月別アーカイブ: 2005年11月

布の街

今日は、布の街日暮里の冬のセールに行ってきました。
 
布を買うためにこんなに遠出したのは、初めてです。神田が本の街であるように、日暮里が布の街であることを知り、セールに合わせて皆で行くことにしたのです。
 
現地では、駅からまっすぐに道が伸びていて、その両側にいろんな生地屋さんや、手芸洋品店が、ずっと並んでいて、私達のような遠くから電車で買い物に来たような人たちで、あっちの店もこっちの店も混み合っていました。
 
小規模の店、わりと大きな店、木綿の店、ウール地の店などお店によって、いろいろ個性があり、見るだけでも楽しめました。
 
何軒かの店に入り浸り、お目当てのものをそれぞれ買い求めることができて、満足して帰路につきました。
普段価格の2割引きなど、お買い得がたくさんあり、来た甲斐がありました。
 
中でもシャークスキンの無地が1m200円なのは、嬉しく思いました。
 
私は、布を買えば2,3年持ち越すのがわかっていながら、格安中心に沢山買ってしまい、明日からでも作らなければという気持ちです。     www.netlaputa.ne.jp/~nippori/

秋の庭

うちの秋の庭は、とりたてて楽しませてくれるものはありません。葉を茂らせた月桂樹と、葉っぱが古くなったようなアジサイと、蓑虫をいっぱいつけこんもりとしたヒバの木が目に付いて、夏の終わりの疲労感がただよっています。
 
地面には優先的に保護したためにいっぱい生え広がったどくだみと、あとは名前の知らない草たちの饗宴のあとが枯野となリつつ広がっている。
 
秋の忙しさにかまけて、鉢植えの水をやるのも忘れ忘れに日が過ぎて行ったのですが、株分けしていただいた、「金のなる木」と「折鶴欄」と「アロエ」は元気にいてくれました。
 
先日、少し時間と気力のあった夕方に、集中して草取りをしました。どくだみ群と、雑草群にはシダやつるものもありましたが、どれも一掃してすっきりさせ、ついでにまえから気になっていたアジサイをおもいきってウント小ぶりに剪定しちゃいました。
 
冬の庭にするには、まだ手を入れたいところがあるのですが、これで随分すっきりし、ホッとしています。
アジサイのところには、いつかここに、いちぢくを植えたいと考えています。入れ替えになるので、アジサイくんには悪いので、ちょっと考え中なのですが・・・
 
あと、冬にやることとして、チューリップとムスカリと水仙を植えます。
もう球根は買ってあるのでなるべく年内に植えたい。そうすれば、春がとても楽しいものになるのですから。

すっきりとした暮らしを

ここのところ、安定した晴れの日が続いています。
 
一度寒くなった気温はもう戻らず、すっかり冬の暮らしになりましたが、
昼間の日差しは暖かく嬉しい気持ちにさせられます。
 
しかし、それもつかの間、暗い夕暮れはほんとうにすぐやってくるので、
この光あるうちに色々やらなければと、落ち着きません。
 
秋の行事が終わり、いよいよ年末行事に入りますが、色々な予定もあり、
毎年ものの片付けと整理を気にしつつ年を越しています。
 
不燃ゴミや資源ごみの分別回収も12月中旬くらいで終わってしまうので、
今年は、計画をたてて( というか、意欲を燃やして)、早めの整理をしたい。
 
いらないものを、思い切って処分し、すっきりした部屋で暮らしたい。
と、いつも思っている気がするが、出るものより入るものの方が多いということです。
 
 
 
 
 

暖かい部屋

あまり秋を感じる間のないまま、寒波がやってきて、一足飛びに冬が訪れたようです。
先日とうとう耐えられない冷え込みがあって、ついに石油ファンヒーターを出動させました。
 
マンションに住んでいた頃は、外はともかく、室内は低燃費のエアコンで春のような環境にすぐできたのですが、木造一軒屋は、とにかく寒さ対策が欠かせません。今は、いろいろなハイテクの知恵があるようですが、うちでは、寒さ序の口のときは、電気カーペット、電気ストーブで、冷え込んでくると石油ファンヒーターというのが、毎年のパターンです。
今年は、暖かいので12月までは、電気でと思っていたのは甘かったようです。
 
一度ファンヒーターをつけると、部屋は別世界となってもうこの暖かさから離れられません。
さっそく、灯油を買うことになりましたが、気になるのが灯油のお値段。石油が値上がりしているので覚悟はしていましたが、巡回販売のおじさんも18リットルで1350円ですがよろしいですか?と遠慮がちでした。
 
でも、ファンヒーターをつけた部屋は暖かく、家っていいなと思えるときです。
これから、冬至、大寒と木枯らし吹く日が続きますが、暖かい部屋で、1年を振りつつ新しい年を展望する冬の暮らしが始まります。

世界の子どもの児童画展

近くのスーパーで世界の子どもの絵画が展示されていました。
自然との共生がテーマのらしく、それぞれの国の特徴が出ている絵や、日本ではあまり見られないタッチや、風景もあり、選ばれただけあって、どれもよく描けていました。
 
コメントなどもついていて、ロシアの子の絵で、灰色の風景、灰色の人々の中に、小さな女の子だけがピンク色で描かれ、緑の草の芽を見ている絵があり、「女の子だけが、小さな草の美しさを喜んでいる」とコメントがありました。
他に、動物と共に暮らす絵や、スリランカでは、この前の津波で人々が流されている絵もありました。
ヨーロッパのほうでは、街の風景が、緻密に描かれているものもあり、それぞれ、内容豊かに子どもの絵が表されていることに驚かされながらも、こちらも心豊かな時間を過ごすことができました。
 
そのスーパーの違う一角では、犬猫大集合のような催しがあって、日光のほうのペットショップから150匹集まってきていました。子犬、子猫の販売で、どれも名のあるものばかり。サークルに入れられているものもあれば、まるで、おもちゃのように、上が透明フィルムの箱に入れられた子犬たちがずらりありました。箱の上には、柴犬とか、ダックスフントとか、種類と金額が書かれているのです。
箱を覗くとどの犬も本当にかわいかったが、そのの売り方には違和感を感じた人は多かったのではと思いました。そして、一番安い柴犬で6万円位、ほとんど10万円以上していたのには、何も知らない者にとって一つ賢くなりました。
 
今日の私の用事は、出産のお祝いと詰め合わせる箱を用意することだったので、その後かわいく詰め合わせて2軒に送りました。

満月の夕暮れ

また一段と寒くなった夕暮れ、あたりが暗くなると、東の方に伸びる道の遠くの電信柱の上のほうに、とても大きな満月がかかっていた。
やや赤みを帯びて、丁度白熱灯の電球の色に似ていて、一瞬オオッ!と思った。
 
こんなに暗くなってから出かけるつもりはなかったが、秋の日は本当につるべ落としである。
おまけに寒く、今家を出たのだが、早いとこ用事を済ませて、あったかい部屋でぬくぬくとすることを思い描きながら出かけた。用事は小1時間で終わり、帰る道すがら、あの月はもうかなり上まで昇っていた。
 
月の大きさについて、地上近くでは大きく見え、上に行くと小さく見えるがそれは目の錯覚という話を聞いたことがあるが、今日の月で言えば、下でも上でも大きい月だ。
 
映像かアニメか忘れたが、アフリカでは地平線にとても大きな月が出ていたりするのを思い出すのだが、月の、目に見える大きさって、場所と日によって違うのかしら?
 
誰か、知っている人がいたら教えてください。
月が、西に沈まないうちに今夜はすぐ寝ることにします。
 

「海からの贈り物」に思う

この頃,日に日に寒さが増してきているが、こんな真夜中に寒そうなタイトルを書いてしまった。
夜更かしは健康に良くないが、少し目が冴えると、秋の夜長はなんだか落ち着く。
 
できるだけ、短くこの本のことを書きたい。
 
この本を手に入れたのは数年前、リサイクルのお店で、いいもの見つけたと思って買ったもの。
以来、書棚に置いたきりだったが、今回機会があって、ようやく読んだ。
 
作者は、リンドバーグ夫人ということで、あくまでも有名な冒険家の妻であるという立場しか示していないが、その内容は、とても興味深いものだった。
 
かれこれ、40年以上くらい前のアメリカで書かれたものなのに、今の日本の私達が直面している状況にとてもあてはまるので、非常に共感させられた。英語の翻訳が、硬く、チョット回りくどさを感じさせる文章ではあるが。
 
現代文明が、煩雑な日常を作り出し、家庭の主婦を脅かしていることへの警鐘が書かれていて、「被害を蒙っているのは、ここ (自分がいる場所) と、今 (現在) と、個人というもので、これらは生活を作っている要素でもある。そして、これらのかけがえのなさを決して忘れたことのないのが女である」との記述はとても的を得ている。
 
「簡素な暮らし、内なるものの充足、人間関係のあたたかさを求めるのは、狭いものの見方か?」と投げかけつつ、「これを脇に押しやっては価値あるものを発見することはできない」というメッセージに、日々の暮らしを大切にする新たな力をもらう事ができた。
 
街の喫茶店で1杯のコーヒーを飲むという簡単なことで、ヨーロッパ人は今を楽しむという。
私も、そうありたいと思う。
 
 
 
 
 

白い鳥達

寒波が来るとの予報どおり、今日は一段と冷え込んでいます。
しかし時々雨も降るという予報はどうやらはずれたようで、やわらかい陽が射しています。
 
その陽射しの中を、金目サイクリングロードに自転車を走らせていると、いつもの白鷺のほかに、少し小さめの白い鳥が、10羽ぐらい、飛び交っていました。それは、美しく優雅な風景で、手元にビデオやカメラがないことを、少し残念に思いました。
 
そういえば、京都に住んでいた頃、、渡月橋近くの大い川(桂川)には、冬になるとユリカモメが沢山やってきて飛び交う様に、都会育ちの私は、痛く感激したことを思い出しました。
 
よく見ると、近くの川にはまだかものような水鳥がいて、ここら辺は一見街がずっと続いているようでいて十分自然と共存していることを嬉しく思います。
 
テレビでは、山階鳥類研究所に勤めておられた紀宮さまの結婚会見が流れています。
鳥達もきっと祝福していることでしょう。
 

児童公園

私の所属する集まりでの講習会が、近付いて来ました。
この講習会は、毎年11月に行っているもので、1年を振り返りつつ来年を展望しながら、家庭生活に役立つメッセージを伝えるものです。
 
今年は、ていねいに暮らすことをテーマに、子どもの生活リズムと食生活に一考を促がす内容が、メインに話されます。全体を通しては、家計簿をつけ生活に予定を立て予算を守る生活、他者のことを考えつつ、多すぎず少なすぎない適量の暮らしをすることを訴えています。
 
どの年代にも必要なメッセージですが、ことにこれから子どもを育てる若い家庭には、ぜひ聞いていただきたい内容です。もう、ほぼ内容も出来上がり、あとはお客さんを誘うだけとなりましたが、なかなか、リピーター以外のお誘いは、困難をきわめています。
数年前から、市との共催を得て、広報にも載せていただいているので、一応怪しまれずお誘いができますが、今の時代、新たなものに足を運ぶ暇のない人が多いのを感じます。
 
私も児童公園などで、子どもを遊ばせているおかあさんたちのところにチラシを配ろうかと、ある日出掛けてみたのですが、その日がたまたまなのか、どこの公園にも子どもの姿は見られず、一組だけ親子連れがいたけど、さすがに声かけにくい雰囲気でした。
他は、老人だったり、中高生だったりと、児童公園も様変わりしていると感じました。
 
世の中色々な事件も多い中、人と人のネットワークもまた違ったものになっているのかしらと思いました。
 

雨のち晴れ

今日は、土曜日出勤する家族のために早起きしましたが、私としては休日バージョンにしたくて、朝食をすませて再び仮眠をしようと計画していたのですが、
ちょっとパソコンを開いたのがあだとなりそのまま時間が過ぎてしまいました。
 
今更、睡眠の時間でもないので朝仕事をするしかありません。
今降っている雨が午後には止むので、午後は自転車に乗っていくつかの用事をするつもりです。
 
きのうあたりから、めっきり寒くなってきましたが、NHKのニュースでは、今年は気温が高い日が続いているので、清水寺や東福寺など京都の紅葉があざやかにならないかもしれないと言っていました。
 
京都から、転居して早もうすぐ6年になりますが、四季折々の自然の美しさにマッチした古都の風情は、日本人の心のふるさと、ホッとさせるものがあると懐かしく思い出されます。
 
確かに、観光化され街全体がパビリオンといったところもあり、にわか京都人として住んだ6年間は、その中に生活しつつも、長期観光滞在者のような気持ちをどこかに持っていた気がします。
 
でも今でも、嵯峨、嵐山に行けば、自分の庭を歩いていると思えるだろうと懐かしんでいます。
 
昨夜のブログにかきこんだことが刺激になり、カウンターの件、ようやく、短いタグのところをさがすことができ登録して取り付けることができました。わけもわからずですが、しばらくゆっくり様子をみることにします。
 
どうやら、ようやく薄日がさしてきました。