月別アーカイブ: 2007年9月

えちご長岡ツーデーマーチ

9月29日、30日、二日間、新潟県長岡市で行われたウオーキングに参加しました。
これは、正式には第2回中越復興フェニックスマラソン&ウオーク2007のイベントの1つです。
昨年第1回目の山古志ウオークに参加したので、今年の案内を早めに知ることができ、
このツーデーマーチに参加することにしました。
ツーデーということで、1日目は、良寛の里として知られる、わしま、与板地区を歩き、
2日目に、昨年歩いた山古志(コースは違う)を歩きました。
 
良寛ウオーク
与板地区まで、橋を渡って、遠くの山並み、右手に弥彦山を眺めながら、広大な平野を走りました。
 
            
 
道の駅わしまに集合し、ほら貝の合図でスタートします。
 
        
 
20kmのロングコースと10kmのショートコースがありますが、ショートを選びました。
良寛の里わしまから、山道、トンネル、
 
      
       
            
 
 
       与板城跡、楽山苑(旧大阪屋三輪家の別荘)などを通って、
 
      
 
 
与板地区の歌碑公園へ、ショートコースはここで完歩証をもらいゴールです。
 
                       
       
慣れないことをしたので、ふくらはぎの下辺りがかなり疲労を感じ、ロングにしなくて良かったと思いました。
注文したお弁当と、地元の人のふるまい豚汁をいただいて、シャトルバスでスタート地点へ。
 
道の駅良寛の里わしまの、もてなし家で、おいしいソフトクリームを食べました。
これは、ガンジー牛というイギリス産の乳牛の乳で作られていて日本には20頭しかいない牛ということでした。
サラッとして、とてもミルクの味が濃厚でした。
 
                                            
    
あとは、三島地区の日帰り温泉に立ち寄り、翌日に備えました。 
 
                     
 
 
山古志ウオーク
こちらは、まず、車の集合場所が山古志の山の奥。
前日に開通式をしたばかりの羽黒トンネルを越えて行きました。
 
           
 
シャトルバスで、集合の山古志支所に。ここは、昨年の集合場所と同じで、小学生の迎え太鼓が響いていました。
生憎天気は、昨日とは打って変わって曇り空。
 
 
              
 
今日も、ロングとショートの2コースで、これも、ショートコースを歩きました。山古志は、この2コースのほかに、マラソンも行われ、マラソンは、ショートコースとだいたい同じコースを走ってきますので、後半はマラソンランナーを見送りつつ歩きました。
      
2kmも行ったかというところで、雨がポツポツ。私たちは、雨具は全く持たない、準備の悪いメンバーだったので、
その後トンネルを抜けた後は、雨にもまけず、黙々と歩く羽目になりました。
 
昨年のコースは山古志の集落と棚田、鯉の養殖池が眺められる風景を歩きましたが、
今回のコースでは、中越地震でせき止められてできたダムや、えん堤、水につかった木籠と呼ばれる家などがみられました。
 
             
 
 
                     
 
 
ショートコースゴールの池谷闘牛場で、昨日と同様の昼食を闘牛場の屋根下でいただき、ようやく雨から逃れました。
 
        
 
途中、タカノファームへいくまでに急な山道もあり、息苦しくなったりもしましたが、ウオーキングはもちろん、
マラソンランナーの中にも80歳をこえる方もみられましたので、弱音を吐くわけにはいきませんでした。
 
雨がなければ、もう少しじっくり、カメラに収めつつ歩きたい場所でしたが、
雨に濡れつつも、かなり撮りました。山古志の、自然の中に人が上手に調和して暮らす棚田の風景は、
人の心をほっとさせるものがあると改めて感じました。
 
          
 
 

芸術の秋、読書の秋

 3連休の一番最後に、近くの美術館で開催されている、宮沢賢治展に行きました。
 
          
 
宮沢賢治の生涯を紹介する第1部と、
 賢治童話をたくさんの絵本原画で紹介する第2部で構成され、宮沢賢治ワールドを堪能しました。
 
    *館内撮影禁止のため、ここにあるのは、チラシなどからの写真です。
 
         
 
               *これは、今回はありません
 
  童画家の茂田井さんの作品は、日本橋図書館(9.28~10.24)や、安曇野ちひろ美術館にもあるということです
                                 
 
 宮沢賢治といって、まず思い浮かぶのは、やはり、「雨にもまけず、風にもまけず、・・・」ですが、今回は
その直筆の手帳が特別に展示され、また、賢治による絵画5点も確かに展示されてありました。
もっとも、本物展示は日が限られていて、昨日はレプリカのようでしたが。
 
                                 
 
 先の詩の他にも、「永訣の朝」は中学3年の国語で、
          また中1ぐらいに、「よだかの星」も教科書の出ていた気がします。
  娘達の時代には、「やまなし」や「注文の多い料理店」がとりあげられていたようです。
 
岩手の自然を愛し、お話の中に、地元の言葉を多用して、独特のリズムで視覚的幻想空間をよびおこさせるものが多いので、多くの画家がその世界を表現することに情熱を燃やしたとありました。
 
      
 
    また、賢治が生前に出版された「注文の多い料理店」の序文には、
      「粗末な食べ物と服装でも、光に照らし出されてあらわれるすがたは何ものよりも美しい」
                          というようなことが書かれているという説明が印象に残りました。
 
今まで「銀河鉄道の夜」には、なかなか入り込めず賢治の世界は苦手でしたが、
賢治は、岩手の財閥の長男に生まれたにもかかわらず、自然を愛し、自分の住んでいる地をイーハトーブ(理想郷)と名づけ、貧しい農民の暮らしを向上させることに全力を尽くした、とても心の清い人だったことを改めて知りました。
 
宮沢賢治の童話の世界は、大自然をバックに、人の心をあるときは風刺し、
      鋭い視点からのメッセージが織り込まれていることも感じることができました。
 
 そういう意味からすれば、宮沢童話は、私の好きなアンデルセン童話にも、通じるところがあったのに、
  十分には入り込めなかったのです。
 
「どんど晴れ」をきっかけに、関心アップ、印象アップの岩手との、今年の出会いを大切にしたいと思います。
 
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 読書の秋ということで、今興味を持って読んでいる本は「生物と無生物のあいだ」という
今、売れている本です。科学的な、アプローチながら、人間とはを改めて考えさせられています。
 
       
     追記  今日は中秋の名月
            
                午後8時半頃のお月様です。昨年よりも、きれいに撮れました。
                月だけのは、4倍ズームでフラッシュなし、ナイトスナップモードで撮りました。
    

そばの花畑

新潟県小千谷市では、すっかり稲は垂り穂となり、刈り入れが始まっているということです。
 そして、田んぼの一画では、そばの白い花が一面に咲いているということです。
 
 
        
 
    今度、訪れる時まで、まだ咲いていてくれるでしょうか?
                          一度、実際に見てみたいです! 
 
                       

長い1日

9月20日
今日は、大事な集まりがある日でした。
持ち物などを、前夜にしっかり揃えなかったこともあり、
少し、早めの6時に起床しました。
 
洗濯機をセットして、お弁当作りに取り掛かっていると、娘の1人が起きてきて、
具合が悪く、しかし野菜サラダを食べて行きたいと訴えてきたので、
即席に、キャベツときゅうりの千切りサラダを作りました。
 
その後、まだ8時にもならない時間に、知人から急用の電話がかかってきて
話し始めたとき、いきなりピンポーンとチャイムが。こんな時間に、珍しく宅配でした。
 
いつも、「どんど晴れ」に合わせて、自分の朝食を食べるのですが、
ふとテレビを見ると8時16分で、すでに始まっていました。
その後も、9時半に家を出るまで(本当は、9時15分頃、出たかった)、電話が2回かかってきたりで、
色んな展開ののち、家を出ました。
 
ひとたび家を出ると、外は良く晴れた日で、ようやく外出の1日がスタートです。
集まり場所まで30分、いつもの田舎コースを自転車で行きます。
いつも持参のデジカメは、荷物が多いので、携帯デジカメ機能に託して、置いていきました。
デジカメと携帯、アラジンの魔法のランプと指輪みたいだと空想にふけりながら・・・。
 
集まりでは、怒涛の如く時間が過ぎて行き、お弁当タイムにして、もう1日は終わったような気分でしたが、
午後、第2ステージが始まり、こちらは静かに温かい交流ののちに、数時間が経過しました。思わぬおまけがあり、
5時を過ぎて帰路につきました。帰りの道は、晴れた日の夕焼け前の、暑いけれど秋を表す空が広がっていました。
 
         
 
こんな日は、やはりまっすぐ家に帰れないようです。途中知人2人に出会い言葉を交わしました。
 
今週になってから、我が家は遅ればせながら夕食時間を決めました。
間に合うように、大急ぎで準備をして、ぎりぎりセーフ。7時から夕食を食べることができました。
 
食後は、一気に疲労が襲ってきて、とりあえず仮眠することに。
10時に目覚めて、ローズヒップを飲みながら、長い今日の1日を振り返りました。
 
              
             
 
 
 

ひと房のぶどう

 
パソコンの前に座る時間があまり、とれないでいるうちに、2,3日はあっという間に。
書きかけの下書きは、瞬く間に鮮度の無いものに変わり、私の心ももう次のページにいっておりますが、
ともかく完了させることにしました。そうでないと、次へはすすめませんので。
 
       ☆  ☆  ☆  ☆  ☆   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆
 
先日、月に1度の、 聖書を読む会に行ってきました。
多いときには、牧師先生とその奥様と1歳になるお子さん、年配の婦人、
そして私のような参加者あわせて8人くらい集まりますが、今回は最少記録更新で、
なんと、牧師先生をいれても3人しか集まりませんでした。
 
少しずつ読みすすめている通読箇所は、今回で、ようやくヨシュア記を終えました。
神の選民イスラエル民族の歴史が書かれていますが、そこにあらわれる出来事は、人類全体にあてはめられるものとして、じわっと、響くものがあります。
 
今のこの世の中を脅かしている諸問題に対しての救いに、もちろん聖書は解決の道を示しているようですが、
最終的に人類の未来はどうなるのでしょうか?気になっていることを、ちょっと伺ってみましたら、
やはりというか、最後には原罪は打ち砕かれる結末の希望を、聖句からさらっと教えてくださいました。
 
そして、お土産に、お庭で収穫されたイスラエルのぶどうを一房くださいました。
 「ネへレスコール」という品種で、へブル後の 「ナーハールエシュコール」からきているそうです。
 
        
 
  これは、一房の谷という意味だそうで、民数記の中に、このぶどうが出てきます。
       長さが30cm以上ある、とても大きな一房のぶどうを、翌日みんなでいただきました。
 
 聖書の希望を生きるのは、なかなか難しいことを、噛みしめつつ・・・。
 
 

イチジクの思い出 ☆☆☆

今朝は、昨夜から降り続く雨の朝でした。
予報では、午前中はまとまった雨が降り、午後からは止んで、明日にかけて曇りということでしたので、
今日、行く予定にしていた、田舎コース方面の予定は欠席することにしました。
家にいて、しておきたい先手仕事もあるし、雨の中行かなくても・・・と思いました。
 
心配していた雨はさほど降らず、出かければ違ったいいことに出会えたかもと思いますが、
まあ今日は、家での充電日ということにしましょう スマイル
 
この前のイチジク、恵みの雨のおかげで、元気でいるように見えます。
私がイチジクを好むのは、第一にあの果実が好きなことにありますが、もう1つ、
子どもの頃の思い出にあるかもしれません。
 
大阪のJR天王寺駅から徒歩5分の、街中に住んでいたにもかかわらず、
私の育った場所には、春には桜、秋にはイチョウの黄葉、ポプラ、アカシヤ、松の木があり、
そのほかにも、背の低い木や中くらいの木、地面にはクローバーが生えていて四葉を見つけたりしていました。
また、お年寄りの方たちがお世話しているうっとりするくらい、綺麗な花壇も近くにありました。
 
子どもの私は、そんな木々の多い場所や、草の生えるところ全部が遊び場で、年上や年下の子ども同士で、
日が暮れるまで遊んだ日々が、原風景として思い出されます。
たくさんの木々中でも、イチジクは変化のある葉っぱと、面白く曲がりくねった幹が魅力で、そこに、腰をかけたりして、
あるときはお家のように、あるときは船長室や基地にすることができ、楽しく遊んでもらっていたのです。
 
平成も20年近く過ぎようとしている今からは、昭和の古きよき、30年代の思い出。
その原風景から歩き出すと、交番、市場。南へ行くと小学校と幼稚園。
小学校の校庭には、「のびゆく子」の像が飾られ、校舎の壁には 校訓 
「しんのつよいこー しっかりと前をみつめ、正しいと思ったことはどこまでもやりぬく子どもになりましょう」と書かれている。
あるとき、途中の町工場に、懸賞の「おしゃべり九官鳥」が製造されていました。
また、鉄腕アトムは、21世紀が舞台の夢のあるお話で、そのころの、未来の街という絵には、立体交差のハイウェー、高層ビルの間を車が走っているような風景が定番のようでした。
 
子どもが、子どもらしくいられた時代の、懐かしい思い出です。
 
                   
 

イチジク、植樹

台風一過どころか、猛烈な暑さに見舞われた、土曜日でした。
昨日、一昨日の大量の雨のおかげで、地面はたっぷり水分を含んで、
裏庭の木々はホッとした嵐の後の 表情を見せています。
 
イチジクの鉢植えは、台風が来る前に、裏庭に来ることになりました。
台風が去った翌日、裏庭を見ると、イチジクの鉢植えだけが倒れていました。そして1日外出して戻ってみると、
また倒れていました。どうやら、もうこの鉢では小さいくらい、頭でっかちのようです。
      
         
 
それで、今日は、予てからの計画を実行に移すべく、イチジクくんを直植えにすることにしました。
といっても、もう木を植えるスペースは満員なので、ここ2.3年花の咲かない、家では古木の
アジサイを撤去することに決めていました。
 
日が西に傾いた、5時過ぎから、開始。
上の枝を払って、引き抜こうとしましたがなかなかびくともしません。それでも、地面がゆるんでいるおかげで
だんだんぐらぐらしだして、ついには引き抜くことができました。
上は枯れた感じでも、根はしっかりと、20年近い年数を感じさせるものでした。
 
           
 
いくつかの言葉を感じて、私もいくつかの言葉を返して、それでも私は、今日は行動するこの庭の管理者。
       感傷には浸っていられない。考えて、計画して、行動するのが人間だもの。
 
 
イチジクは、狭い鉢から、難産の子を取り出すように、時間をかけて取り出し、
                          用意されたスペシャルスペースに移されました。
 
               
 
大事に植えた苗は、育たない確率の高い、家の庭。たくましく育ってくれるでしょうか?
 ここの管理者は、あまり手を差し伸べないかもしれません。
                           自立してとか言って。 
 
 

秋日射す

9月の始まりは、意外とさりげなくゆっくりとしています。
もう秋と早合点していると、すぐに残暑のぶり返しがあり、そう、まだ9月の初めであったとに気付かされたりします。
 
家族の出勤時間により、朝起きる時間は、5時から7時の間で変動しますが、
今朝は、一番早い5時起きでした。この時間ですと、残暑は姿を消して、ききすぎたエアコンの
涼しさです。外も、暗くはありませんが、まだ太陽は下の方と思わせる明るさです。
 
おもむろに、自分の身支度をしてから、徐々に徐々に、朝の家に変えて行き、
出勤する家族にあわせて、朝食を整え、洗濯、資源ごみ出し、掃除なども、今朝は、
一人目と二人目の出勤時間の時間差を利用して随分効率よく行きました。
 
それで、いつもの朝ドラは、洋裁の手仕事をしながら見ることができました。
手仕事が、一段落するまでテレビ視聴続行。天気予報によると、明日からは台風の影響で、
お天気は下り坂。今は、こんなに優しい秋日が射しているのに・・・。
 
午後は外出予定。そのためのパソコンでの作業をしていると、睡魔が襲ってきました。こんなときは、逆らわず
しばらくそのまま横になります。10分ぐらい・・・体と、目と、多分左脳を休めています。
右脳は、ぼんやりと心地よさを感じながら、夏のなごりがだんだん片付く気配の静けさ中、
何もかも秋はこれからというメッセージに気付いて現実が戻ってきました。
 
今頭に浮かんでいるのは、香り高いコーヒーを飲んですっきりすること。
そして、秋日の中、出かけたら帰りにきっと買うことにしましょう!まだあるのなら、
昨日、スーパーで見かけた、いちじくの鉢植え。
 
 

ホスピス講演会

ライフプランニング・センター ピースハウス病院 主催の、ホスピス講演会に行ってきました。
3部からなる講演会ですが、第3部は、ここの理事長であり、聖路加国際病院の理事長でもある
日野原重明先生の講演です。来月で、96歳になるということでした。
先生の講演会を聞くのは今回で3回目です。10年以上前に京都にいる頃が初めてでしたが、そのときで80代でした。
しゃべる速度、動作どれをとっても、60代にしか見えず、3年先まで手帳には予定が入っていてると聞いて驚いたことを思い出します。その後、「生き方上手」という本を出され、先生の手がけているホスピス事業も注目されるようになってきたように思います。
 
わが市と、隣町の境のゴルフ場の一角に、先生のピースハウス病院があるので、以前見学に行ったことがありましたが、そのときの印象は、今でも強く残っています。
 
ナースセンターから、放射状にのびる各個室は、病院というよりは、住まいの温かみが感じられ、共同部分には、手作りのものや季節のものが、心温まる感じに飾られていて、庭には12月であったにもかかわらず、温かみのある花が咲いていたように思います。
 
お世話する人の多くが、ボランティアで遠くからも来るということでしたが、建物、人、物のすべてが、最期のときを
大事に過ごして欲しいという思いにあふれているのが感じられました。
 
確かに、最期をこのような医療施設で過ごせるなら、死の恐怖も随分緩和されるだろうと思わされましたが、
それでも、死を前提にしての温かさ静かさであることに、何ともいえないものを感じました。
 
今回の講演会でも、アンケートでは、病院、ホスピス施設、自宅の中で、最期を自宅でという人が多く、家族の負担はあるが、患者の心のやすらぎはこちらが勝っているということで、ホスピス事業は施設だけでなく在宅医療にも向けられていると1部のところでお話がありました。
 
日野原先生のお話は、第2部の、平均年齢は一体?と思わせる横浜グリークラブの方々の素敵な合唱が披露された後に始まりました。
プロジェクターの大きなスクリーンをバックに登場された先生は、舞台そでにある演題に向かわれる途中で話し始められ、そのお話のユーモアにあふれた展開にそのまま引きずりこまれるようにあっという間の50分が過ぎました。
結局、演台には行かれず、立ちっぱなし動きっぱなしで話される姿は、その内容を強力に後押しするものでした。
 
内容そのものは、人間が必ず体験する、生老病死をどう乗り越えるか、人の生き方の話でしたが、沢山のメッセージの中で、今回最も感じ、感心したことは、先生が2000年に発足された新老人の会の、mission(使命)として、
子どもへのタッチを通して世界平和の実現に努力すると、うたわれていることです。
人生80年、90年に寿命が延びても、死んでしまうわけだから、次の世代に何とか平和の芽をと願っていらっしゃるのです。
 
また、「良い出会いがある。それはあなたの才能なのです」-生き方上手ーに書かれた言葉だそうですが、今、良い出会いがないと結婚しない時代をおもんばかって、良い出会いはチャンスではなく自分の魅力や少しの勇気が呼び寄せるものだとの励ましのメッセージを出されていらっしゃいました。
ちなみに、この新老人の会は75才以上がシニア会員、60才以上がジュニア会員、20才以上がサポート会員ということでしたが、年老いて最後までできることは、自分の人生で得た知恵や体験を若い世代に伝えること、この精神の中に自他を再生する重要な鍵があると感じました。
 
日本の少子化の勢いは激しく、あと30年(もっと早かったか?)もすると、日本の労働人口はガタッとと減って、生産国としてやっていけなくなるとの見通しに、何とか手立てはないものかと改めて思いました。