その日は、午前中は外出していましたが、午後1時には家に戻り、少し遅いお昼を済ませ食後のくつろぎも終え、食器を洗っていましたら、パソコンをしている夫が、「あっ、揺れている」と言って、私も少し揺れているのに気付きました。
いつもの、軽い地震と思っていたら、だんだん大きな揺れになり、パソコンとテレビが突然切れました。中越地震の経験のある夫は、おもむろに立ち上がり、柱のとこへ。私は、迷いましたが、やはり夫と同じ所へ移動しました。その直後、かなり大きな揺れを感じました。
阪神大震災の時、京都市右京区にいて体験した直下型とは、ぜんぜん違う、実に不気味で大きな揺れ。静かに家を倒すのでは?という恐怖感が一瞬よぎりましたが、それ以上にはならず、一旦収まりましたが、短い間隔で、余震が2,3回はその後もありました。
早い時期に停電したので、テレビからの情報は遮断され、私は携帯ヤフーを、夫はラジオをつけたので、東北の方の大きな地震で、ほどなく津波の警報が出ているのを知りました。その警報が、東北の方では10mというのを聞いて度肝をぬかれましたが、家の近場でも広報車が走り、3mの警報が出ていることを知りました。海辺の保育園で勤務している長女のことがとても心配になりました。多分避難しているだろうと思いましたが。
その後は、ラジオと広報車の声に耳を傾ける時間がしばらく続き、停電が復旧してくれることを期待しましたが、日没が近づいたので、明るい間に必要なものをそろえるべく行動し始めました。
まず、揃えたのが懐中電灯。3台、用意できました。古い非常時持ち出し袋を持って来て、中を点検。そこのラジオと懐中電灯は使い物になりませんでしたが、非常用ろうそくを見つけ、これがあとで活躍しました。
その他には、カセットコンロとボンベ。昼の番組で、カセットコンロの事故の例を聞いたばかりなので、あまり使いたくはなかったのですが、家は2年前にオール電化にしたので、やはり使うしかありません。慎重にボンベをセットして、着くか確認しました。
それと、もう1つ、物入れをあさって見つけたのが、アナログの電話機。停電と同時に、コンセントにつないだ今の電話機は、全く使えない状態でしたが、昔の電話のジャックをつなぐだけの電話機なら仕えるだろうとの思いがあったので、探し出しました。やはり、これは使えました。あとで、大阪の実家と、停電していない長女宅に電話出来ました。
そして、とうとう日没です。まず、ろうそくに火を付けて、食卓に真ん中に置くと、暗いながら動ける明りが確保できました。部屋の移動は懐中電灯でします。
次女の帰りを待って、カセットコンロでご飯を蒸し、ソーセージをゆでて、後はバナナなどを食べてしのぎました。
暖房はできないので、ダウンジャケットを着て、ゆたんぽを用意しました。
そんな感じで、早々に就寝しましたが、未明の4時前ごろ、次女が突然起きだして1階へ。1階のテレビが大きな声をだしたので、目が覚めたということでした。ようやく、この時間に復旧したので、朝はいつものようにできるとわかってホッとしました。
その日は、朝から、テレビに映し出される映像、1日中流される被災地の様子に、改めて言葉をなくして見続けました。
14日からは、輪番停電があると聞き、東電のホームページで確認しましたが、同じ地区でも2つに分かれていて、そのどちらかかは明らかではありません。家は2グループか、5グループで、2グループだと9時20分~13:00と18:20~22:00.5グループだと15:20~19:00というところまでわかりました。いづれにせよ、朝は大丈夫そうなので、とりあえず9時20分までに家事を終えようと思います。
先の停電を振り返る限り、夜の停電は厳しいことが予想されます。自主節電がなかなかできない私たちの正念場かもしれません。明るいうちにしっかり、先手仕事で対処したいものと思っています。