月別アーカイブ: 2007年2月

醸造の街、摂田屋、散策

今回の、新潟行きは、昨日夕日を追いかけながら信濃川沿いを車で行き、
         
 
お気に入りの温泉である、川口町の和楽美(わらび)の湯に行った他は、
とりたてて観光もせず、ゆっくりと帰路につく予定でしたが、
帰る日の今日、勧められるままに、近所散策をして、レトロな街並みをカメラに収めました。
     
         
 
 長岡、宮内界隈の摂田地区は、昔から醸造業が盛んで、今も営まれている地域だそうです。
 2月にもかかわらず、全国的な高気圧の下、真っ青な空、雪無しの晴天で、さすがにこれでいいのかしら?
 と思いつつ、雪除けの施された木々の見える道を散策しました。
    
            
 古い街並みを歩いて行くと、話に聞く名所が、違和感無く現れてきて、シャッターを向けるのが
 恥ずかしいくらい、今も現役の越のむらさきの醤油さん、長谷川酒造、星野味噌やさんなどがありました。
 
 
      
 機那サフラン酒本舗、吉乃川酒造資料館「瓢亭」、旧北越銀行は閉鎖されているようでした。
 
        
                      こんなレトロな床屋さんも、確かに一見の価値ありと思いました。
 
 中越地震を乗り越えて、今も続く醸造の街。
      これからも、この風情を保って行って欲しいと思いました。

上越新幹線に乗って2

とき367号新潟行きに乗って、今年も雪国へ来ました。
 
関東地方は今日はよく晴れていましたが、長いトンネルを抜けると雪国、と思いきや、
まだ晴れていてよく見ると、そこはまだ手前の上毛高原。
また長いトンネルがあり、これを抜けると確かに越後湯沢は雪国でした。
しかし、その雪はいつもの年より少なく、しばらく雪の田んぼの景色が続いたあとは、
目的地長岡は、雪は全く積もっていませんでした。
 
去年来たときは、銀世界を楽しみ、一昨年は寺泊まで雪の中かにを食べに行った、雪国は
今年はありませんでした。
 
宮内駅に降り立ち、見える東山には、まばらな雪が見えます。
ここは、あと2年ぐらいは、訪れる地。
 
    
 
南の留守宅にいる子らは、もう大人だから心配はいらないけれど、
いままでの習慣で、母の恵みを残してきました。
 

木の橋

私の住んでいるところには、川がいくつかあります。
南は海で、東と西に、わりと大きな川が海に注いでいます。それらの川は、上流にいくに連れ、蛇行したり、
何本かに枝分かれして、違う名前の小さな川になっています。
本当は、反対で、上流から流れてきたいくつかの川が集まって大きな川となり、海に注ぐというべきですが。
 
そんなわけで、私は北に向かって田舎コースで出かけるときは、いくつもの橋を渡って行きます。
大概、橋は道路の続きになっているので、別に橋を渡るというより、川を過ぎたと感じるくらいですが、
あるとき、古い木の橋が、改修工事をしている傍を通りました。そして、
橋のないありさまを見て、はじめて川の威力を感じました。今時は川は脅威ではありませんが、
川に橋がなければ、隣の市に行くことすら困難ですし、それどころか市内も、あちこち分断、孤立してしまうと思ってしまいました。まあ、そうなったときでも、私は一番広いブロックに住んでいる・・・などと、妄想にふけりました。
 
                                                         
 
 
それもこれも、古い木の橋が取り去られたのを見たからでしたが、今日その場所に行ってみると
真新しい、やはりの橋が、完成していました。木の橋だと30年で架け替えなくてはならないそうですが、
木の香りのするなかなか粋な橋なので、渡る必要も無いのに、今日は渡って帰りました。
   

3年ぶりのパン作り

パンは、今までに何回か焼いたことがあり、焼きたてのパンの美味しさは格別です。
けれども、作り初めから完成まで、時間がかかるので、必要に迫られるか、1日空いているようなときが
無いと、なかなか作れません。
 
今回は、ちょうど良い機会に恵まれ、3年ぶりに焼くことができました。バターロールを作るつもりで、
たまたま、引っ張り出したレシピが、1単位の生地を3つに分割して、3種類のパンを作るものでしたので、
バターロールだけでなく、チーズパン、野菜ロールパンの3種をを作りました。
 
強力粉500gに、塩小1をまぜ、砂糖、イースト、スキムミルク、バター、卵、水を混ぜて、
「もちっこ」に入れ20分粉ね、ボールに入れて1次発酵。
 
2時間後、3分割してまず、チーズパンを。ベンチタイムを、2次発酵を経て、
バターロール、野菜パンを順次成形、焼いて行きました。完成まで5時間かかりました。
 
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今日は、もう1つ計画があり、それは、市の基本検診を受けること。
年に1回うけられる、レントゲン、血液検査などを含む検診で、今年度は2月末までですが、今日まで延ばしてきました。
 
あと、数日、猶予がありそうですが、出掛ける日や、医院の休診の日を考え合わせると、ラスト2の日でした。
いつも、家から徒歩5分の医院で受けますが、たったこれだけの距離でも、なかなか必要に迫られないことには
後回しで日が過ぎてしまっていました。
 
そんなわけで、今朝から朝食抜きで、パンの1次発酵までを準備して検診に行き、帰ってから続きをしました。
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  余談になりますが、今回の材料は、賞味期限切れのものが、2種、賞味期限不明のものが1種ありましたが、
  自己判断でOKを出し、なんら遜色なくできました。売り物でこのようなことはできませんが。
 
パン作りと検診、なかなかできないことが同時に出来て、今日は満足です。
      

『”星の王子さま”と私』に寄す

NHK教育の『”星の王子さま”と私』の番組を見ました。
 
サンテグジュぺリの「星の王子さま」は、私の愛読書の1つですが、
この本のファンは世界に700万人以上に上るそうです。この本を好きになる人は、
静かに熱烈に好きになりますが、一方で一体どこがそんなに良かったのかわからないという人もいます。
 
今回番組で話していたのは、終始このお話の魅力に迫ることがらで、
星の王子さまファンには、とても満ち足りる90分でした。
 
一昨年ぐらいから、「星の王子さま」の翻訳が自由にできるようになったのがきっかけで、
色んな人の訳の本が書店に並ぶようになりました。私も、興味深く思っていましたが、
もう17種類くらい出ていると知り、今更ながらこの本の関心の高さを思います。
 
今回は、このことを取り上げて、様々な訳の仕方から、キーワードを読み解くことがなされていました。
それで新たに、アプリボワゼというフランス語を知りました。
直訳すると、「飼いならす」という言葉だそうですが、「絆をつける」「なつく」「仲良くなる」という意味などもあり、
キツネとの一見たわいない、しかし深遠なる会話を繰り広げる中に、何回も使われています。
 
アプリポワゼするには、相手のために自分の時間をたくさん使わなくてはなりません。
そして、アプリポワゼした相手には責任があるのです。
 キツネと関わりを持つ中から、王子さまはそのことに気付くのです。
 
王子さまバラの花への思いを軸として、人の世界への深い洞察、生きる上で大切なこと、
生きる意味などがすべて書かれています。
そして、この話のキーワードの1つである「大切なものは目に見えない」の通り、
心を働かして読まなければ何も伝わって来ない、そんな本だと思います。
読む人の心に合わせて色んなメッセージが伝わってくるのです
 
夕日の沈んで行くのは、人を感動させます。
王子さまは、自分の小さな星で、寂しくなる夕日を、後ろに椅子をずらしながら、
1日に44回見たことがあると話しています。
 
色んな訳の本、興味深く思いますが、中に首をかしげるようなものもあるのは残念です。
 
世の中に愛するものがあるなら、そのために世界は違って見えるでしょう!このことに共感される人は
きっと「星の王子さま」のお話に、無関心ではいられないと思います。

カスピ海ヨーグルト

牛乳が嫌いなわけではありませんが、お茶、紅茶、コーヒーを好む私は、
ついつい牛乳の摂取が皆無になってしまいます。
 
そんな時、牛乳で作れるこのカスピ海ヨーグルトのことを聞いて、
これなら牛乳を摂取できるかなと期待し、友人から種をわけてもらいました。2~3年前のことです。
しばらく気に入り、離れて暮らす夫や、実家の母に種を分けたりしました。
 
しかし、ピークを過ぎると全く食べなくなり、あまり置くと気持ち悪くもなるので、終了となってしまいました。
 
先日、母のところに行くと、なんと母は、まだ続いていて、毎日食べているということでしたので、
ちょっと考えた末、種をもらって帰ることにしました。しばらく冷蔵庫にいれたままにしていましたが、
ついに、種を増やすことにとりかかりました。
 
なんのことはなく、ただ種に牛乳を注ぎ、3倍くらいにして混ぜるだけですが。
12時間放置したら、なかなかうまくヨーグルトになっていました。
      
    (この容器は、三条市で購入した便利グッズです)
  
   まだ量が少ないので、さらにこれに牛乳を注いで、増やしてから食べようと思います。
   今度は、いつまで続くことでしょう??
 
 

大阪城公園、東から西へ

帰る日の朝、改修してきれいになったという大阪城公園に立ち寄りました。
 
大阪に育っても、そんなに行かない大阪城公園。子どもの頃に行った記憶は微か。
しっかりと記憶にある大阪城公園の記憶と比べても、こんなだったかしら?と思うくらい、
今回の大阪城公園には、驚かされました。
  
    
 
 
大阪環状線の大阪城公園駅を降り、東の方から西へ抜けて、地下鉄谷町4丁目までのコースを行きました。
大きな石垣の真新しい大阪城ホール、外堀、内堀、梅園、とどこをみても、以前と違う印象でした。
全体がまとまっている感じで、振り返るとビル群が対象的に立ち並んでいるのも。
  
     
 
          
 
    
 
 
  結婚して大阪を離れた頃は、東京に比べて大阪は緑が少なく、狭く、街が古びていると感じていたのが、
  年々新しいものができて、大阪もなかなか頑張っていると思ってきました。
  海遊館や、ユニバーサルその他、天王寺界隈も、御堂筋も、ビル群も年々新しいものができて、
  地下鉄も延び、実家近くも考えられないくらい変わりました。
 
  だから、大阪城公園も当然なのでしょうけれど、今回感じた
  ゆったりとした全体のまとまり、これは大阪全体の環境が整ってきたことの結果なんだろうと、
  大阪出身の者としては、嬉しい気持ちでいます。
 
        

命日のお墓参り

2月8日、父が亡くなってから4年経ちました。
昨日の命日のお墓参り、本当に良かったと思うことの沢山ある充実した、不思議ともいえる1日でした。
 
お墓には、大阪から電車とバスを乗り継いで、1時間以上かけて行きます。
バスを降り、花を買うために立ち寄ったスーパーの花やさんでふと時計をみるとちょうど父が亡くなった時刻でした。
そのとき、たまたま店内に「千の風になって」が流れ、母と顔を見合わせました。
 
本家に立ち寄るために道を進んでいくと、前から一匹の犬がやってきて、私たちを見ると尻尾をふって
何となく親しげに。犬にあまりなれていないけれど、さりげなくあしらっていこうとしたのに、相手もさりげなく、
なんとつかず離れずついてくるではありませんか。結局、本家の家までついてきて、驚いたことに
私たちより先に中に入って行きました。犬の方は、適当に追い払われてしまいましたけれど、あれは一体?
戌年で、犬が好きだった父のことをいまさらながら、母と話しました。
 
朝の予報では、午後から雨が降るということで、いつもここ一番のときには晴れる晴れ女なのに
今日は降るのかと思いつつ出かけましたが、お墓の参りの正午前には薄日がさし心がなごみました。
お墓に父はいないことは、知っていますが、母とここに来る意味はあると感じるひとときでした。
 
午後には、近くにある西国3番の札所である、粉河寺を久しぶりに観光して、
桃山時代の石の庭園などをカメラにおさめました。
 
 
 
帰り道、このお寺の門前に程近いところにある、母の姪で私の従姉の家に30年ぶりくらいに
立ち寄りました。お嫁入りした長女さんの挙式写真などを拝見し、ここの町に住む人の30年を、
ざっと感じ取れる時間でした。
駅からお寺へ続く道、よくみれば電信柱はありません。
地下のケーブル工事で何年もかけてこのすっきりした道ができたそうです。
      
 
   父の話も沢山して、帰路に着き、結局雨にあうこともなく、
   母と、ここでもしのぶ会が出来たねと話して、記念の行事は終わりました。
 
 

新幹線に乗って

今日は、新幹線に乗って帰省する日で、今車内の二人席、窓際に座って、時々窓際の外を眺めながら携帯を手にしています。 今日は多分、3月末の気候ではないでしょうか?暖かいばかりでなく、光がきらめき、空が霞んでいます。それでせっかく楽しみの富士山も三島で、幽霊のようにかすかにみえたきり、いつの間にか富士川鉄橋を過ぎていました。静岡を過ぎて暫く行くと大きな川がありハッと見ると、それは大井川でした。今日は、ひかり自由席がら空きで、なかなかのんびりできます。せっかくだから、デジカメを構え、時速200㌔からの撮影を試みましたがアップは来週になります。 私の人生のいろんな場面によく登場する東海道新幹線、静岡ー糸魚川線をぬけたら、関西圏です。ちがうモードでまた数日暮らしましょう。 便利な時代を楽しみながら、感謝して。もう名古屋に到着です。

ピアノの思い出

家には、アップライトピアノが1台あります。
娘二人が、社会人になった今も(下はこの春から)、時々弾きます。
どちらも音楽家ではありませんが、趣味の範囲で楽しみ、仕事にも生かしています。
でも、実はこのピアノは、娘の音楽教育のために買ったものではなく、
私が結婚の際に、持って来たものです。私のものだったからですが、
その時点でまだ新しく、私はバイエルの次の段階の途中ぐらいで、かつてよく目標とされた
『エリーゼのために』もどうにかこうにかというところでした。
 
子どものころ、ヤマハ音楽教室のオルガンコースに2年間通ったことがありました。
このタイプの習い事のはしりだったかもしれません。このコースが終了したとき、次ピアノコースへ進むかというところで、
ピアノに進むならピアノを購入しなければなりませんが、そのときの住宅事情、家のようすからして進ませてとはいえませんでした。
ショックなことに、場所ふさぎと言う理由で、そのときあった電気オルガンも他に譲ることになってしまったのです。
 
年月がたって、皮肉なことに私が進学した先のカリキュラムにピアノが必要で、
10年以上たって、親の考えも家の状況も変わっていたせいか、
新品のピアノを今更のように、買ってくれたのでした。
確か、父が「今買っておくと、お嫁入り道具にもなる」??と言っていました。
 
そして、その言葉どおり、お嫁入り道具に持ってきて、
当然のように、娘達にピアノを習わせることができました。
 
趣味のスタンスで、長く習い続けてくれました。ほかに、いくつか習い事をしましたが、
娘達に一番感謝されているのが、このピアノの早期教育です。
 
教育は一代ではできないということを、あらためて実感します。
父は、深い意味はなかったかもしれませんが、
父のピアノ、とても役立ち、「今も娘達が名曲をいっぱい弾いてくれていますよ」と、
心の中で語りかけています。