日別アーカイブ: 2008年12月12日

託児ルームで

今日の朝9時に、公民館の託児ルームにいました。
1人お子さんを預かることになり、頼まれて来たのです。
 
ゆうたくんが9時半に来るまで、子ども用の椅子に腰かけて、
沢山並んだ絵本の中から、3冊の絵本を読むことができました。
 
以前好きだった作者のもの、以前読んだけどどんな話か忘れたもの、以前題名だけ興味を持ったけれど読まなかったものです。
 
「うみいろのバケツ」立原えりか
 昔、この人のメルヘンや詩が、好きだったので手に取りました。
 
 女の子の青いバケツには、かにや、やどかりや、さかななどが毎日お泊まりして遊びに来ますが、
 ある日波の娘が来てからは、娘がバケツに隠れたまま毎日なみのしずくでドレスを編み始めます。
 そして、ある日とうとう出来上がって、美しい姿であらわれ波の向こうへ、消えて行く。
 青いバケツの底に、きれいな青い貝殻を残して。
 
 相変わらず、メルヘンの住人にしか見えない世界、心が描かれていて、今の私には消えかけの虹を見るような印象でした。
 
「100万回生きたねこ」佐野洋子
 紹介文によると、大人向きの内容。大人が感動するものは子どもにとってもいい絵本ということです。
 内容を忘れていましたが、読んでいくうちに以前読んだことを思い出しました。
 
 100万回生きたねこは、100万回死んだ経験を持つねこで、いつも飼い主とその環境が嫌いだった。
 このねこはいつも自分のことが一番好きだったのです。ところが、念願かなって、のらねことなって
 楽しく生きていたときに、白いねこのことが好きになり、家族を持つようになると、その家族のことは、
 自分よりも好きだと感じるようになり、白いねこが死ぬと悲しんで自分もその横で死んでしまう。
 そして、もう2度と生き返らなかった。
 
 今一、不可解さが残るものの、愛するものを持った生涯は、自分のことが一番好きだったときの100万回の生涯を寄せ付けない、二つとない生であると感じさせられました。
 
「葉っぱのフレディ」レオ・バスカーリア
 哲学者である作者が、生涯に1冊残した絵本だそうです。
 (実際は、教育学者で、少なくともあと2冊は絵本を残しているということがわかりました。この本数年前に、その誤訳について、ひと騒動起こした本のようです)
 
 フレディは、もみじの葉っぱのようです。春にたくさんの仲間と共に生まれ、太陽の光や、雨や風を受け、
 色んな時を仲間と共に過ごします。秋が来て、きれいな色に紅葉し、そして冬が来て去って行く。
 経験したことのないことはこわいけれど、すべては変わっていくものだからこわいものではない。
 雪の上に落ちて行く時フレディは、木全体を初めて見て、自分は木の一部であることを知る。いのちは、
 終わらないことを。
 
 まさに、人が生きる意味は?の問いかけを、葉っぱのフレディに託したお話。人は、その役割(使命ともいうべき)を生きることの中に、幸せを味わえるように定められていることを教えられます。
 
 朝から、託児ルームで、しばし濃い時間を過ごしました。