2月8日、父が亡くなってから4年経ちました。
昨日の命日のお墓参り、本当に良かったと思うことの沢山ある充実した、不思議ともいえる1日でした。
お墓には、大阪から電車とバスを乗り継いで、1時間以上かけて行きます。
バスを降り、花を買うために立ち寄ったスーパーの花やさんでふと時計をみるとちょうど父が亡くなった時刻でした。
そのとき、たまたま店内に「千の風になって」が流れ、母と顔を見合わせました。
本家に立ち寄るために道を進んでいくと、前から一匹の犬がやってきて、私たちを見ると尻尾をふって
何となく親しげに。犬にあまりなれていないけれど、さりげなくあしらっていこうとしたのに、相手もさりげなく、
なんとつかず離れずついてくるではありませんか。結局、本家の家までついてきて、驚いたことに
私たちより先に中に入って行きました。犬の方は、適当に追い払われてしまいましたけれど、あれは一体?
戌年で、犬が好きだった父のことをいまさらながら、母と話しました。
朝の予報では、午後から雨が降るということで、いつもここ一番のときには晴れる晴れ女なのに
今日は降るのかと思いつつ出かけましたが、お墓の参りの正午前には薄日がさし心がなごみました。
お墓に父はいないことは、知っていますが、母とここに来る意味はあると感じるひとときでした。
午後には、近くにある西国3番の札所である、粉河寺を久しぶりに観光して、
桃山時代の石の庭園などをカメラにおさめました。
帰り道、このお寺の門前に程近いところにある、母の姪で私の従姉の家に30年ぶりくらいに
立ち寄りました。お嫁入りした長女さんの挙式写真などを拝見し、ここの町に住む人の30年を、
ざっと感じ取れる時間でした。
駅からお寺へ続く道、よくみれば電信柱はありません。
地下のケーブル工事で何年もかけてこのすっきりした道ができたそうです。
父の話も沢山して、帰路に着き、結局雨にあうこともなく、
母と、ここでもしのぶ会が出来たねと話して、記念の行事は終わりました。
いい話ですね。やっぱり心の中にも、風の中にも、お墓の中にもお父上はいるのでは・・・(合掌)。
ワン公は父上になり代わって道案内をしたのかも知れません。また従妹(従弟)とは産まれて初めての
ある意味親友というようなこともありますね。30年の時の隔たりも一瞬のうちに時を蘇らせる想いもされ
た1日でもありましたね。
>マックさん
父への弔いのコメントをありがとうございます。不思議な気持ち、日をおくと忘れてしまいそうで、ネットカフェからアップしました。大いなるこじつけかもしれませんが、世の中、心を働かせれば、メッセージに満ちていると思うこの頃です。
おはようございます。
今日は、早々とお邪魔しました。今主人を駅まで送ってきたところです。
栃木の方へ、友人たちとゴルフに出かけました。
明日まで、一人でのんびりです。さて何をしようか考えているところです。
セーラさんのお父様はお亡くなりになってまだ4年ですか。
まだまだ、お寂しく、思い出とはいっても、悲しいお気持ちをお察しいたします。
私のところは、私も主人も、両親とも、もう七回忌も過ぎてしまいました。
だんだん姉妹、兄弟と、集まることが少なくなりますが、
命日で皆が集まることは、亡くなった人が、親戚の集まる機会を作ってくれていると感じます。
思い出話に花を咲かせながら、この広がりを与えてくれた両親に感謝しています。
このようなときに、”千の風になって”は、しみじみと共感させられます。
マックさんへの返信で、"世の中、心を働かせれば、メッセージに満ちている"と言うこと、ほんと、そうですね!
心温かくなりました。
セーラさんに優しい風が吹きますように。(^・^)
写真がアップされ、さらに実感がわきました。
お父上への想いと、お元気な母上をいつまでもお大切に・・・。
>ゆんさん
心温まるお言葉をありがとうございます。ほんとうに、法事などで親戚が顔を合わせ、故人の話をしたりするときには、
当人を偲ぶといいつつ、生きているものへの励ましの会であることを感じますし、遠くの親戚同士のまたとない交流の時と思わされます。
ゆんさんのところも、皆さんの中に、今もこれからも、ご両親様がしっかりと生きていらしていますね!
>マックさん
いつも温かい言葉をかけてくださってありがとうございます。
母と一緒に、父への想い大切にしたいと思います!
命日のお墓参り
偶然と言うには余りにも不思議なお話、不思議な1日でしたね。
皆さんのコメントやセーラさんのお返事を読みながら、
・・・世の中、心を働かせれば、メッセージに満ちていると・・・
の言葉、私もに沁みました。
>Y&Yさん
共感してくださり、ありがとうございます。母は、年々元気になって色んな人とのつながりの中で楽しく暮らしていますが、
毎日の仏壇の世話、新しく設けたお墓の月参りなどが父との交流になり、支えとなっているようにも思います。
人間の存在、そのものが、考えれば神秘的ですよね***