月別アーカイブ: 2006年5月

食パンで作る軽食

用事があって家を空けるとき、家族のためにお昼を作って出かけます。
その中で、長年飽きられずに定着している一品があり、今日もそれを作りました。
 
食パンを使って作るメニューですが、ちょっと工夫されていて、口に美味しく栄養たっぷりのメニューです。
 
材料、  食パン      1枚(6枚切り)、
      スライスチーズ  1枚、
      卵        小1個、
      ピーマン     4分の1個、
      ハム       2分の1枚
 
作り方、①食パンの内側をスライスチーズくらいの四角にくり抜きます。
     ②ピーマン、ハムはそれぞれ千切りに。
     ③フライパンにバターとオリーブオイルを入れ火にかけます。
     ④熱くなったら、くり抜いた外側の食パンを置き、くり抜いたところに
       ピーマンとハムを入れ炒めます。
     ⑤塩、こしょうで味付けをして、溶き卵を入れ固まるまで混ぜ、
      固まってきたらスライスチーズを載せます。
     ⑥くり抜いた食パンで蓋をしてフライ返しで押さえて固め、
      ひっくりがえして反対側も焼いたら出来上がり。
 
この、メニューは、子どもが幼稚園の頃、PTAの催しでさるメーカーから来てもらって教えていただいたものですが、長く我が家で作られ, 定着したメニューとなっています。
 
それと、今日はもう一品食パンを細く切って、オリーブオイルを熱したフライパンで焼いて、グラニュー糖をふりかけて食べる、簡単ラスクもどき作りました。
 
どちらも、高カロリーなのでさっぱりした紅茶でいただくとよいと思います。                      

ある風景

私が集まりに出かけるとき、よく自転車を走らせる道は、何通りにもある道の中で速くて安全に行ける道を検討して探し出したルートです。
見晴らしの良いところや川沿いを走っていくので、ここ数年気に入って走っています。
四季折々の変化も楽しめる道です。
 
その中のある家の前に、黒と白の番犬がいつも座っていて、それがなかなか様になっているのですが、実はそれは陶器でできた作り物です。
それは見ればすぐわかりますが、実物と等身大に出来ているものだから、それとわかりつつ、やあ!とか思ったりしながら通り過ぎる見慣れた風景でした。
 
ところが、数ヶ月前位からその犬がいつもの定位置ではなく、あきらかにチョット離れた隅に置かれるようになってしまい、それだと番犬の威厳がチョット下がるなあと感じていました。あくまでも、通り過ぎるときの一つの風景として心によぎっていただけですが・・・。
 
それが、今日そこを通るとき、なんとその犬は横倒しに倒されて、廃棄物のようになっていたのです。
少し欠けたところもあり、陶器の犬だから古くなり、欠けてしまったら仕方ないのかもしれませんが、何も、通り道の目にするところにそんな風に倒さなくてもと思います。
 
なんだか、無常を感じさせる風景ではありました。

スタートライン

暑かったり寒かったり、気候不順とぼやきつつも、季節はゆっくり変化してきているようです。
いつのまにか、コートはいらなくなりストーブともおさらばしていました。・・・といいたいところなのですが、寒い日のためにと買い増しした灯油がほぼ一缶くらい余ってしまい、次のシーズンに持ち越すとよくないので、あと2,3日寒い日があればと思っていたのですが、最近そろそろそんな日は秋まで来ない気がしてきました。(22℃設定で、朝、晩に少し燃焼させるのですが、3分くらいで消えてしまう)
 
今週は、外出の予定が毎日あり、とてもスピーディーに朝の時間が過ぎます。
そして、移動時間には、家にいてはわからない自然の美しさを目にして、デジカメを持ってくればよかったと思う日々を繰り返しています。
沢山の人との交わり、人間模様に消耗しつつ、慰められる日々でもあります。これは、多分幸せなことと思っています。
 
私の親世代は、徐々に高齢になりつつある世代で、その人たちとの会話には、共通してひとりであることの悩みが聞かれるからです。考えてみれば、人はいつも、1人を背負って生きているものですが、人生の最終ラウンドをどのような思いで生きていくか、考えさせられることです。
 
昔見た人気ドラマ「金八先生」シリーズで、スタートラインという主題歌がありましたが、この中にやや気になる歌詞があり、これってどういう意味?と子ども達と話し合ったことがありました。
 「今私たちに大切なことは、愛や夢を語り合うことじゃなく、ひとりぼっちになるためのスタートライン」
この歌の、意味が再び気になるこの頃です。
 

セーラの心

ぐずつく天気が長引いています。
一たび外にでれば、初夏に向かって着々と準備を進める草花に出会え、心癒され励まされもします。そして、今を盛りと咲きはじめたパイロットの薔薇は、またこの季節が訪れたことを知らせてくれているようです。
 
セーラという名前は小公女セーラにあやかりたくてつけたものです(私の好きな児童書の主人公。携帯の着メロは、このアニメのオープニング主題歌、さびのメロディーを使用)
 
お気に入りの主人公、お気に入りの物語は沢山ありますが、
その中でも、この人、このお話が何故そう思わせるのかを考えてみました。
 
セーラは、自分が裕福なときも、どん底のときも変わらない強さを持っています。
原作を読むと、セーラは色々なことを、空想して楽しいお話として話すのが得意な少女として描かれています。
超一流お嬢様として育ったおいたちは、善の部分だけに作用していて、その後に逆境が訪れても、決して悪い方に染まることがありません。
プラス思考がいつも彼女を包んでいて、そのためにどこにいても、彼女のいる場所が希望のある場所となっています。
 
彼女を支えるプラス思考、これがどこから来るものなのか?私には、セーラが自分より弱い立場の人をいたわる優しい心を多く持っていることに大きなヒントがあるように思います。
 
主題歌の作詞者、なかにし礼さんもその辺をよく知ってか、2番のさびでは、「私だって幸せほしいけど、ほかにもっと大事なことがある。それが、愛かやさしい心かは生きてみればわかると思う」
詠っています。
 
また、最近読んだ雑誌からも、カギとなる言葉を見つけました。
「わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです。」(ヨハネの手紙Ⅰ、3章14)
 
他者への愛、これは自分の命のためにとても重要なことであることを覚えていたいと思います。
 
P.S.アニメ「小公女セーラ」のファンが、他に沢山いらっしゃることは、ホームページセーラ博物館を見つけたときに思いました(私は一回も書き込んだことはありませんが)

日曜日、読んだ本

 もうすぐ、話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」が世界同時上映される日が迫っていることもあり、テレビを初め、いろんなところで前宣伝が盛んです。
 
2年前に書店にこの本が売り出された時も話題となり興味をそそられましたが、映画化されるとなって再び話題に上るようになり、これの文庫本や関連する本が、ここぞとばかり書店に並べられているのを目にして、遂に映画を待たずに読んでしまいました
 
以前、これの関連番組をテレビで見て、キリスト教にまつわる秘密や、レオナルド・ダ・ヴィンチの実像などのことを聞いていたので、それが絡むすごい内容が書かれているのだろうか?と思いめぐらし
キリストの生き方に心を寄せ、希望としている者としては、気になるけれどなんだか怖い気持ちでもありました。
 
しかし、読んで見ると、話そのものはダ・ヴィンチにあやっかた推理物語がパリ、ロンドンを舞台に展開されているもので、映画を目の当たりにしているように楽しめました。
強面の警部、主人公に相応しい風貌の男と女が登場し、一件落着まで1日たらずの時間経過の間に膨大な量の謎解きと、キー・ストーンを追い求める目まぐるしいアクションが用意され、
黒幕は、やはりえっ!と驚く人物であるという展開は、昔読んだ推理小説のパターンでした。
 
そして、膨大な資料を駆使し実在のもので話が進んでいく見事さは、最後のページまで飽きさせないが、ついに肝心の謎は心の中にしまわれる形で完結します。
 
フィクションでありながら、この話全体が何か隠された二重の意味を持つのではないのかと感じさせる冒頭の言葉、
「この小説における芸術作品、建造物、文書、・・・に関する記述は、すべて事実に基づいている
これが、この話をただの推理小説として片付けさせないのかもしれないと思いました。
 
映画では、どんな描き方がされるか楽しみです。

自転車での転倒、その後

転倒の傷は、すぐに外科に行って処置してもらい大げさに包帯を巻くなどしてもらったおかげで、もうあまり不自由を感じないほどになりました。傷は濡らすのがよくないそうで、指の怪我でもあったので家で中途半端に傷絆等で済ませていたら長引いたことと思います。
 
ゴム手袋を何種類か、今回の為に購入しましたが、きっちりゴムでとめて水が入らないようにしても、お風呂などでは蒸気が入ってくるからか、すっかり濡れてしまいます。
指をミトン状に包帯を巻かれたせいもありますが、お医者さんの指示に従い、3日間くらいお風呂に入らないでいたのが良かったと思っています。
 
同時に自転車にも乗らず、歩きとバス、買い物も持てる範囲という暮らしをしばらくして、地面をしっかり踏みしめることや、少しスローに時を過ごすことをすることで、体の方も、ゆとりを取り戻すことができました。
 
一体、何を急いでいたのだろう?そのために、心も体もバランスが狂っていました。
実は、急がなければならないようなことは何もないけれど、いたるところで、無駄な時間を費やしてしまって、それを取り戻すためにスピードをあげてしまうのです。
 
夕飯の支度については、2,3日は惣菜を買うことにしましたが、スーパーの惣菜コーナーをぐるぐるまわって四苦八苦して選びました。近頃はメニューも増えて豊富にあるだろうと期待していましたが、あるものは限られていてまだまだ家での調理の重要性を感じました。
 
うちには、自動変速の自転車が1台ありますが、これは、漕ぎ手はコンスタンスにペダル漕ぎをしていると、自転車の方が場所に合わせてギアを変えてくれるという自転車です。
いつも自力でペダルを踏むのに慣れている私は時々これに乗ると不思議な感触に戸惑っていましたが、今回の心境の変化でこの自転車にも少し親しみを覚えています。

ゴールデンウイークが終わって

ゴールデンウイークがようやく終わり、また日常が戻ってきました。
家庭人にとっては、いつもとさして変わらないところも多いはずですが、世の中全体が休日モードということの影響はなかなか大きいと思います。
こんなことではいけないのですが、起床時間なども平日より2時間後にずれそれにつれて就寝時間も遅くなり、それをまたもとに戻すわけですからなんだか体がすっきりしないわけです。
 
ゴールデンウイーク最後の昨日は、お天気が悪かったこともあり1日家で過ごし、冷蔵庫にクリームチーズと生クリームがあったのでチーズケーキを作りました。チーズケーキは家族みんな喜ぶこともあって時々つくりますが、作り方、配合が色々あることにこの頃関心がいってます。
 
レアーチーズケーキの方はちょっとおいておくとしても、私がよく作るベイクドチーズケーキでも、クリームチーズ200~250gに対して、卵が1こ、2こ、3こと色々違った配合のレシピがありますし、作り方も全部をミキサーでまわすのもあれば、黄身と白味を別立てするのやら色々です。どのやりかたでもまずいことはありませんが、やはり手をかけると深みが増すというか格別の味になるようですが。
今回は、そこにバターとビスケットを混ぜた台を敷いて、チョット凝ってみました。
 
作る時間が夕飯に接近していたこともあり、紅茶で満足のひとときは、今日に持ち越されましたが、
何と今日は、出先から帰る途中に自転車転倒アクシデントを起こしてしまい、気分がガクンと下がってしまいました。左手の指と膝の軽い負傷で終わったのは幸いでしたが、油断大敵と自身を戒めています。
 
 
 
 

5月の庭

新緑がきれいな季節の例に漏れず、我が家のあまり手の入っていない小さな庭スペースも、にわかに活動し始めたと思ったら、日一日ぐんぐんと、あっというまに上も下も茂り始めてきました。
 
毎年のことながら、初めのうちはこの躍動感に感激し、木の芽、草の芽すべてを愛らしく思うのですが、だいたいこのゴールデンウイーク前後になるとそれが急に危機感に変わります。
 
月桂樹は、昨年の暮れに、剪定しそこねたことにお構いなく枝を伸ばし始め、ほとんど切りまくったアジサイも葉が一杯出ました。地面には、どくだみを優先させたので地下茎でどんどん広がり、可憐なすずらんはどこにあるのかわからないありさまで、隣家との路地スペースも一面どくだみです。
 
連休後半、私は意を決して、やはり月桂樹をなんとかしなくてはと思い、下から届くかなり太い幹を切ることにしました。ドスン音をたてて、真下に落ちた幹と切り痕。その後、もう1つは夫が脚立に登って切ってくれました。
どちらの幹も枝の頃にためらったばかりにこんな大きくなるなんて、まるでバオバブのようです。
今回の思い切った剪定?で、随分見通しがよくなりました。
 
これから、6月にかけてアジサイくちなしどくだみの花が咲いて、我が家では、いちばんきれいな季節を迎えます。そんなことを考えつつ、もうちょっと手をかければ、夏から、秋にかけても素敵な庭になれるのだから、今年は少し何か種を蒔いてみようかと考えています。
 
朝顔ホウセンカは、むかしの種があったはず。お店でよく見かけるラベンダーも少しねらっていrます。
 
 忙しくなると、花をよく見てあげられなくてうっかり枯らしてしまう私だけれど、
自然の雨だけで育ってくれるものをという考えはちょっと改めてみない?との囁きが感じられるこの頃です。
 

ハイキング記念日

いよいよ今日から5月。
風薫る新緑の季節と思いきや、一足飛びに今日は、真夏日になったようです。
 
家族で出かけることは、前々から計画しなければなかなか日程が合わず適わない場合多いのですが、今回は、たまたま今日みんな日が空いていることがわかり、運動を兼ねて近場のハイキングに出かけることになりました。
 
登山口の近くの量販店の駐車場に車を止め出発しました。いきなり、階段状の上り坂20分で、一挙に市街を見渡す場所まで登り、眺望を楽しんだ後、尾根続きのハイキングコースを電車の駅にして二駅分歩きました。
途中、羊がいるところで黒い顔の羊に草をあげたら、遠くから白い顔の羊がやってきたりしました。
少し下ったり、また登ったり、木々の間の道をどんどん行くのは、近頃では新鮮な体験でした。
近場でこんなハイキングが楽しめるのも、新たな発見です。
 
到着したところには、温泉宿が立ち並んでいて、そのうちの1つは「千と千尋の神隠し」にでてきた湯のモデルになったところだそうです。そして、そこにはトトロの木もあるということで、この辺って、宮崎駿さんのイメージの中にある場所なんだとあらためて実感しました。
 
木立の中を歩くとき、やわらかな木漏れ日の中、ある時は猛烈な風が吹いたり、蝶や蜂や蟻が忙しそうにするのに出会いました。先日DVDでみた「ハウルの動く城」の空中散歩のメロディーが頭の中で回っているのを感じながら道を行き、日常とは違う時間の流れと心地よい疲労感に満足して帰ってきました。