月別アーカイブ: 2008年12月

元日に

      
 
             
 
  2009年になりました。2000年を迎えるまではひと騒ぎでしたが、早いものです。
 
  10年ひと昔といいますが、確かに1999年と言う年は、かなり前のことになりました。
  自分のことをふりかえっても、そのときは京都におりましたし、娘たちも中高生でした。
 
  その後、世の中は急速にIT化してパソコン、携帯がどんどん普及していきました。
  愛用のワープロが故障して、パソコンに切り替えたことは懐かしい思い出です。
 
  その後、ブログにも巡り合って・・・。10年前には予想もしなかったことです。
  パソコンは、便利で、楽しみを与えてくれるものですが、それと引き換えにかなりの時間を
  差し出さなくてはなりません。そのことに気づいた時は、すでに手放すことなど考えられなくなって、
  これと付き合っていくしかありません。
 
  そんな風に、世の中も変わってしまいましたから。
 
  今年は、変化の年。ひとつ、ひとつの時を大事にして過ごしたい。
  多分今年は、記憶に残る場面が多い年になると思います。
  そして、そのいくつかのシーンを、このスペースに残せたらと思います。
 

チャリティーコンサート

毎年12月26日に行われる、青少年のためのチャリティーコンサートに
今年も行ってきました。
 
毎年、同じパターンで行われますが、演奏は超1流に思います。
途中20分の休憩をはさみ、2時間位。
 
ピアノと、チェロと、ビオラとバイオリン、それにソプラノ歌手の総勢5人が、
組み合わせ色々に、演奏を繰り広げます。
 
場所も毎年、川辺に立つホテル併設のチャペルのこじんまりとした会場。
ステンドグラスの窓と、パイプオルガンのある舞台が雰囲気をあげてくれます。
 
     
 
プログラムもよく考えられていて、よく知っている曲目を間みつつ、
本物をすべて、コンパクトに味わうことができます。
オペラの1場面や、ミニオーケストラ仕立てで、1楽章、4楽章を聞かせてくれたりと。
 
ピアノを演奏する方が、司会をとっておられ(男性)、今回は、「乙女の祈り」を
弾いて下さいました。娘たちもよく弾いていた楽曲でもあり、聞きなれた曲をじっくり聞くのも
いいものと思いました。
 
小中学生が親子で音楽を聴きにくる光景には、ホッとさせられるものがあります。
生で近くで聞く本物の音楽は、きっと子どもの心に良い感性を育ててくれるのではと思いました。
 
コンサートが終わり、外に出ると、今年はまだ黄昏どきで、遠く富士山のきれいなシルエット、
ホテルのイルミネーションも新しくなったかしら?
 
     
 
          
 
このコンサートを聞くと、ようやく今年も大詰めと言う気分になります。
大寒波が押し寄せて、日本海側からは吹雪の便り、冬本番の年の瀬です。
 
 
 
 

リフォームで湯たんぽカバー

整理に明け暮れる毎日、色んなものに出くわします。
こんなもの、とってあったんだと思うものや、こんなところにしまってあったのかと懐かしくなるものなど。
 
でも、もう使わないものは処分、ここで思いきらないとまた、場所ふさぎなだけだから。
 
そんな忘れていた中から出てきたのが、新婚当時、着用していたガウン。
年数を経ていますが、さすがピエールカルダン製とあって、縫製がしっかりしています。
 
服の資源ごみに十分出せますが、ちょうど湯たんぽカバーを作りたいと思っていたので、
善は急げ、早速作ることにしました。
どこを使おうかとガウンをまじまじ見ていると、腰から下辺りは、そのまま膝かけにできるのでは?
と思い、それ以外の場所をさがしました。
 
結局、両袖を開いて、袖口のラインもポイントに、割とかわいく出来ました。
あまり手間をかけずに、裏付きの湯たんぽカバーの出来上がりです。
 
         
 
膝かけの方は、ガウンのベルトを縫いつけて、なんとか使えるようにしました。
 
      
 
 
思い出のガウンが、再利用され嬉しい気分ですが、
もう1点、以前再利用の布でパッチワークした、夏布団は、変色が酷くなっているので、
燃えるごみで捨てることにしました。何となく、惜しい気分。
そこで、思い出にと写真にとっておくことに。
 
        
 
「捨てるものから、捨てるものを作らないように」と言われた教訓、今しみじみと・・・。

12月の食の幸

12月に入ってから、いくつか特記したい食べ物があります。
それぞれに、つながりはありませんが、わけあって出会ったものたちです。
 
まずは、新潟産 「ルレクチェ」
 
 洋ナシの1つですが、よく出回っているラフランスより大きくて、
 その分、実がたっぷりジューシーに味わえます。
 
        
            
       絵心薄いながら、絵になる~ と思ってしまう。
 
 
 「ゆず」
 
  小さなゆずにくらべて、何十倍もある大きさ。
  ママレードにできると聞いて、いただいてきました。
 
 
        
             
                         ゆずジャム、3瓶も出来上がりました。
 
 
 「黒豆」
 
  今年は、丹波ではない黒豆を500gくらい買いました。
  1年に1回なので、また1から手順どおりやりましたが、とろ火で7,8時間のところは
  そうだ!と思って、鍋帽子Ⓡを使って、保温調理で作りましたところ、大成功でした。
  中タッパ4個分できて、3個は冷凍保存しました。
 
    
         
 
そういえば、以前とろ火加減を失敗して、カラメル黒豆になったことがありましたが、
今回は、保温調理でうまくいきました。反対に、今度は煮汁が、1ℓくらい余ってしまいました。
さすがに、捨てるのはもったいないので、活用法をネット検索したら、やってみようと思うのが2つありました。
 
ネット検索と言えば、娘のいただきもの「葉付き大根」の葉っぱの活用も
いっしょに調べてみましたところ、こちらも沢山出てきました。
 
    
 
ただでさえ忙しい年末に、食の方も何やら活気づいてきて、
24時間では足りない気分になっています(休憩時間もたっぷりいる方なので)
 
 
 

整理ーはじめの一歩

年の暮れ、押し詰まるこの頃です。
 
今年の初めには、今年こそ、ものの整理を1年かけてやりたいと思っていましたが、
振り返ってみると、実行できたのは夏場の数日間だけで、あとは日常に追われる日々でした。
 
ものの整理ー思い起こせば、新婚間もない頃に遡ります。
そのときも、ごそっと入れた荷物を毎日毎日片付ける日々。
早く、片付いた部屋で、ゆっくりとつろぎたいと思いながらせっせと収納していましたが、
1日の早いこと・・・片付けだけに全部の時間を使うわけでなく、その間に、当時は慣れない食事作りなどの
家事で忙しく、生活していると、側からまたゴミやら、整理すべきものが出てきます。
 
そんなわけで、整理もある程度、とりあえず、程々の線で行い、1週間後には、何とかスペースが出てきて、
1ヶ月後ぐらいには、大体収まったように思います。
 
その後、家の買い替え、転勤による引っ越しなどで、3回転居しましたが、
経験をふまえて、その機会にものの処分をなるべくするようにはしてきました。
しかし、毎回見過ごされてきたこと、しかも、機会を逸するとあとからは、再び取りかかれなくなることを、
いつも見過ごしてきました。
 
それは、ものの整理収納です。
とりあえず・・・は、そのまま定着してしまうことであることは、いやと言うほど経験しましたから、
今回は、時間をかけてもいいから、すっきりとした整理収納を実現させたいと思っています。
 
年末になってしまいましたが、今年の目標のものの整理に再び取りかかりました。
単身赴任の夫が戻るスペースを作るという必要性から、本、カタログ、パンフ、購読誌、ノート類、書類、
趣味の道具類の整理からとりかかりました。
 
1、まず全部を取り出す。
2、物を減らす
3、整理、分類
4、収納場所を決め、収納
 
昨日は、1を行い、3つの部屋に物が散乱しましたが、続きはまた明日と言うわけにはいきません。
ある程度目どをつけて、借り収納し、もとの部屋に戻しました。
 
ものを減らすにあたって、何を切り捨てるか・・・
この頃の方針としては、印刷された本やプリントよりも、手書きのノートや、メモを重視しています。
といっても、そっくり残すわけにはいきませんので、ノートなどは、残したい部分を切り抜いて、
ダイジェストできるように、新しいノートに貼り付けて行く作業をしはじめています。
 
      
 
パンフレット類は、同じものは1つだけ残し、地域別にポケット収納しました。
京都と、新潟は入りきれないものがでましたが、何とかコンパクトに収まりました。
 
       
 
同じやり方で、購読誌などの切り抜きも分類しました。
もっとも、近年は1年分を1冊に編集しなおしたりしたりもしていますが、これも10年分、10冊ぐらいになりかかっていてどうするか考えるところです。
 
         
 
 
 
 

託児ルームで

今日の朝9時に、公民館の託児ルームにいました。
1人お子さんを預かることになり、頼まれて来たのです。
 
ゆうたくんが9時半に来るまで、子ども用の椅子に腰かけて、
沢山並んだ絵本の中から、3冊の絵本を読むことができました。
 
以前好きだった作者のもの、以前読んだけどどんな話か忘れたもの、以前題名だけ興味を持ったけれど読まなかったものです。
 
「うみいろのバケツ」立原えりか
 昔、この人のメルヘンや詩が、好きだったので手に取りました。
 
 女の子の青いバケツには、かにや、やどかりや、さかななどが毎日お泊まりして遊びに来ますが、
 ある日波の娘が来てからは、娘がバケツに隠れたまま毎日なみのしずくでドレスを編み始めます。
 そして、ある日とうとう出来上がって、美しい姿であらわれ波の向こうへ、消えて行く。
 青いバケツの底に、きれいな青い貝殻を残して。
 
 相変わらず、メルヘンの住人にしか見えない世界、心が描かれていて、今の私には消えかけの虹を見るような印象でした。
 
「100万回生きたねこ」佐野洋子
 紹介文によると、大人向きの内容。大人が感動するものは子どもにとってもいい絵本ということです。
 内容を忘れていましたが、読んでいくうちに以前読んだことを思い出しました。
 
 100万回生きたねこは、100万回死んだ経験を持つねこで、いつも飼い主とその環境が嫌いだった。
 このねこはいつも自分のことが一番好きだったのです。ところが、念願かなって、のらねことなって
 楽しく生きていたときに、白いねこのことが好きになり、家族を持つようになると、その家族のことは、
 自分よりも好きだと感じるようになり、白いねこが死ぬと悲しんで自分もその横で死んでしまう。
 そして、もう2度と生き返らなかった。
 
 今一、不可解さが残るものの、愛するものを持った生涯は、自分のことが一番好きだったときの100万回の生涯を寄せ付けない、二つとない生であると感じさせられました。
 
「葉っぱのフレディ」レオ・バスカーリア
 哲学者である作者が、生涯に1冊残した絵本だそうです。
 (実際は、教育学者で、少なくともあと2冊は絵本を残しているということがわかりました。この本数年前に、その誤訳について、ひと騒動起こした本のようです)
 
 フレディは、もみじの葉っぱのようです。春にたくさんの仲間と共に生まれ、太陽の光や、雨や風を受け、
 色んな時を仲間と共に過ごします。秋が来て、きれいな色に紅葉し、そして冬が来て去って行く。
 経験したことのないことはこわいけれど、すべては変わっていくものだからこわいものではない。
 雪の上に落ちて行く時フレディは、木全体を初めて見て、自分は木の一部であることを知る。いのちは、
 終わらないことを。
 
 まさに、人が生きる意味は?の問いかけを、葉っぱのフレディに託したお話。人は、その役割(使命ともいうべき)を生きることの中に、幸せを味わえるように定められていることを教えられます。
 
 朝から、託児ルームで、しばし濃い時間を過ごしました。
 
 

12月2日の夕暮

12月に入っても、まだしばらくは比較的暖かく、お天気の良い日は
紅葉に彩られた街路樹が、早い夕日に照らされて、しばし足を止めたくなる風景が広がります。
 
 
                      
 
  この日の帰り道には、木々の枝払いや、冬支度の様子が見られました。
  (MSNどういうわけか、写真1枚しかアップできませんが)
 
   この後、家に帰ってからです。夫の母の急変の知らせがあったのは。
   いつかはと思っていることでも、その日というのは突然にやってくるものです。
  
  ここ数日は、故人の思い出を、家族で、親族で回想する日々を送りました。