84歳になった母は、足が不安定なほかは全く衰えたところはなく元気でした。ただ足元だけは本人も不安を隠せず、そのために今回、関東行が延期になったことも、それはそれでホッとしている風でした。
命日の和歌山行は、あいにくの雪天の予報で、大阪の家を出るときは薄日が射してきていましたが、熊取から粉河へ走るバスで山を越えると、向こうは雪景色になっていました。例年通り、父の実家、お墓参り、母の実家へと3か所に立ち寄るフルコースをして戻りました。
毎回のことながら、2軒の実家の人々の何とも言えない温かみを感じました。
父の実家では、昭和5年頃のモノクロの写真、実家の庭で父の兄弟4人とその従妹二人(5歳から中1の子どもたち)が写っている写真を見せてもらいたくさん焼き増したからと1枚いただいてきました。写真の子どもたち6人のうち4人はこの10余年で故人となっています。
母の実家は、母の兄夫婦が高齢ながら変わらず暮らす大家族です。と言っても孫世代はそれぞれ嫁いで今は子世代との4人の暮らし。最近母の兄は肺炎がきっかけで歩行が困難になり、足の丈夫な奥さんの方は物忘れが激しく認知症を疑われています。それでも、それを支えるお嫁さんの穏やかで自然なふるまいに感動すら覚える思いがしました。
父が亡くなってちょうど10年、和歌山に分家のお墓を持てて以来、ずっと続けられる母のお墓参り。母の頑張りをあたたかく見守ってくださる実家の人々に感謝です。