊を沢山みることができた。変り種は、花びらが細く垂れ下がる嵯峨菊、と水平に開いた一文字。実は、私は菊はそれほど好きではない気がしました。野菊のような、小さく沢山咲いているのは、まだ好きですが・・・
 
弥彦公園では、色づき初めの新鮮な景色に出会えた。チョット川が流れていてミニ渓谷のようなところを歩き、人も少なく幻想的だった。
ロープーウェイに乗って、山頂へ。晴れ女の私は、本当にラッキー。日本海の向こうにぼんやりと佐渡島が見えた。552mくらいの地点からの眺めと思いますが、壮快で、新潟平野もバッチリ。
 
ロープーウェイ、行きは山彦号、帰りは海彦号。何の関連でつけた名前でしょうか?
お土産店で、浪花屋の柿ピーのマスコットがちょっと楽しかったので、2種類、お土産に買った。
 
この日の帰りは、道の駅の温泉、手まりの湯に入ってくつろいだ。大人1人500円で、タオルもレンタルつき、全部無料のかぎ、ドライヤーも無料。温泉は、イオウとナトリウムの2種類あり、ミニサウナもあった。小ぢんまりとして私はなかなか気に入りました。
 
 

上越新幹線に乗って

今日は朝から雨の予報だったが、実際は薄日すら射す天気で、やはり私は晴れ女と思いつつ出発した。
 
新幹線の座席指定を乗車5分前にとり、11時20分発のときに乗り込んだ。上越新幹線はMAXときが多く、ただのときに乗るのは久しぶりです。
 
MAXは、2階だてで1階に乗ると地を這いずり回っているようで、ややストレスがたまるが、反対に2階に乗って窓際に座り景色を眺めているとワイドに広がるリアルタイムの景色に心奪われる。
しかし、ときは普通の1階。しかも、座席指定というのに、その車両は、先頭12号車だったためか、どの新幹線にもあると思っていた、前方のテロップがなかった。
また、アナウンスも英語が流れず、新幹線のリッチさが欠けていると思った。
 
お天気のほうは、高崎あたりまでは薄日だったように思いますが、その後だんだん曇って越後湯沢を過ぎるころにはとうとう降り始めて、目的地長岡では、本降りになっていました。
 
暖かい日が続いていたので、今年の紅葉は1ヶ月位先のことと勝手に思っていましたが、ふと街路樹に目をやるとまるで絵に描いたような鮮やかな黄色と赤が見えました。温暖化とはいうものの、ちゃんと秋は来ていたんだと思いつつ、木々も温暖化を心配しながら変わらない営みを続けていることになんだか愛おしさを感じました。  

音楽療法

午前と午後のお出かけの合間時間を家に戻って過ごしています。予定が多くなると、このかぎりではありませんが、平日を自由に使えるのは、今の立場のありがたいところです。
 
運転免許の更新では、私はペーパーなので必然的に優良ドライバーとなり、最寄の警察署で短時間のうちに手続きできるけれど、初回や、一般という人は2時間の講習というのがあって、後日に日を指定されるか、1日でかたをつけたければ試験場のあるところまで出向かなければならないなど、一般の勤め人にとっては結構ひと仕事となるシステムです。その他世の中、「これって、会社勤めの人にはかなりきつい」と思われることが多いことが、時々の家族の悲鳴から感じます。
 
横道にそれましたが、偶然見ていた昼のテレビで音楽療法のことが話されていて、先日大阪の実家に行ったとき、音楽療法のことが書かれた本を読んで、とても興味を持ったのに、その後すっかり忘れていたことを思い出しました。音楽にはとても癒しの効果があるということで、心を開かせ、痛みまでも忘れさせるという実践記録に、人間のからだと心の神秘性を感じました。
 
人間を相手にする医療、その実感の持てる病院があればと常々思いますが・・・。音楽療法のこと、忘れないようにここに記しました。

平和のゆくえ

テレビ、インターネットとすばやく、いち早く情報が得られる現代ですが、新聞は新聞で同じところを何度も反復したり読み返したりできる良さがあります。
 
といって、新聞をくまなく読む方ではないのですが、今日の毎日新聞の本の紹介欄に目にとまるものがありました。「南アフリカでのサッティヤーグラハの歴史」という本ですが、タイトルからは何のことか見当もつかないので、解説を読んでみたのです。
 
解説によれば、サッティヤーグラハとは、「真実への執念、真実の粘り強い主張」という意味だそうで、といってもこれまた「ふーん。・・・」といった感じなのですが、つまり、インドのガーンディーのあまり知られていないアフリカでの22年間のことが書かれている本ということです。どうやらガーンディーというのは、私の知ってるガンジーのことらしいです。この本を読めば、上記の意味がわかりやすく書かれているそうです。
 
ガンジーの無抵抗主義の根底をなす考えなのでしょう。サッティヤーグラハは、武器およびあらゆる身体的な力を「力」とは認めない「魂の力」のことをいうとありました。ガンジーは100年も前に、リサイクルシステムを使って、お金をあまり使わず健康を維持する生活を営むコミュニティを実践していたそうです。こういうことに力を注ぐ人が増えて欲しいと思います。
 
気になる補欠選挙はとうとう行かずじまいになってしましました。
 
 

予定生活

太平洋の南の方を通過した台風の影響で、雨が降ったりやんだりで、陽はまったく射さず、気温も上がらない寒い日が続きましたが、今日は、打って変わって、朝から、さわやかな風と、柔らかな陽の光に包まれています。
 
朝の光が月桂樹の影をつくって新聞の上に降り注ぎ、その木漏れ日が美しくゆれています。忙しくしているときは気づかないけれど、草や木や花や空は、いつもそばにいて、ナチュラルなすがたで、なぐさめをあたえてくれている。そのことが、とても嬉しく幸せに思います。
 
今週は、毎日集まりに出かけていました。
忙しい日常生活の中、いつも季節は瞬く間に過ぎていきます。今日は、久しぶりのお天気なので、沢山の洗濯物や干し物をしましたが、それだけでは、もたいない!という気分です。
 
よし、コスモス畑に行こう。もう、日没まで余り時間がなくなってしまったけど・・・
 
目ざす予定生活は、なかなかできません。

手作りの時間

私は、子どものころから手作りをすることが好きです。
 
初めは工作のようなものに興味を持っていたのが、小学校4年生のころ同級生にとても器用な子がいて、鉤針編みで上手にバッグを編んだり、刺繍をあしらったお財布を作ったりしていたのにとても刺激を受けたあたりがきっかけかもしれません。
自分も、毛糸で帽子、マフラーを編んだり、着せ替え人形の洋服を母に少々手ほどきを受けて作って楽しんでいました。それから以後も、どこにでも器用な人は必ず何人かいて、そこに目が行き手芸洋裁、編み物は私の生活の潤いとなっています。
 
しかし、大人になって日々の家庭生活がはじまると、もっと差し迫ったことに時間をとられたり、実用性、経費のことなどがからんでくることもあり、手作りの内容も年齢によって変化してきましたが、その時々の人、物との出会いが新たな動機となりものを作る力となっているので、手作りはいつまでも私を飽きさせないのだと思います。
 
この頃作ったものは、自分の服、エプロン、セールに出す幼児のエプロン、それとリフォームで室内履き、猫のぬいぐるみ、ソーイングケース、フエルトのミニ動物などです。アクリルたわしも作って常備しています。
 
「作る楽しさ、完成の喜び」 これがいつも私をとらえています。
今、また私の身近に私とは桁違いの手作りの達人がいらっしゃり、その人が、1年くらいまえですが私の家に来られたときに、パッチワークなどの壁飾りなどほんの些細な作品に目を留めて、「手のものは温かみがあるわね」といわれた言葉に静かなぬくもりを感じて手作りに心を寄せています。

ようやく寒い日に

先週は、5日間ほど大阪の実家に行ってきました。3年前に父が亡くなり1人暮らしをしている母との交わりです。6月の時は、気持ちが沈んでいましたが、今はとても前向きで忙しく暮らしているので安心しました。あちらは10月とは思えない陽気でした。
 
帰る前の日に、新しくできた心斎橋のそごう百貨店と、船場センタービルの友達の店と、優勝セールにわく阪神百貨店に行きました。ふりかえって今の大阪の話題の店に行った気がします。そごうの丸善書店で、今までと違う人の訳の「星の王子様」と「国立天文台の電話番」の本を買いました。
 
そんなこんなで、戻ってきましたが、ここ2,3日のうちに急に季節が進んで寒くなってしまいました。フリースを羽織る寒さです。
 
チョット、風邪気味になってしまいました。