春分の日の外出は、なんだかんだで、とうとう正午を過ぎてしまい、
途中、立ち寄ることにしていた美術館の展覧会は、後日に回すことにしました。
雲が広がったり、日差しが出たりと変化しましたが、概してよいお天気でしたが、
やはり風は冷たく感じられました。
2時間半かけて、義母のホームのある駅の程近いところにあるモスで遅い昼食をとり、3時ごろ到着しました。
義母は、大抵お部屋で横になっています。私のことは忘れていないけれど、
話す言葉は少なくなり、いつも決まったことを話します。そして、大抵いつも眠そうで、気分がすぐれないようです。
私は、結局、義母の人生劇場の中で、後半に登場する次男の嫁で、ある意味外野の人間です。
それだけから、よけいに義母の様子には身につまされるものを感じます。大事なものが時間とともに失われていく
そんな焦燥がいつも漂っています。受容に徹した温かい人々のお世話も義母の心を和ませるものではないようです。
今は失われた、家族としての一つ屋根下のの暮らし、叶わぬ願い・・・。絡まってしまった心の糸。
だから、義母のホームに出かけるときは、嫁の務めとは思っていません。結婚によって大きく関わりを
持つようになったひとりの女性との交流と思って毎回出かけてゆきます。そして、私には、彼女を
救う力も無ければ、愛もない欠けのある現実をあらためて確認するのです。
最期をどのように生きるのか、この難所は自分ひとりでは到底どうにかできるものではないことを思いつつ。